かなり内容が暗くなるので、読みたくない~っていう方は、読まなくてもOKです。
ごめんなさいね。
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私が「性」を体験するようになったのは、まだ小さい頃から…
記憶にはないんだけれど、3~5歳の時から…
その時から、「性」はとても切っても切れない関係にありました。
当時の私は、「性」の話をするのは恥ずかしいもの、として 周りに誰にも言えなかったり
学生の時は、彼氏が欲しいのに、男性恐怖症だったり…
男たちがY談をしている事に嫌悪感を感じたり、
A○にのっているを観て、それは違うーって それを観てる男に対して嫌悪感を持ったり…
まぁ、他にもいろいろ いろいろ いろいろ・・・ ありました。
今思えば 「性」に対して、くらーい人生を送っていたなぁ。
その時に受けた心の傷の痛みが残っていて、
それが私の人生に、性格に影響をおよぼしていました。
「性」は「自己」、「自己愛」にも繋がっているというのを最近気づいて、
だから今の私があるのは、そういった経験、痛みがあったから、
それに対しての嫌悪感、拒否、否定、怒りを持っていたんですね…。
そんな私の心の闇を溶かしてくれたのはやっぱり『愛と性』でした。
何もかけがえのない、あるがままの自分を愛してくれる『無償の愛』
女を “女”たらしめてくれるもの
女を 女神にしてくれるもの
それは『益荒男(ますらお)』さんなんですね。
サロンまるよさんのブログにピッタリな言葉があります。
男も女も 同じ“母親”という女性のエナ(子宮)から生まれ
“お父さん”という男性、“お母さん”という女性が築いている“家庭”の中で育まれる。
男性(お父さん)と女性(お母さん)二人の愛し方によって、
その中で育ってきた子どもは、その“愛”を引き継いでいく。
そう思うと、自分もそうだし、今の世の中って、今まで育ってきた環境によって
出来ているんだなぁって感じています。
『性』って両面の性質を持っていて
「自己」という、ネガティブな事も恥ずかしいこともすべて自分で認めて愛してあげれば、
それは『聖』になり、自分にピッタリなパートナーと出逢えるんだなぁ。
もしそれが、自分で自分を否定することになったら、そのような男に出逢うことになる。
自分はどのように“生きたい”か。
それによって、そのようなパートナーと巡り会うと私は思う。
思う、っていうか、実際にその通りだから。
女を生きて「36年」
「性」を知って「31~33年」
ジェムリンガ&リュウジュと出逢い、このようなカタチとして
自分の『性』をしっかりと見つめるのは初めてかな。
いや、前にもそういった事を記事に書いていたけれど、
本気で取り組もうって決めた時に、改めて「自分」を見つめなおしている。
見つめなおしたときに、31年は 本当に長いなぁって 自分でもびっくり。
31年、少しずつ少しずつ「性」に関わっていたからこそ、今、点と点が繋がってきたんだなぁ。
そして、いろんな出来事や問題が浮かび上がってきたんだな。
まるで自分に対して“嘘”がつけないかのように。