NO-254
先週の土曜日のイベントからあっという間に1週間が経ち、時間が経つのを早く感じる今日この頃である。松村は土曜日の12時頃に会場に着いたが、次の日の夕方餌を待つ動物のために福島に戻った。
横須賀のスタッフのみなさんに再会出来た事や、前回または前々回に支援して頂いた支援者に会うことが出来たのは、間違いなく彼にとっても嬉しい出来事だったに違いない。
13日の夜、横須賀のスタッフさんのお店で食事をしていたら、松村に渡して下さいと頼まれた方がそれを届けてくれた時の写真。穏やかな松村の表情がいいので紹介しました。
また彼を介して新しいつながりを作れた人もいて、彼を中心にしてその輪が広がっている所を見て少しいい気分であった。そして横須賀の温かいハートを持って、福島に帰る新幹線の中の彼はどうだったろうか?と想像した。
福島に帰る直前の写真。小さなガールフレンドじゅなちゃんとお母さんのあいかちゃんと。
彼は帰った次の日からまた動物たちのために強制避難区域で餌をやり水をやり、残された動物の保護をしている。彼が向かっている夢の実現にこれからもみなさんの力が本当に欲しいと思う。
今年の夏の超猛暑でこの柵の井戸が枯れ、毎日1トンの水をポリタンクを使って水やりをしていた。タンクを5個積んで給水に何度も走り、汗びっしょりになって水遣りをする松村は息つく暇が本当になかった。8月撮影。
この夏の酷暑を牛たちはこの岩塩で乗り切った。ミネラルなどの補給はこれに限る。松村はいくつかこの黄色のケースを用意して牛たちに、毎日岩塩を与えた。9月撮影。
牛たちの食事。みんな健康でたくさん食べます。9月撮影。
10月17日の福島民友新聞の3面に双葉町の復興まちづくり委員の木村真三独教医大准教授が、私見としながらも同委員会で「除染をしなかった場合は帰町まで少なくとも150年かかる」と発表したことが書かれていた。
また「こんな高い線量の所を除染をするのは意味がない」と指摘。放射性物質の物理的な減容と土中へしみ込んだ遮蔽効果を考えた場合でも「150年安心して住める地域にならない」と。。。。
木村氏は10月2日に町内で採取したコケ類から最大1キロ当たり約57万ベクレルのプルトニウムが検出されたと報告。「本当に安全なのか検討していかなければならない。」と帰町を考えている被災者には希望を打ち砕くような記事だった。
松村がいつも「今の除染では全然だめだ!」と言っていたが、まさにその不安要素が書かれていた。僕も個人的な意見だが山林の除染を完璧にしなければ富岡町と言えども安心して暮らせないと思っている。
国は本気で除染する気があるのか?全く見えない。被災者の中にはそんな国に対して期待もしないし、諦めの境地でいる人が多い。それでも目の前にある現実からは逃げられないのだから、耐えて頑張って行くしかない。
みなさん、放射能汚染の中で動物の命を守る松村をこれからも応援して下さい。宜しくお願いします。