人と同じように常識で生きることは、楽かもしれません。

 でも、自分の意に反して生きることはしんどいことです。

 本当はこんな生き方したいけど・・・,やりたかった仕事はこれだけど・・・,そう思いながら生きている人も多いのではないでしょうか?

 生活のため、お金のため、家族がいるから・・・と思ってあきらめている人。

 

 常識は、だれかがだれかの都合のいいように作られているのだと思います。

 だから、ある日突然、それまでの常識が変わってしまう。

 過去の歴史でも、時代の変わり目には、常識にとらわれずに動いた人たちが新しい世の中を作っています。

 今までは、マスコミに左右されてきたのかもしれません。

 しかし、SNSの発展により、マスコミよりも影響力のあるものができました。

 そして、政治も経済も国際情勢も行き詰まってきました。

 世界中で、テロも起こっています。

 SNSで、マスコミの情報に左右されなくなってきたのかもしれません。

 

 私たちは、長いものに巻かれることの方がつらかった。

 何度も親のいう通りに生きようとしましたが、うまくはいきませんでした。

 親が祖父母から受けたもの、負の連鎖を自分たちのところで止めました。

 嫌なことをおしつけられ、それをまた子世代におしつける。

 強制からは何もうまれません。

 嫌なことを押し付ける体質が、大嫌いです。

 私の父は、進学校に通いながら、あんな勉強したくないと大学に進学しませんでした。

 それは、親を気遣って言った言葉なのかもしれません。

 呉服問屋に勤めたかったけれども、祖父が安定した仕事がいいからとすすめ、国鉄に入社しました。

 安定した国営の会社に入れば・・・と思って従いましたが、国鉄民営化となり、組合活動に参加していた父は、いちばん待遇の悪いJR貨物に配属されてしまいました。

 それから、どんどん楽しくない顔をするようになっていきました。

 でも、同僚の中には、駅の売店に配属された人も多かったそうです。

 運転ができているのだから、恵まれてるのじゃないの?って、子どもながらに思ったものです。

 いつも人のせいにして生きて、子どもに八つ当たりして楽しいの?と思いました。

 私は、親の思う女の子だから、商業高校に行って、就職して、結婚して、親になる・・・という思いを、今思うと、1つもかなえない親不孝娘となりました。

 思えることはやりたいのですが、思えないことはやりたくありません。

 ぜったいに人のせいにしてしまうと思うからです。

 結婚して親になることもできたのですが、パートナーはほしかったけど、結婚と言う形と子どもは、思えませんでした。

 親や親戚が、自分たちが受けてきたものを、強制しようとしてきたから、入籍しませんでした。

 でも、近くにいるし、親の面倒を見れるよって言ったけど、いらないと言われました。

 入籍しないなら、親子の縁を切ると言われ、それから10年、一度も連絡をとっていません。

 

 でも、そこから自分の人生は変わってきました。

 親の思いは、こんなに子どもを苦しめているのかと思うぐらい、親の心配がどんなに迷惑か体感しました。

 それから、親世代や私たち世代が、親を亡くしたと話されているときに感じることは、なんでみんな開放感があり、生き生きしているのか、と思います。

 

 親からの負の連鎖を断ち切ったら、そこから人生がうまくいきました。

 もちろん、これから先、何が起こるかわかりません。

 でも、1つ言えることは、自分たちのやりたいように生きているので、何か悪いことが起こっても、人のせいにする人生ではないということです。

 

 親の嫌うことをこれでもかってやって、こんな私でも愛せますか?って行動したら、あっさりと縁を切ってくれました。

 その縁を切ってくれたことに感謝しています。

 こちらから切ると思いはきますから、どんどんしんどくなります。

 むこうがこんな娘いらないって思ってくれたおかげなんです。

 

 パートナーの親も、何度か縁を切ってますが、いまではすっかりこの楽の虜になり、一緒に楽の修行中です。

 

 もし、今人生を終えたとしても、悔いがありません。

 死んだ後、パートナーやパートナーの親に迷惑がかからないように、遺書や死後にやってもらわないといけない手続きは残しています。

 基本的に、すべて共有しているので問題はありませんが、2人一緒に亡くなった時のことも考え、迷惑のかからないようにしています。

 

 親には、縁を切ってくれたことも感謝だし、後悔しながら生きている姿を見ていたからこそ、自分の思い通り、誰のせいにもせず生きていこうと思えました。

 そして、よきパートナーにも巡り会うことができました。

 

 私たちの言っていた突拍子もない世界が、現実に起こり始めています。

 これからも自分たちの意志で生きていこうと、改めて覚悟と決意をもちました。

 

 眠り続けて、脳が変わり、ふと思ったことです。