剣山からまっすぐ帰れなかった話
こんにちは。
メンタルコーチ/〔あなたブランド〕サポーターの
ナオコマルです。
ひゃっほ~~
これは人力ロープウェイ
「野猿 (やえん)」 と呼ばれる乗り物です。
ここは何処か・・・?
こちらは剣山系エリアのある
奧祖谷(おくいや)。
7月21日の剣山本宮例大祭に参加した時の
続きのお話となります。
→ 天空でのお祭り ~剣山本宮例大祭ダイジェスト~
→ 剣山で開くご縁
あの日 実は私たち
剣山から高松にまっすぐに帰れなかったのです
朝から夕方まで じゅうにぶんに 剣山での時間を堪能し
「さぁ 高松までは遠いし そろそろお山を降りないとね」
朝はあんなにたくさん車が止まっていた駐車場も
もう私たちの車が最後の数台・・・
「では 剣さ~ん ありがとう~ また来るね~」
とお山を後にし
20~30分走った頃。。。
我らが 「ともさん号」 がたどり着いたのは
・・・
・・・
「あれ?? なんで私たち ここに来ちゃったんだろう」
昨年実施した剣山リトリートツアーの下見で
ここに来ていた私は目をパチクリ・・・
そこは
「奥祖谷二重かずら橋」 だったのです。
(高松とは逆方向です)
この日 私は剣山のリフト乗場で
看板状のエリアマップをみたとき
なぜか
「奥祖谷二重かずら橋」 が目に入ってきていたのですが
奥祖谷 からのアピールだったのかしら~
随分奧に来てしまって
ここでゆっくりすると 帰りは暗い山道ドライブになるなぁ~
と思いながらも
こりゃ遊ぶしかないね
と
雨あがりの夕刻
やわらかい陽射しの中
ここにいると 本当に違う次元にいるようで
「まるで夢を見ているようやね・・・」
おとぎ話にあるように
ふっと 夢の国に連れて行かれる・・・
って こんなカンジなんだろうなぁ。
本当に 思いがけない ギフトな時間を
剣山からいただきました
・・・と
いつもなら
ここで美しく終わるところですが、
この話を今日ブログに書こうと思ったのには
昨夜 ちょっとした面白い出逢い がありましてね
(ここからちょっとテーマが変わります)
こちらが昨夜名刺交換した方々
● 平清盛様
● 源義経様
● 建礼門院徳子様
そうそうたる面々でしょ~
香川は 源平ゆかりの地
「かがわ源平紅白キャラバン隊」 として
来年3月までお働きになるそうです。
その役者さんたちと
ひょんなことからお会いしたのですが
私はついつい 剣山の話 を熱く語ってしまいまして・・・
というのは
剣山のいくつかの神社のご祭神が 「安徳天皇」 だから。
建礼門院徳子さんにお伝えしましたが、
「あなたの息子さんの安徳天皇は
壇ノ浦の戦いで生き延びたことになってるんですよ!
剣山では」
という話です。
すると皆さん
剣山にとっても興味を持ってくださり 「ぜひ行きたいです!」 と。
そして、
どんな話の流れなのか
私が香川でよく訪ねる MYパワースポットの 水主(みずし)神社の話に及び
そこにも興味を持ってくださり
「水主神社、ぜひ行きたいです!」 と。
(いい感性をしてる方たちだワ~)
昨夜 そんなやり取りがあったので
改めて 「奧祖谷」 のことをネットでなにげに見ていたら。。。
◆祖谷地方に伝わる平家伝説
寿永4年(1185年)2月19日、平氏一族は讃岐屋島の戦いで源氏に敗れ、
生き残った武士たちは散りぢりに逃れていきました。
祖谷地方に伝わる伝説によれば、平教盛の次男 平国盛(教経)は、
安徳天皇を奉じ、手勢百余騎を率いて陸路東に逃れ、
水主村(現東かがわ市)にしばらく潜伏した後、
大山(阿讃山脈)を越えて吉野川をさかのぼり、
寒峰を越えて山深い祖谷山の地に入ったといわれています。
→ コチラのサイトより
へぇぇぇ~
剣山 奧祖谷 ばかりか 水主神社も平家ゆかりでしたか~
自分では 意味もわからず
ただ 行きたいから 好きだから と
心に従って訪れている 場所と場所をつなぐ
ピースをいただいたようです。
この魂旅 (たまたび) が
次はいったい いずこへ誘ってくれることやら~
剣山本宮例大祭ストーリー ようやく FIN
「自分クレドをつくるセミナー」開催します!
