疥癬だった親子の救助 を開始したのはボロボロだった宇宙 と未来 を見た多国籍 さんが、何とか助けたいと『ねこけん』に連絡を下さったのがきっかけでした。
未来は3年前、多国籍さんが救助した笑嬉(エウ)ちゃんと似ていた事で、どうしても見捨てられなかったとの事です。
※以下、多国籍さんが出会ったエウちゃんのお話です。
~もう1つの物語~
私はエウと言います。
漢字で書くと笑嬉。
昔は違う名前でしたが、今は思い出せません。
エウと言う名前は、笑顔がいつまでも嬉しいようにと願いを込めて、保護してくれた人が付けてくれました。
私は今、ボランティアさんのシェルターで暮らしています。
毎日、たくさんの猫達の声を聞きながら、優しいシェルター母さんに可愛がってもらって過ごしています。
山があって、川があって、みんなノビノビと暮らしています。
餓えや喉の渇き、寒さや暑さ、追い払われる恐怖も有りません。
美味しいご飯と、暖かい家。私は、今幸せを噛み締めながら、シェルターお母さんに甘えています。
遠い昔、放浪する前…、私は幸せな家猫でした。
優しいお母さん、優しいお父さん。人間の世界では、飼い主と呼ぶそうですが、私にはお父さんとお母さんでした。
両親は、毎日、可愛い可愛いと膝に乗せて撫でてくれました。寝るときも同じお布団で寝ていました。
お母さんの腕はとても温かく優しかった。
とても似合うねと、ピンクのリボンが付いた、小さな鈴が付いた首輪も付けてくれました。
毎日、とても幸せでした。
そんなある日、事件がおきたのです。
私には、何が何だか分からないのですが、多くの人が家に来ました。
そして、暫くすると、私は独り、家の庭に置き去りにされてしまったのだと思います。
もう随分昔の事なので、記憶も薄れてきましたが、とにかくお母さん、お父さんに会いたくて、抱っこして膝に乗せて欲しくて、私はただただ、「お母さん、お父さん」と呼びながら彷徨いました。
私は、迷子になったのでしょうか?もうお父さんとお母さんには会えないのでしょうか?
そんな不安を感じながらも、私は生きていればまたきっとお母さんとお父さんに会えると思い、毎日待っていましたが、なかなか迎えは来ませんでした。
お腹が空くと、臭いを頼りに、食べ物がある場所を求め歩きました。
親切な人間が、ご飯をくれるときもありました。
ゴミと呼ばれるものに顔を突っ込んで、追い払われたりもしました。
私は、何処へ行けば、またあの優しいお母さんとお父さんに会えるのでしょうか?
早く、帰ってあげないと、きっと心配している!
私は、毎日両親を探して歩きました。
歩いて歩いて…気が付くと私の白い足は真っ黒になり、黒くてつやつやだった背中の毛は汚れでガサガサになりました。綺麗だったピンクのリボンの首輪は色あせて鈴はさびて鳴らなくなりました。
暑い夏、寒い冬、飲み水に困るほどの灼熱の太陽光を避け、冷たい雪から逃れるように、彷徨いながらも生きて来ました。気が付くと、何回も季節を繰り返し、私はすっかり老猫になっていました。
声も嗄れ、歯も抜けて、どうやら私は病気になっているようでした。鼻水が止まらないし、涎も出てしまいます。
それでも、私は毎日毎日、もう一度お母さんとお父さんに会いたい一心で、ご飯を探し、歩き続けながら生きてきました。絶対にいつかまた会える!そう信じて。
そんなある日、私は何かの声に導かれるように、ある場所へ向かっていました。
小さな居酒屋さんと、焼き鳥屋さんの間の狭い路地。
そこには、何匹かの猫と、ご飯が置いてありました。
私は、余りの空腹に、そっと近づいて、少し湿ったフードをボリボリと食べました。
そこに、人間の女の人が通りかかりました。その女の人は、私を見て言いました。
「あら?飼い猫?何処から来たの?随分と汚れているね」
私は、言いました。「家に帰りたい!お母さんとお父さんに会いたい」
私の声は、すっかり嗄れて、かすれた声になっていました。
「エウ~」
その女の人は言いました。「お腹が空いているの?これ食べなさい」とドライフードを手から食べさせてくれました。
それから、数ヶ月、その女性は私にご飯を食べさせてくれました。その女性は顔を洗っている私を見て「腕が折れているの?お前大丈夫?」
私の腕は曲がっているらしいのです。自分では分かりませんが、塀に飛び乗ったり、すばやく逃げる事が出来なくなっていたので、おかしいな~とは、思っていました。
ある日、ご飯の有るところへ向かうと、「あ…。ない…。ごはんが無い…」
そうです、すでに他の猫が平らげたあとでした。私は空腹を抱え、塒に向かおうと歩こうとしたとき、いつもの女性が追い掛けてきて、手からご飯を食べさせてくれました。そして、私を抱き上げようとしました。私は驚いて、少し抵抗をしました。その女性は、小声で言いました。「そうか、抱っこはダメなのね。明日必ず来てね。必ず。迎えに来るから」と…。
私は「エウ~」と嗄れた声で返事をしました。
翌日、どうなるのだろう…と思いながら。
目が覚めて、夜になるまで、私はとても不安でした。
あの女性は私に何をするのかな?殺されちゃうのかしら?でも、いつもご飯をくれるし…
