Acceptance ありのままを受け入れる
こんにちは。オーストラリアのメルボルン在住のナチュロパス(自然療法師)なみです。
2013年に書いた記事。再投稿します。
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仕事柄何らかの重篤な疾患を持つ方々との関わりが多いです。
自己免疫疾患であったり、皮膚疾患であったり、癌であったり、心疾患であったり、心の病気であったりと、様々な病気を患う方がいます。
病気になり、それが長引いたり、症状が悪化したり、身体能力が衰えたり、死が近づいて来たりすると、『どうしてこんな病気になってしまったのだろう?』と思う方がほとんどだと思います。
『どうしてこんな苦しい思いをしなくてはいけないのだろう?』
『どうして私だけこんな思いをするのだろう?』
そんな気持ちになってしまうこともあると思います。
私の母は64歳の時に大脳皮質基底核変成症という難病だと診断されました。
現代の64歳と言えばまだまだ若いです。
それまでの母は極々普通の60代の主婦といった感じで、子供達も結婚してようやく巣立ち、孫が出来、友達とカラオケに行ったり、温泉旅行に行ったり、 年に1-2回は父と海外旅行に行ったりと人生を満喫していました。
それが10万人に1人という脳の病気にかかり、治療法もなく予後も悪いと 医師に告げられ、本人も家族も絶望的な気持ちになりました。
難病どころか、あまり深刻な病気を患う親類がいなかったものですから、母も私たち家族もその診断に『まさか』『どうして』という感じでした。
それから様々な葛藤がありました。
病気の本人もそうですし、周りの家族にとっても母が難病であるという事実と、変わりゆく母を受け入れる事はとても困難でした。
それまで母に何でも頼って来た父は、一番ショックが大きかったかもしれません。
海外に嫁いできたものですから、父や母に会えるのは1年に1度程です。
弟妹から衰えて行く母の様子や、母の介護と仕事のストレスでやつれていく父の話しを聞く度に胸が痛みました。
中々会えない両親の事を考えると、心配で悲しくて泣いてばかり過ごしていた時期もありました。
帰国をすると久々に会う父と母はどこか悲しそうで、『どうしてこんなことに』という憤りが充満している感じで、見ている側も辛くなる程でした。
でもそれから少し時が経ち、父と母の様子は少し変わってきました。
昨年末帰国した際、久々に家族でお酒を飲みながらゆっくりと語り合う機会がありました。
お酒に少し酔った父は昔母と出会った頃の話しや、スキー場で先に声をかけたのは母だとか、母が遅刻魔でいつもデートの約束の時に待たされたとか、そんな話しを笑いながらし始めました。
父と母は微笑みながら手をつないで、寄り添って座っていました。
思えば母が難病になるまで父と母が手をつないでいるところなんて見た事がありませんでした。
いつのまにか父は歩くときに、介助が必要な母の手をいつもつないで歩くようになっていたのです。
父が『こいつ夜中に、手をにぎって、とか言うんだよ。』と嬉しそうに母の手を両手で握って笑いながら言いました。そんな父を母は嬉しそうに見つめていました。
そんな両親の姿を見て、ああこれがAcceptanceというものなのか、と思いました。
Acceptanceとは『ありのままを受け入れる』という意味です。
良い事も悪い事も全てありのまま受け入れる。
病気の自分も、病気の家族も、健康な自分も、健康な家族も、全て受け入れる。
良くなるかもしれないし、良くならないかもしれない。
生きるかもしれないし、死ぬかもしれない。
そんな全てを受け入れ、そのありのままに感謝をする。
ある出来事に対してAcceptanceまでの感情の過程を示すSARAモデルというものがあります。
S = Shock or Surpriseショックもしくは驚き
A = Angeror Anxiety 怒りもしくは不安
R = Resistance or Rationalization 抵抗もしくは合理化
A = Acceptance 受けいれる
物事を受け入れられるまでには、様々な感情的な葛藤がありますが、どれも全て『受け入れる』ために必要な過程なのかもしれません。
その過程がどんなに苦しいものであろうとも、どんなに時間がかかっても、Acceptanceに到達し『ありのままの自分』や『事象そのもの』を受け入れることで、心に真の平穏が訪れるのでしょう。
Acceptanceに到達したように見える両親の姿を見て以来、母の事を考えて涙で枕を濡らすということがなくなりました。
また、歩けなくなった母、動けなくなった母、話せなくなった母も、変わらぬ私の母であると、ようやく私も受け入れることができたのだと思います。
久々に桜の時期に日本へ帰ります。
