フッキが第一子の出産立会いのため、ブラジルに帰国しました。


当初、フッキと同じ誕生日の7月25日が出産予定日でしたが、

3日前に予定日が20日くらいになりそうだと知らされ慌てました。


もともと、出産時には帰国することを決めてはいましたが、急遽

今日の便で帰国となりました。

昨日の試合前にはそのことで多少動きがあり、メディアの人達も

混乱させたようでした。

実際にいつ生まれてきてくれるか、お母さんの体の調子もある中、

再び日本に戻る日は今の時点では決まっていません。




その中での新聞報道、あまりの飛躍ぶりに大いに驚きました。




フッキ獲得に際しては、僕がそのほとんどの交渉を手がけた人間

であり、万難を排して実現させたことは皆さんもご存知でしょう。

その同じ人間が、「早い段階で放出を画策。」するはずがない。

フッキ加入の発表は4月2日、ついこの前のことなのですから。


かつて一度だけ海外のあるクラブからフッキにオファーがありま

したが、それを断ったのはクラブです。

僕と加藤とテオさんとで考えた文面を、クラブの正式なレターヘッド

をつけて、相手のクラブに送りました。


フッキがレフェリーの判定とJリーグの規律委員会で揺れたとき、

そして僕自身にもメディアに対しても「日本でやりたくない」と言い

はじめた後は、どうすればより長く日本でプレーできるかを模索し、

リーグに赴き、生活環境を整え、相談してきたつもりです。


そしてそれは今も途上にあります。




昨日、クラブハウスに戻ってきたとき、小さな小さなスニーカーを

フッキに託しました。


元気なジュニア(男の子と聞いています)を授かって、はにかんだ

笑顔で帰ってきて欲しいと、心から願うばかりです。