8月11日(日) 8月18日(日)
◆詳細ご案内ページ → コチラ
◆詳細ご案内ページ(携帯版) → コチラ
◆チラシPDFデータ → コチラ
◆お申込は → コチラから
ナオコマル公式サイトもきてね~
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ナオコマルです。
ひゃっほ~~
これは人力ロープウェイ
「野猿 (やえん)」 と呼ばれる乗り物です。
ここは何処か・・・?
こちらは剣山系エリアのある
奧祖谷(おくいや)。
7月21日の剣山本宮例大祭に参加した時の
続きのお話となります。
→ 天空でのお祭り ~剣山本宮例大祭ダイジェスト~
→ 剣山で開くご縁
あの日 実は私たち
剣山から高松にまっすぐに帰れなかったのです
朝から夕方まで じゅうにぶんに 剣山での時間を堪能し
「さぁ 高松までは遠いし そろそろお山を降りないとね」
朝はあんなにたくさん車が止まっていた駐車場も
もう私たちの車が最後の数台・・・
「では 剣さ~ん ありがとう~ また来るね~」
とお山を後にし
20~30分走った頃。。。
我らが 「ともさん号」 がたどり着いたのは
・・・
・・・
「あれ?? なんで私たち ここに来ちゃったんだろう」
昨年実施した剣山リトリートツアーの下見で
ここに来ていた私は目をパチクリ・・・
そこは
「奥祖谷二重かずら橋」 だったのです。
(高松とは逆方向です)
この日 私は剣山のリフト乗場で
看板状のエリアマップをみたとき
なぜか
「奥祖谷二重かずら橋」 が目に入ってきていたのですが
奥祖谷 からのアピールだったのかしら~
随分奧に来てしまって
ここでゆっくりすると 帰りは暗い山道ドライブになるなぁ~
と思いながらも
こりゃ遊ぶしかないね
と
雨あがりの夕刻
やわらかい陽射しの中
ここにいると 本当に違う次元にいるようで
「まるで夢を見ているようやね・・・」
おとぎ話にあるように
ふっと 夢の国に連れて行かれる・・・
って こんなカンジなんだろうなぁ。
本当に 思いがけない ギフトな時間を
剣山からいただきました
・・・と
いつもなら
ここで美しく終わるところですが、
この話を今日ブログに書こうと思ったのには
昨夜 ちょっとした面白い出逢い がありましてね
(ここからちょっとテーマが変わります)
こちらが昨夜名刺交換した方々
● 平清盛様
● 源義経様
● 建礼門院徳子様
そうそうたる面々でしょ~
香川は 源平ゆかりの地
「かがわ源平紅白キャラバン隊」 として
来年3月までお働きになるそうです。
その役者さんたちと
ひょんなことからお会いしたのですが
私はついつい 剣山の話 を熱く語ってしまいまして・・・
というのは
剣山のいくつかの神社のご祭神が 「安徳天皇」 だから。
建礼門院徳子さんにお伝えしましたが、
「あなたの息子さんの安徳天皇は
壇ノ浦の戦いで生き延びたことになってるんですよ!
剣山では」
という話です。
すると皆さん
剣山にとっても興味を持ってくださり 「ぜひ行きたいです!」 と。
そして、
どんな話の流れなのか
私が香川でよく訪ねる MYパワースポットの 水主(みずし)神社の話に及び
そこにも興味を持ってくださり
「水主神社、ぜひ行きたいです!」 と。
(いい感性をしてる方たちだワ~)
昨夜 そんなやり取りがあったので
改めて 「奧祖谷」 のことをネットでなにげに見ていたら。。。
◆祖谷地方に伝わる平家伝説
寿永4年(1185年)2月19日、平氏一族は讃岐屋島の戦いで源氏に敗れ、
生き残った武士たちは散りぢりに逃れていきました。
祖谷地方に伝わる伝説によれば、平教盛の次男 平国盛(教経)は、
安徳天皇を奉じ、手勢百余騎を率いて陸路東に逃れ、
水主村(現東かがわ市)にしばらく潜伏した後、
大山(阿讃山脈)を越えて吉野川をさかのぼり、
寒峰を越えて山深い祖谷山の地に入ったといわれています。
→ コチラのサイトより
へぇぇぇ~
剣山 奧祖谷 ばかりか 水主神社も平家ゆかりでしたか~
自分では 意味もわからず
ただ 行きたいから 好きだから と
心に従って訪れている 場所と場所をつなぐ
ピースをいただいたようです。
この魂旅 (たまたび) が
次はいったい いずこへ誘ってくれることやら~
剣山本宮例大祭ストーリー ようやく FIN
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