桜の時期に生まれた母の誕生日を家族で一緒にお祝いします。
今からとても楽しみです。
2013年に書いた記事。再投稿します。
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仕事柄何らかの重篤な疾患を持つ方々との関わりが多いです。
自己免疫疾患であったり、皮膚疾患であったり、癌であったり、心疾患であったり、心の病気であったりと、様々な病気を患う方がいます。
病気になり、それが長引いたり、症状が悪化したり、身体能力が衰えたり、死が近づいて来たりすると、『どうしてこんな病気になってしまったのだろう?』と思う方がほとんどだと思います。
『どうしてこんな苦しい思いをしなくてはいけないのだろう?』
『どうして私だけこんな思いをするのだろう?』
そんな気持ちになってしまうこともあると思います。
私の母は64歳の時に大脳皮質基底核変成症という難病だと診断されました。
現代の64歳と言えばまだまだ若いです。
それまでの母は極々普通の60代の主婦といった感じで、子供達も結婚してようやく巣立ち、孫が出来、友達とカラオケに行ったり、温泉旅行に行ったり、 年に1-2回は父と海外旅行に行ったりと人生を満喫していました。
それが10万人に1人という脳の病気にかかり、治療法もなく予後も悪いと 医師に告げられ、本人も家族も絶望的な気持ちになりました。
難病どころか、あまり深刻な病気を患う親類がいなかったものですから、母も私たち家族もその診断に『まさか』『どうして』という感じでした。
それから様々な葛藤がありました。
病気の本人もそうですし、周りの家族にとっても母が難病であるという事実と、変わりゆく母を受け入れる事はとても困難でした。
それまで母に何でも頼って来た父は、一番ショックが大きかったかもしれません。
海外に嫁いできたものですから、父や母に会えるのは1年に1度程です。
弟妹から衰えて行く母の様子や、母の介護と仕事のストレスでやつれていく父の話しを聞く度に胸が痛みました。
中々会えない両親の事を考えると、心配で悲しくて泣いてばかり過ごしていた時期もありました。
帰国をすると久々に会う父と母はどこか悲しそうで、『どうしてこんなことに』という憤りが充満している感じで、見ている側も辛くなる程でした。
でもそれから少し時が経ち、父と母の様子は少し変わってきました。
昨年末帰国した際、久々に家族でお酒を飲みながらゆっくりと語り合う機会がありました。
お酒に少し酔った父は昔母と出会った頃の話しや、スキー場で先に声をかけたのは母だとか、母が遅刻魔でいつもデートの約束の時に待たされたとか、そんな話しを笑いながらし始めました。
父と母は微笑みながら手をつないで、寄り添って座っていました。
思えば母が難病になるまで父と母が手をつないでいるところなんて見た事がありませんでした。
いつのまにか父は歩くときに、介助が必要な母の手をいつもつないで歩くようになっていたのです。
父が『こいつ夜中に、手をにぎって、とか言うんだよ。』と嬉しそうに母の手を両手で握って笑いながら言いました。そんな父を母は嬉しそうに見つめていました。
そんな両親の姿を見て、ああこれがAcceptanceというものなのか、と思いました。
Acceptanceとは『ありのままを受け入れる』という意味です。
良い事も悪い事も全てありのまま受け入れる。
病気の自分も、病気の家族も、健康な自分も、健康な家族も、全て受け入れる。
良くなるかもしれないし、良くならないかもしれない。
生きるかもしれないし、死ぬかもしれない。
そんな全てを受け入れ、そのありのままに感謝をする。
ある出来事に対してAcceptanceまでの感情の過程を示すSARAモデルというものがあります。
S = Shock or Surpriseショックもしくは驚き
A = Angeror Anxiety 怒りもしくは不安
R = Resistance or Rationalization 抵抗もしくは合理化
A = Acceptance 受けいれる
物事を受け入れられるまでには、様々な感情的な葛藤がありますが、どれも全て『受け入れる』ために必要な過程なのかもしれません。
その過程がどんなに苦しいものであろうとも、どんなに時間がかかっても、Acceptanceに到達し『ありのままの自分』や『事象そのもの』を受け入れることで、心に真の平穏が訪れるのでしょう。
Acceptanceに到達したように見える両親の姿を見て以来、母の事を考えて涙で枕を濡らすということがなくなりました。
また、歩けなくなった母、動けなくなった母、話せなくなった母も、変わらぬ私の母であると、ようやく私も受け入れることができたのだと思います。
久々に桜の時期に日本へ帰ります。
桜の時期に生まれた母の誕生日を家族で一緒にお祝いします。
今からとても楽しみです。