満潮になると、今でも町が海水に浸る。
高橋さんと芳賀さんの車に乗って
お二人のお話を聞きながら町を見せてもらう。
気仙沼→南三陸町→陸前高田市へ
連れて行ってくださいました。
まず、多くの人が避難していた魚市場へ。
ここからの映像を、テレビで見ました。
この海の間を、火のついた材木が流れて、
岸にある建物が燃えたそうだ。
津波で、火災が起こるなんて知りませんでした。
魚を入れるケース。
これで命が助かった人もいた。
1年半て・・
もう、なのか。まだ、なのか。
穴のあいた建物は、残ってる。
穴があかなかった建物は、流された。
残った建物も、燃えたりした。
がれきを、土と木材などに分けている。
土の中には、ガラスの破片が入っていて
ライトがあたるとキラキラするらしい。
駅も、線路も流された。
その線路があったところに、バスのレーンを敷いた。
今はバスが走っている。
芳賀さんは、津波の時、船を沖に出した。
それで、船は生き残った。
沖まで出られなくて、そのまま帰らなかった船もあるそうだ。
これは駅のホームだった。
世界のみなさん、ありがとう。
子どもたちからのメッセージ。
ありがとう、と言える彼らに、ありがとうと言いたい。
陸地に取り残された船
もう、海には帰れない。
この船がある場所は、駅前の住宅街だった。
海が見えないのに、津波が来る。
どこへ逃げたらいいのか、わからないと思う。
目に見えるのは、草の生えた土地でした。
静かでした。
でも、そこには町があった。
私は何をすればいいんだろう。
考えさせられました。
今でも泊り込みの
ボランティアの方による作業は続いています。
実際に、体を動かして、手を動かしている人たちがいて
私は何ができるんだろう、と思っています。
「まず自分たちでやらなければ。」
お二人はそう言っていましたし、実際にみなさん
休む暇なく動かれています。
③へ続く>