『風の影』 | 本だけ読んで暮らせたら

『風の影』


    
風の影  上・下 (2001)

カルロス・ルイス・サフォン/著、 木村裕美/訳、 集英社文庫(2006)



1933年から1965年までのバルセロナを舞台に、2人の主人公を中心に描いたドラマティス・ペルソナエ(人間たちのドラマ)


“ドラマティス・ペルソナエ” というのが、この作品の最終章のタイトルであるが、最終章に限らず全編が人間たちのドラマである。


『三銃士』のアレクサンドル・デュマや『薔薇の名前』のウンベルト・エーコ、『五輪の薔薇』のチャールズ・パリサーなどの重厚なゴシック小説、そして、マイクル・コナリーやジェイムズ・クラムリーなどのハードボイルド作品、さらに、ディクスン・カーやアガサ・クリスティなどの本格ミステリ作品・・・、それらの作品が渾然一体となったような小説である。・・・・・つまり、ジャンルは良く判らんが、超オモシロ小説であるということ!



幕は、10歳の少年ダニエルが古書店を営む父に連れられて “忘れられた本の墓場” を訪れるところから開く。

“忘れられた本の墓場”とは、誰の記憶にもない本、時の流れとともに失われた本が行き着く場所、そして、いつの日か新しい読者の手に、新たな精神に行き着くのを待っている場所である。

この場所を訪れたものには1つの約束事がある。どれか1冊の気に入った本を選び、この世から消えないように、永遠に生き永らえるように守って行くこと・・・・・。

本の迷宮の中から、ダニエルが運命に導かれて選んだ1冊は・・・・・、 フリアン・カラックス著 『風の影』 


おそらく大半の読者は、この開幕と同時に物語に惹き付けられ、抜け出せなくなる。



『風の影』に感動したダニエルの興味は、作者フリアン・カラックスへと向かう・・・。

フリアンの父母と生い立ち、フリアンの周辺にいた友人達、フリアンが陥った罠・憎悪・運命の愛。

謎の作家フリアンの過去を調べ始めたダニエルの周辺に起き始める数々の奇妙な出来事。

フリアンの謎を探る一方、ダニエルは自身の成長とともに初恋の苦い味を体験し、友との関係に悩み、また、抑えきれない恋愛感情を抱く相手に出会う。


ふ~っ!読んでいて疲れる。横になって読んでいる私の首筋が力んでいる。面白すぎて、のめり込んでしまう。

まったくもって正統、王道の物語である。奇をてらった叙述や、読者を惑わす表現など一切ない。ストーリーの力だけで引っ張り込んで行く。

そして、優れた小説はキャラクター。この小説の登場人物たちも、一人ひとりに与えられた人格が明瞭で、魅力的である。

私のお気に入りは、フェルミン。ホームレスだったところをダニエルに拾われ、ダニエルと彼の父の古書店の店員になったフェルミン。優秀な官僚(スパイ)だった彼はスペイン内戦で失脚し、その後も、バルセロナ警察のフメロ刑事から追われている。女好きでイイカゲンな男。この世のあらゆる物に対して斜に構え、誰にでも軽口を叩く。しかし、世の中や人間に対する洞察力に優れ、ダニエルに対しては忠義心に溢れている。


フリアンを愛する幾人もの女性達、ダニエルに関わる女性達、フリアンとダニエルの両者に関わる女性。この小説に登場する女性たちは、たった一人を除き誰もが悲しい結末を迎える。その悲劇に対して感情移入できるのもまた、この作者のキャラ造形の力による。

他の登場人物たちも、ストーリーの展開に関与しないものは誰一人としていない。見事なキャスティングである。



『風の影』の著者フリアンに纏わる過去の謎と、ダニエルの周辺に生じる出来事がリンクするクライマックス。

ダニエルが、フリアンと深く関わった女性から受け取った手紙の内容が開示されるとき・・・・・

読者は、フリアンの過去と現在のダニエルの状況に不思議な照応を見い出し、ますます物語に嵌まり込んで行くことになる。こうなると、徹夜を覚悟しないわけにはいかない。


読み終わったのは明け方。

物語もまた、暗い夜が明け、未来を見渡すエンディングだった。

堪能した。


なんでも、この『風の影』は、「忘れられた本の墓場」4部作のうちの1つなのだそうだ。

今後、3作の翻訳を待たないわけにはいかない。