臓器移植法改正に思う | 鈴とEveryday☆

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重症新生児仮死、低酸素脳症、人工呼吸器使用。
そんな鈴さんと生きる道。
   

入院前から気になっていたこのニュース。

入院中、あるテレビ番組の特集を見て、少し思うことがあったので書きたいと思います。


WHOの決議を控え、臓器移植法改正についての意見が活発化しています。

私は、2番組ほど、この臓器移植法改正についての特集を見ました。


まずお断りしておきたいのは、私は移植する側に近いところにいるということ。

なので、かたよった意見にはなるかと思いますが、お付き合いください。


私は基本的に、国内の移植が可能になることは賛成です。

わざわざ高い費用を払って、異国の地で手術を受けるなんて、親にとっても子にとっても

不安であり、負担がかかることでしょう。


しかし、ドナーというと、勝手ながら 少し考えるところがあります。


以前にも少し書きましたが、お金を出す事はできる。でも・・・・という気持ちです。


ある番組の小児科医は 「提供する側の親の悲しみをもっと知るべき」と言っていました。


別の番組の移植を受けることなく亡くなられた親御さんに対して、記者は

「あなたのお子さんが脳死であったなら、移植をされますか?」と聞いていました。


それに対して、ご両親は「誰かの命が助かるなら移植する」と答えていました。

そして「誰かの中で生き続けることが出来るなら・・・」と。


私に言わせれば、それは移植を受ける側の意見です。



前日までお腹の中で元気に動いていました。

何の疑いもなかった。生まれてくるのが楽しみでしょうがなかった。


でも翌日、全く動かない姿で 鈴は生まれました。

脳死 とは言われていませんが、素人の目には、たいして差がありません。


同じくこの世に生を受けながら、「おめでとう」の一言もなく

呼吸器と共に生きる姿を、受け入れなければならなかった私の気持ちを誰が知るのか。


身内からでさえ、非難を受けます。


生きている命なのか、生かされている命なのか、幸せなのか・・・


どれほど、思い、悩み、苦しみ、涙してきたことか。


未だにまだ 鈴の状態を誰にでも話せる!という心境にありません。



世間一般的にいうと、移植をされる側の気持ちの方が分かりやすい。

それは何故か。 


子供自身も訴えることが出来るからです。


大きな目を開き、笑顔をみせる。誰しも、その笑顔を守りたいと願うことでしょう。


かたや、鈴は、訴える手段をもっていません。

目をそらされ、なるべくふれないようにする扱いを受けることがほとんど。


差は、歴然です。


私は、この法律が定まることによって、いくら脳死基準が厳格化されることがあっても

抜け道はいくらでもあるので、鈴のような子供達が生きにくくなるのではないかと危惧しています。


だって、私自身が医者であるなら、笑顔や言葉を発する子供の方を守りたいと思うはずだから。


鈴は、優しい先生達に囲まれてきましたが、「おかあさん、助けちゃいました」という医師も

全国には、いるのだとか。


勿論、長く生きられないのであれば・・・・とか 呼吸器をつけてまで・・・と思われる親御さんも

きっといらっしゃるのだと思うので、国内で移植が出来れば道は開けます。

それはいいことだと思うのです。


でも、なかなか思い切れない現実もまたあるのだということを知って欲しいと思います。


我が子を思う気持ちは、皆同じ。


大切な我が子を守りたいと願い、その可能性を信じたい。


そして何よりそこにいてくれる・・・それだけで幸せな気持ちになるのです。



何故、呼吸器をつけて生きると責められ、臓器を提供して下さいと願う子は責められないのでしょう。


横田俊平会長は「移植を受ける子の人権を考えなければいけない」と言っているそうです。


では、移植をする側の人権は?と私は言いたい。


鈴の場合でいうと・・・はえないと言われていた歯が生え、爪も伸び、身長も伸び

