発酵
スウィート・ヒアアフター/よしもとばななで
できるだけそっとさせて、その中で何かが発酵したらそれはそれでいいな、みたいな台詞があるのだけれど、私はその発酵を今はとても良いことのように思えるようになってきた。
昔は(まあ今も)せっかちで、答え以外答えじゃない。
答えがないなんてわけがない。
白か黒かだ!みたいな考え方だったんだけれど、今はふわっとしていて明確な色ではないけれど、それが発酵されて、良い具合に膨らんで、素敵な色になる。
なんてことも大いにあるし、それはそれで素敵なことだなと思う。
答えはいつかでる。
なるようになる
逆を言ってしまうのならば何事もなるようにしかならない。
そのなるようにの部分に、もちろん運だったり、努力だったり、他者との関わりだったり、今までの過程も含まれるんでしょうけれど、どんなに焦っても今じゃないものは今じゃない。
明日に想いを馳せても、きちんと今を過ごさなければ明日はやってこないのと同じ。
私は今、友達ととても穏やかに連絡を取り合っているのだけれど、それはそれは緩やかなやり取りで
内容は深い話から、近況や今後の話など様々で、まさにお互いに発酵させ合いながらやりとりしてるわけです。
相手からの返事を待つのも楽しみで、届いたら噛み砕いて、考えて、返事を返すまでに少しかかってしまうけれど、その間も熟考しては返すのを楽しみにして。
まるで文通のようで、あぁなにか大切な感覚を忘れていたのだなと感じる。
あまりにも簡単に連絡がとれて、繋がれて、みんながそれを当たり前にしていて、迅速で、それも素敵なことだけれど、あぁこの間にあるいい感じをお互いに育てながらまた送り合うその感じ。
その楽しみ。
これが発酵なのかなと、それならばその期間はなんていいものなんだろうと。
今までは種を植えたら、花が咲くまで待てなかったけれど、それが花なのか、実がなるような樹なのかも分からない。何色なのか、どれほどの大きさなのか、知りたくてしょうがなくて、先走ってしまっていたけれど
どんなに焦っても、先を急いでも、いつか咲くそのいつかは、いつかであることに変わりはない。
だったら、そのいつかの答え合わせまで、今を見つめながらいつかを楽しみにして過ごす方が、先走ってしまうより、ずっと多くの幸福を見つけられる気がする。
じんわり良くなっていく。
観た時よりも、後日とかもっと後にあぁ、あれすごくよかったな。あのシーンがもう一回みたいな。
なんて思うのもあるよね。
私にとって
死ぬまでにしたい10のこと
はそういう映画だったと思う。
人生という感じが、等身大のあの感じがたまらなくなる時が後になってきた。
大きすぎることもなく、小さすぎることもない。
誰かを愛していて、自分がいて、生きていて死ぬ。
その人生を見た感覚。
ドラマチックすぎないそのリアルさが
じわじわと染み込んできた。
発酵。今回の文章の中での意味合いはとても良きものだと思う。
急ぎ過ぎる私にとって、大事なキーワード。
人生はドラマチックなんかじゃないかもしれない、魔法もシンデレラストーリーも奇跡も実感出来ないかもしれない。
それでも一冊が書き終わる頃には、何にもなかったかのように思っていたものたちも、影響し合って発酵して、思ったよりもずっと膨らんでいるかもしれない。