スポーツ選手への体罰へ意見 ブログネタ:スポーツ選手への体罰へ意見 参加中

しかしねぇ~・・・過熱気味の報道姿勢が事の次第を行き着くとこまで来させたというかなんと言うか・・・スポーツ選手に対することであれ学校での教師から生徒への行為であれ『叩く』と言う行為を全て一括りに『暴力』としてしまうと言う姿勢そのものが問題ではないかと思うのですが・・・

何よりも怒りを感じるのは過去にあった行為を事細かに掘り起こし論いそれを叩き上げるかのように一連に悪と決め報じる徳も何も無い姿勢は正に虐めそのもの、こんなモノはやはり正義感の取り違えってモンではないだろうか??

とある一人が働いた一つの不正行為や過ちをネタに周りが寄って集って虐めあげる、そんな姿勢と大して変りはない。

やっぱり熱く厳しく指導する中で頭をぺチンと張ったりなんてコトは多かれ少なかれあると思うが、そんな事まで暴力行為と捉えるなんてやはりどうかしている。そしてそこから飛び火しキツイ言葉等も言葉の暴力として徹底的に締め上げるとは・・・コレでは厳しく指導すると言う事そのものが悪であると言うことにもなりかねず、コレでは日本のスポーツ界そのものの弱体化に繋がっていくことは間違いない。

既に武士道から受け継がれる精神論は古く野蛮であると完全に否定されてしまっているし・・・

厳しく辛い指導の元繰り返される練習の中で何事にも負けない挫けない強靭な精神と肉体を作り上げその中から抜きん出たつわものが頂点を目指す逸材となっていく、やはり技術の向上も然る事ながら強靭な精神力を培いその中で喝を受け痛みを知り徳を養う事もやはりスポーツの大きな目的の一つと私は思う。

こうした厳しい指導姿勢を勝利至上主義と報道機関は批判するが、いざ何か大会で良い結果が出せなかった時『惨たる結果に終わった』と指導方針を批判し締め上げるのはやはり同じ報道機関、こうした姿勢からも報道姿勢の心無さと徳の無さが窺える。

日本人の精神と肉体の弱体化が叫ばれ久しいが、そうした日本的な精神論を古い考えと否定し取り違えた欧米型理論を新しい考えと以上に崇めたことがそれを加速させた事は間違いない。

全ては戦後の自虐史観から起因する武士道の否定から来るものだろうが、日本は独自の精神論で肉体と精神を鍛え上げ教育の中で己の体に痛みを知り刻み込みそしてその中から相手の痛みを感じ徳を養う事で独特の国民性を作り上げ、世界でも尊敬される品格を作り上げたということを忘れてはならない。

でもやはり体罰も行き過ぎてしまえば暴力なのでしょう、やはり私も暴力は肯定しないしやってはならない事だとは思うが、でも全ての体罰を否定してはいけませんよ!

教育現場でも悪さをすれば教師から痛みを伴うペナルティーを受ける、悪さをすればペナルティーを受けるのは当然ですからね。

そんな子供ばかりでは無いと言うことは前置きしておきますが、力の理論の中で生きる子供たちにとっては殴る事もない教師は当然怖くも何とも無い、そりゃ当然言うことも聞くはずはないですわな・・・

自分が痛みを知る事で人の痛みも知りそして己の罪の深さも知る、やはり怖さと痛みを知ると言うことは教育においても大切な事だと思います。痛みを知ると言うことはやはり真の心の教育と言うものではないでしょうか??