私の人生の大きな一つとなった
令和元年1月30日。
母が亡くなった日。
***
その後、4月から8月まで入院。
この時の地獄のような日々。
「ひとりでは居られない」
そう、今思えばこれは私がずっと
根っこにもってきた爆弾。
「ひとりじゃ不安」
「ひとりで居られないから
実家から離れられなかった」
旦那さんと結婚してすぐ
別居して。。
移れる時に移って。。
小さな子どもの頃に
獲得できなかった
寂しさの種。
その微妙な三角関係が
大きく喪失したことにより
人生で一番怖い経験、、
状態となり
「ひとりでいられない」という
幼児化が支配し、爆発して
周囲の人たち。。
主に旦那さんに
大きな負担をかけてしまった。。
大きな大きな愛で支えて
くれててた旦那さんにも
あまりのパニック(人が一番怖いこと)
に酷いことをいい、
大きな大きな迷惑をかけて
そして旦那さんを疲弊させ
距離をとろうと言われてしまった。
当然のことができなくて、
ずっと爆弾を抱えていて
その部分を旦那さんに指摘され気づいた。
「ひとりで暮せなきゃダメだよ」
その私の大きな爆弾を花の種にするべく
距離を置くしかなかったし
離れたくなかったから
僕も人生の覚悟を決めた。
ひとりで暮せるようになる。
ここの後ろに爆弾が隠れていた。
僕がひとりでくらして
継続してくらし続けること。
寝込んだ時、ひとりで過ごせること。
これができて
僕は自立するということに
近づいていけるのだろう。
とても大きな爆弾が
旦那さんのお陰で出てきて
私は新しい自分に出逢えた。
旦那さんには本当に感謝している。
今度は私が恩返しする番。
あるひとりの人間の
再生の物語。。
皆、協力してくれて
本当にありがとう!!