大雨が続くと鉄砲水や土砂崩れ、土石流が多発し、大雪が続くと雪解けの頃に雪崩も起こり、そのたびに甚大な被害を出しています。原因として温暖化による気候変動などが指摘されていますが、雨や雪を受ける土壌の側ではスギやヒノキの針葉樹単一人工林が大きいのではないかと思われます。針葉樹は広葉樹と違って葉をほとんど落とさないため腐葉土が堆積せず、また根も浅くなり保水力がなくなります。そして単一種が密集して植えられている人工林では光が地面まで届かず、低木や下草のない弱い土壌になります。土砂崩れ・鉄砲水を防ぐための治山・治水事業として、崖には砂防、河川にはダムや護岸を整備してきたわけですが、これは果たして正しかったのでしょうか。水害・雪害への対症療法だけを行い、肝腎の保水力のある土壌の復活という根本治療を施さなかったことが近年の局地的豪雨やドカ雪による被害を大きくしているのではないかと考えます。民主党の「コンクリートから人へ」というカネの流れ・配分しか考えないスローガンは問題外です。しかし自由民主党の皆様には、そろそろコンクリートのダムと護岸だけの公共事業から卒業していただけないかと思います。

 

 ここからはいくつかの著作をテキストに森と海とのつながりを見ながら、新しい治山治水事業の提案をしていきたいと思います。『森は海の恋人』(畠山重篤著)は気仙沼の漁村で育った著者が、河口の湾で牡蠣が餌もなく養殖が可能であることやホヤ・アサリ・海藻・魚など海の幸がいつも豊饒に育っていることに疑問を抱き、様々な研究者に教えを乞いながら「森と海の生命のつながり」に目覚め、やがてダム反対運動や森に広葉樹を植林する活動に邁進してゆくまでの過程を綴っています。

さて、ではなぜ豊饒の海が存在できているのでしょうか。その答えは森にありました。気仙沼湾に注ぐ大川の上流には室根山があり、この一帯には広大な広葉樹林が広がっていました。一般に広葉樹は秋になると落葉し、地面に堆積し微生物に分解され腐葉土になります。腐葉土に雨が降ると植物に不可欠なミネラル類、特に鉄分が植物にとって吸収しやすいフルボ酸鉄の形で伏流水に溶け込み、河川に流入します。その水が海に着くと河口でフルボ酸鉄を取り込んで植物プランクトンが増殖し、それを餌に多くの魚介類が育って豊饒の海が出来上がるのです。

日本ではこれには歴史的な前例が多くあり、『大江戸リサイクル事情』(石川英輔著)に魚付林として紹介されています。木を伐りすぎると周辺の川岸や沿岸から魚が居なくなった経験の集積として、言い伝えの形で各地に残っていたのでしょう。安定した江戸時代初期から中期にかけて全国的に造林が盛んになり、水辺にも魚付林として森林を育て守ったそうです。

 このような歴史的な正統性も環境面での正当性も無視して、広葉樹を伐採し針葉樹単一人工林に替えると、生命の流れの元である腐葉土が作られなくなり、そして川岸を三面張りのコンクリートの護岸で固めると広葉樹林からの生命の源であるミネラルの流入を封じてしまい、さらにダムで流水量さえも管理してしまったのでは海の資源も枯渇してしまうでしょう。だからこそ畠山氏は、豊饒の海を守るため漁民を率いて広葉樹を植え、ダム建造に反対されたのです。

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  参考文献

『森は海の恋人』(畠山重篤著)

『大江戸リサイクル事情』(石川英輔著)


畠山重篤氏のエッセイブログ

「リアスの海辺から~畠山重篤essay / shop blog~」