ここ最近5月病と言いますか、

ちょっと自由にならない時間ばかりで、

あいも変わらずぱつんぱつんになっていた。


それとこの時期はいつも自分の誕生日前と

仕事の閑散期にはさまれて、


年々本当に深く色々な事を考えて

ナーバスになっている。


自分のしょうぶんは、

頑張れば頑張るほど考える範囲や

行動範囲が広がっていくタイプ。


一昨日も自分の会社以外のこと、

商店街の会計監査に追われて

ずいぶん追い込まれていた。


昨年のこの時期は自分が何をすればいいのか、

足りない色々なものから逃れたいという欲求との、

もんもんとする毎日だった。


今年は昨年の成果を経て、

勢いや流れでは何か物足りないと思う自分がいる。


自分のしょうぶんと書いたが、

もともと自分は「死に生きる」タイプだ。


こう書くと物騒だが死生観と書けばしっくりくると思う。


人間いつか死んでしまうのだから、

後悔のないように文字通り必死に生きようという事だ。


こういう生き方はやっぱり自分にも周りにも

嘘は付けないしやりがいもある。


ただ頑張っていてやっぱり自らしんどくしている感はある。


正しいと思うことを正しくやっていけばいくほど、

自分に正直になりつつもしんどくなる。


ただ最近は

そんな生き方ですが少し余裕を持てるようになってきたみたいだ。


小さい頃はやはり未来に生きる。


将来の夢や希望の為に色々と頑張る。


死生観は割とちびっこの頃からあったので、

そんな子供の未来への生き方はやはりちょっと不思議な子だったと思う。


そんな育ち方をしてきた。



今は数日前から「今に生きる」という楽しみ方を、

少し意識している。


自然の息吹。リラックス。今目の前の幸せ。


こんな事は少し前はこれも変な表現ですが

罪悪感や照れ隠しがあった。


「そんなのまだまだ先だろう」という

自分自身への戒めだと思う。


ただやはりいつも緊張をしていると、

それだと自分に入ってこない何かに気付く。


道楽だとか楽観とかそんなものではなく、

心の余裕へ流れ込んでくる新しい自分の成長。


そんな一日の楽しみかたを、

36歳という年男の年に頑張ってみようかと最近思う。


そして、今と未来と死に向き合って、

それぞれを自分自身へ上手に切り替えて、

生かして生きたいと思う。



そんな事を考えているここ最近です。


今と未来と自分の死へのハッピーの為に。



自分の誕生まで一ヶ月弱。

少し余裕を見て時間を流れたいと思います。



それでは。