過去へのトリップ。 | No bitter, no sweet☆No pain, no smile.

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寝る前に布団の中で考える。

明日の朝、目が覚めたら、1日だけ中学生くらいに戻れないだろうかと。

切に。



とりあえず、学校行って旧友たちに会い、授業を受けたい。

「学校だる~」って思っていた学生時代。
大人たちが「授業受けたい」とか「給食食べたい」って言っていた気持ちがわかるようになってしまった(笑)



中学の時は絶賛反抗期中で、

私は反抗期が物凄かったから、いつもツンツン尖ってた。

家ではもちろん、
学校でも本当に気を許した友達としか話せない。

もっとまんべんなく付き合えていれば、また世界も違ったのかもしれない。



中学に上がる前に転校したのが大きかったかな。

すでに出来上がってる女子のグループに受け入れられない。
「違う、私が受け入れていないのだ」と突っぱね、ひとりで過ごした時間があったな。

あの頃は強がりでそんなふうに思っていたけど、
本当は、本当に私の受け入れませんな姿勢が人を遠ざけていたのだろうね。


元々いた学校の友達が良かった。



それでもそのうちにそれなりに付き合えるようになって、
合わせることを覚えた自分が酷く嘘つきに思えたことを覚えてる。



中学生の頃に1日戻れたら、

1日を一生のように過ごすかもしれない。


厳しかった祖母に「うるせぇ、クソババア!」と反発しまくった。

長く癌を患って入退院を繰り返していた祖母。
私が中学3年の秋に他界した。

厳しかったから、
いつも厳しい目で私を見ていた記憶ばかりだから、
やっぱり自分は受け入れてもらえてないのだという思いで反発した。

1日戻れたら、
祖母のシワシワな手を私から握り、たくさん話をしたいな。



そして、夕方になると台所に立つ母に「お弁当ありがとう。今日も好評だったよ」と言いたい。

母のお弁当はいつも豪華だった。
だから、友達がいつも「かえっこして」と寄ってきた。

冷凍食品は一切使わず、
ふりかけがポンッと入っていたこともない。

鮭を焼いてほぐしてごはんにのせたり、
そぼろを作ってのせてあったり、焼肉がのっていたり、のせるネタがない日はおにぎりやサンドイッチ。

おかずも、スコッチエッグを揚げたものや鶏の照り焼き、海老フライ、唐揚げ、ハンバーグ。
すべて朝作った作りたてが入れられていた。

毎日だよ?

運動会なんかは御節レベル。

それが当たり前すぎて、その感謝を伝えたことは一度もなかった。


それどころか、
他の子の冷凍食品やコンビニのパンなんかが私には珍しくて、
「たまにはコンビニにして!○○ちゃんとかよく菓子パン食べてるもん!」なんて言ってたな。



けど母もまた愚痴の多い人だった。

「こんなん好きでやってるわけじゃない」オーラが満載だった。

すると受ける側も素直に感謝できないんだよね。

だから「そんな言うならやらなきゃよくね?」って思っていたけど、

今の私もおんなじ「やらなきゃ仕方ないじゃない」っていう、「やらない」の選択肢がないんだよね。

でもそこに感謝がほしい。



だからね、「ありがとう」って言いながら母の作るごはんを食べたい。

「おいしい、おいしい」って。



たくさん話をして、
たくさん笑いあって、

そして一生のような1日を終えて、私は娘と眠るベッドに戻るんだ。





姉は言う。
「もう一度、赤ちゃんの頃の息子に会いたい」って。


だからきっと
私が今、流れるように過ごしている今日も
いつかの私からしたら、一生のように過ごしたい1日なのかもしれないんだよね。


もう一度、娘を抱っこしたい。

頬に触れてほしい。ママママって追いかけてほしい。って。


だけど正直、娘がグズる日は早く1日が終わってほしいし、
娘が眠りについたらホッとする。


なかなか気付きながら生きるというのは難しいもんだ。