体重も増え、どんどん顔つきも体つきも、乳児から小児へ成長していき、

長く生きられないと言われた命がもうすぐ3歳を迎える。


同じなのです。子育てに、障がいの有無や脳死かどうかなんて問題ではない。


ある人は、私に言いました。


「人間は、わがままになりすぎた。医学が進歩し、助けられない命が助けられるようになって

人の願いは何処までも続く。皆、そこまで。を大事にしない」と。


でも、はるっぺは、きっと昔だと生きられなかった。医学が進歩してきたからこそ、1400gで

生まれても、今、元気で生きていられるのでしょう。


そう考えると医学の進歩は、すごいものがあります。けれど他方、それまで考えられなかった

迷いや思いを生み出すこととなった。


世の中、みんながみんな同じ意見であることはないでしょうし、必ず反対意見はでます。

その声が大きいか小さいかだけのこと。


私も移植さえすれば、元気になれるのであれば、移植を・・・・と願う親御さんの気持ちも

分かるような気がしています。


けれど、逆は?提供する側の気持ちをどれほどの人達が知りうることが出来るのでしょう?

私自身も、鈴がいなければ知りうることが出来なかったことです。


ということは、移植を望む側の意見の方が、大衆に受け入れられやすいということ。



移植を!!と願う気持ちも分かりますが、逆の家族のことも、もっと知って欲しいと思います。


楽しみにしていた我が子が突然、動かない姿で生まれた事への戸惑い。


昨日まで元気に生きてきた我が子の突然の不慮の事故・自殺。


色んなパターンが考えられ、そこへは子への親の思いが存在します。



世の中一般でいう、植物状態でも、そんなにしてまで・・・・と思われていても

親にとっては、大事な子供であり、色んな可能性を信じ、そして何よりそこに生きていてくれる

それだけで、幸せであり、愛おしい。


そんな気持ちを、同じ親として知って頂きたい。


私的にいえば、移植をしたところでその子の中で我が子が生きるわけではないと思っています。


移植をしてそのお子さんへ我が子を重ねる事は、失礼きわまりない。

一人一人、人生がある と思っているからです。



なかなか受け入れられない鈴の生き方を、ここではたくさんの方に応援して頂いています。

本当に心強く思っています。


何度か記事に書いてきていますが、言葉を発せず、表情もない鈴の事を

親以外、誰が可愛いと思ったり、頑張って!と声援を送れるだろうかと考えていました。


非難の言葉をあび、ブログを閉鎖しなければならないであろうことを覚悟して

始めたブログでした。


それが・・・・・・鈴の生き方も一つの生き方としてとらえ、応援してくださる方々がたくさんいて

本当に幸せに思っています。


自分だけが、信じていればいい!と思う道だけれど、やはり、気持ちが折れそうになった時に

応援して頂ける声があると嬉しく、力強いものです。私もどれだけ励まされてきたことか。



難しい問題です。

しかし、命を失う重さは同じ。子を思う親の気持ちは同じ。


簡単に移植をするなどと口にだすことが出来ない気持ちが、あるのだということも

知って欲しいと思います。


何の目覚しい変化がなくても、自分達に分かる成長や変化があるのだと

どんな判定が下ったにせよ、あるのだと言う事を知って欲しいと思います。


今日、笑っている影には、泣いて泣いて泣いて泣いて、考えて考えぬいた日々があるということも

知って欲しいと思います。


臓器を下さいという事は、どういう重さをもっているのか知って欲しいと思います。



たくさんの命が救われて、将来が広がるといい。

そう思いつつも、我が子を差し出すことが出来ない私。


普通に生きていれば考えつかず、移植をされる側を応援しがちですが

その裏には、深い苦しみや悲しみを持っている家族がいることを


でも、そんな家族も、たとえ、呼吸器の力を借りようとも、そこに生きていてくれる我が子がいれば、

幸せを感じる事ができるのだと私は知って欲しいと思います。



なんだか支離滅裂な文章になっているかと思います。どうぞお許しを。