不安なまま、いつもの時間に約束した場所へ行きました。
女の人は、キャリーバックに美味しそうなご飯を入れて、私に言いました。
「さあ、家に帰りましょう」
私は、何の迷いもなくキャリーバックへ入りました。
家に着く間中、女の人は、私が「何処に行くの?」「お母さんは何処なの?」と聞き続ける声に、「家に帰ろうね。」「明日は獣医さんへ行こうね」と話しかけてくれました。
(※保護時の写真ですが未来にそっくりです)
家に着くと、懐かしい「人間の家」の匂いがしました。
女の人は、私を大きなケージに移し、ふかふかの布団と、お水と美味しいご飯をくれました。
清潔なトイレも用意してくれました。
私の不安は消えませんが、この人は私を虐めないと確信しました。
とにかく、何年ぶりのフカフカの布団で寝た。
翌日、他の女の人が車で私を迎えに来ました。
いつもの女の人は、私に言いました
「獣医さんへ行きましょう。」
車に揺られて、獣医さんへ着き、検査を受けました。
お医者さんは、「エイズ陽性です。犬歯も抜けているし、発症しているようです。年齢もかなりの高齢ですね。首輪の劣化と同じくらいの年齢でしょう。飼い主さんが先に逝ってしまったのかも知れません。
良く生きて来たね。がんばったね」と、私を悲しそうな目で見つめて言いました。
その後、私は、また車に乗って、シェルターと呼ばれる小さいお部屋に連れられて来られました。
移動中、いつもの女性が電話で他の人と話をしていました。
「本当ですか?ありがとうございます!ありがとうございます!」と言いながら泣いていました。
そして、言いました。「明日、優しい人が迎えに来てくれるからね。ここで、待っていてね。広いシェルターで暮らせるよ。ごめんね、家では飼えなくて」
その時、私の名前は笑嬉という名前に変わりました。
一晩、ゆっくりとご飯を食べて、炬燵で寝ていると、優しそうな女性がケージを持って迎えに来てくれました。
また私は車に乗せられました。長い時間乗っていました。
すると、回りの景色がだんだんと緑が多くなり、空気も澄んで来ました。川の水音が、鳥の声が…私は、少し嬉しくなりました。
「着いたよ~」私はまた人間と家の匂いと、他の猫の匂いがする、大きな家に運ばれました。
そこが、今私が住んでいるシェルターです。
私は、ここが大好きです。
ある日、私を保護してくれた女の人が会いに来てくれました。
私は、彼女に言いました。「私はここが大好きです」
ここのシェルターに来て、早数ヶ月立ちました。
私は、猫エイズという病気の症状も重く出てくるようになったようです。
鼻も詰まり、シェルターのお母さんが、何回もお薬をくれたり、看病をしてくれています。
入院もさせて貰いました。
死に掛けては、シェルターお母さんの手厚い看護で復活しています。
だって、生きていないとお母さんやお父さんに会えなくなってしまう。シェルターお母さん、忙しいのにごめんなさい。
数日の入院から帰ったある日、また私を保護してくれた女の人が会いに来て、私を沢山抱っこして撫でてくれました。
私はとても嬉しい。撫でられると、思い出すからです。昔もこうして、可愛い可愛いって撫でて貰いました。お母さん…お父さん…
私は、年を取りました。
目も見えにくくなりました。ご飯も、以前のように美味しく食べられない日もあります。
寝てばかりいる時間が増えました。
でも、最近不思議なのです。
何か、とても懐かしい、とても暖かい…そう、お母さん、お父さんの気配を感じるような…。
私は、知っているのです。
あの餌の有る場所へ、導いてくれたのはお母さんお父さん。
今ははっきり分かる。
そして、ここのシェルターに導いてくれたのも、お母さん、お父さん。
シェルターのお母さんが私に言いました。
「エウちゃんは、私の所に来る運命だったのね」
私は、知っているのです、分かるのです。導いてくれたのは、お父さん、お母さん。
お父さんとお母さんは、私が寝ると側に来ます。
そして、私を撫でながら「まだよ。まだね」と言います。そして、目が覚めるのです。
そして、私は、もうお父さんお母さんを探して彷徨なくても良い。
なぜなら、まだ、少し先になるけど、お父さんお母さんは、時が来たら私を迎えに来てくれるからです。
そう、お母さんとお父さんが迎えに来てくれるまで、シェルターお母さんと他の猫達と暮らしながら、たくさん笑顔で嬉しい思いをしながら暮らしていれば、それで良いのです。
シェルターお母さんに、毎日沢山甘えて、毛繕いをして貰って、ご飯を運んで貰って、暖かいベッドで寝かせてくれる。私は、自然と嬉しくて笑顔になります。
その1年後、笑嬉ちゃんは虹の橋を渡りました。
偶然にも笑嬉ちゃんを保護した場所と未来と宇宙が保護された場所は徒歩1分圏内です。
更に笑嬉ちゃんが他界したと同時に未来がこの世に生を受けた時期が重なっている事を考えると
生まれ変わった笑嬉ちゃんが、その場所で多国籍さんを待っていたのかもしれません・・・・。
皆様、どうぞ宜しくお願い致します<m(__)m>
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