論証の長さ | 司法試験ブログ・予備試験ブログ|工藤北斗の業務日誌

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資格試験予備校アガルートアカデミーで司法試験・予備試験の講師をしている工藤北斗のブログです。司法試験・予備試験・法科大学院入試に関する情報を発信しています。時々弁理士試験・行政書士試験についても書いています。

よく私の論証集について指摘されるのが,論証が長すぎるという点です。

まず,誤解がないように明確にしておきたいのですが,論証集の掲載の論証は常にそのまま答案に貼り付けるものではありません。
問題によって論点の比重が異なる以上,これは当然です。
外販書籍の論証集のはしがきにも書いていますし,また講義中にもその点は何度も指摘しています。

その上でですが,なぜ基本的に「長め」の論証を掲載しているのか,ということですが,それは「長い論証を短くすること」は可能であっても,「短い論証を長くすること」は不可能だからです。

どういうことかといえば,例えば甲という問題においてはAという論点のみが問われていて,乙という問題においてはA~Dという論点が問われているとしましょう。
この場合,甲においてはAという論点のみが問われているのですから,フルスケールで論証しなければなりません(場合によっては反対説まで記載すべきでしょう)。一方で,乙においてはA~Dという論点が問われているのですから,Aはよほどのことがない限りフルスケールでは論じません。自説の結論と簡単な理由づけだけ,ということが多いのではないでしょうか。

この甲乙という問題について考えてみると,「長い論証」を(理解して(以下略))覚えている人は,甲においてはほぼそのまま論証を吐き出すことで処理をし,乙においては論証をコンパクト化することで処理をすることになります。
一方,「短い論証」しか覚えていない人はどうでしょう。乙を処理することはできても,甲の処理においては少なくとも「長い論証」を覚えている人に書き負けてしまいます。また,乙の処理においても,「長い論証」を覚え,臨機応変に組み替えて,論じる人と比べると見劣りしてしまうことが多いように思います。

自分の理解を超える物事を表現することはできません。また,ある物事について,理解を凝縮して人に伝えるのと,理解したまま人に伝えるのでは,同じことを伝えているつもりでも差が生じてしまいます。

この点について,刑法の小林憲太郎教授は次のように指摘されています。
試験「時間を増やされたら細かい論点にふれ,あるいは論証を全体的に厚くするなど,それなりの仕事を加えるのである。……制限時間が60分から90分へと延びるのに比例して,答案の出来が向上するようならば,それは非常に良い傾向である。逆に制限時間を延ばされても,新たに何を書き足せばよいのか分からず,筆を置いてしまうのは勉強が足りない証拠である。」(島田聡一郎=小林憲太郎・事例から刑法を考える(初版)111頁[小林憲太郎])「10を理解したうえで8を書くのと,8を理解したうえで8を書くのでは,全く印象が異なる。……『私は8までしか読まないぞ,理解しないぞ』と決め込むのは,……試験対策的すぎるからいけないのではなくて,そもそも試験対策的ですらないからいけないのである。」(同・166頁[小林])

論証も同じことなのですね。

理解が伴った暗記ならば,論証を臨機応変に短くすることはいくらでもできます。
受験生の皆さんには,まずは理解した上で,フルスケールの論証を暗記し,問題に応じて論証を縦横無尽に使いこなすことができるようになってもらいたいと願っています。

ちなみに,このように言うと,(新)司法試験の受験生からは,「今の試験では論点が1つで,論証をフルスケールで論じなければならないことはないんだから,やっぱり短いものでいいじゃないか」という声が聞こえてきそうですが,そんなことはありません。今の司法試験では,判例・学説で論じられていない未知の論点について考えさせるタイプの問題が多く出題される傾向にありますが,その際に考える素材となるのは,それまでに獲得した知識・理解です。考える素材のストックは多ければ多いに越したことはありません。未知の問題になればなるほど,それまでに獲得した知識・理解を総動員して考えなければならないのですから,その時になって素材不足を悔やむのはあまりに残念なことではないでしょうか。