会社から歩いて7分くらいのところに
子の保育園があります。

紆余曲折のすえ
ありがたいことに、いまは区立保育園に通えています。


家から ちょっと遠いので、
まいにち
子と一緒に、電車やバスに乗って通っています。40分くらいでしょうか。
まいにちだし、たいへんかな とおもいきや
バスの窓に額をくっつけて、あしをバタバタさせながら 外の世界に大興奮している息子を見ると
日々、ゆったりとした時間がとりにくいわたしと子にとって
これが結構、のんびりとしたとろろんとした時間になっていていたり。


子を預け始めた日から数えると、そろそろ9ヶ月が経ち
わたしたちも子も、そういう暮らしや気持ちに
よいかたちで馴染んできています。


けれども9ヶ月前は とてもそんな風には思えず
暮らしも気持ちも揺れに揺れました。


いえ、わたしは
妊娠中から、子どもを預けて仕事復帰する予定でしたし
子がうまれたあとも、とくにそれに対して疑問を持っていませんでした。
3歳まではママの手元でという考え方でもないし
ぜんぜん、平気なはず。


けれども、
いざ本当に預けようとすると
区立の安心できる保育園はいっぱいだし
私立の質のよい保育園だって、いっぱい。40人待ちといわれる始末。
あいているところは、アヤシイ施設ばかりです。

何か所も何か所も尋ねてようやくみつけたベビールームも
「これなら大丈夫」と思えるような場所とはほど遠く

地震がきたら絶対に倒壊するような古いビルに
小さな子どもがびっしり詰め込まれて
給食はレトルトで
先生は、やさしいけれど若いアルバイトさんで


60点だけれど、しかたない。ここにしよう。と思ったり

いや、いいのかな、まだ人生が始まって50日しかたっていない彼が見る世界が
60点でいいのかな。と思ったり

揺れて揺れて
けれども、
そこしか預かってもらえる場所なんてなくて。

まだ首も座っていない、小さな小さな子を
朝から暗くなるまで、あそこに置いてきちゃうんだ と思うと
あー、今思い出しても涙が出ちゃいそうな。


結局、そのベビールームを
とんでもなく高い月極め料金で契約し
子を預けることに。

預ける前の晩、
子の、50cmの長肌着1枚1枚に名前を付けたときの
あの表現しようのない悲しさ。

まだなんにもわからないのに
名前を付けたこんな荷物を持たされて。
名前だって、まだほんの40日ばかり前に決まったばかりなのに。

ちょっとでも先生にかわいがってもらえますように
泣いても先生がイライラしませんようにと
お名前の横にスマイルマークや へたくそな猫のイラストを書いてみたりして。


初日は4時間の「おためし預け」。
預けたとたんに、もじどおり“すっとんで”会社に行って
おひるごはんもたべずに、ものすごい勢いで仕事をしました。
なんだか、あんなところで待っていてくれるんだから
その時間を1秒だって無駄にしちゃいけない気がして。

あっというまに時間がきて、迎えに行くと
子は、いつもとおなじ顔。
まだ、なんにもわかっていないのに と思うと それがまた悲しくて。

たまたま初日に、
子に持たせた哺乳瓶が まちがえて他の子どもの荷物に混ざってしまったとかで
先生が「ごめんなさいね。あす、持ってきてもらうようにするから」と。

今思えば、そんなのよくあることだけれど
なんだかその時は、息子の大事な大事な哺乳瓶がどこかにいってしまったのが
息子の一部をなくされちゃったみたいな気持ちまでしてきて。
あー、ここでまた思い出して泣きそうなくらい。


その後、子は
別の保育園が見つかって、そこに1ヶ月お世話になり
そうこうしているうちに、すてきな保育ママという制度を知って、
そこで2ヶ月間、たっぷり愛あふれるお宅でお世話になって
4月には、いまの区立の保育園に決まりました。


最初のベビールームに預けたときのあの気持は
預け始めだったからかもしれないし
その施設をわたしが信用できていなかったからかもしれないし
なんとも言えないのですが

でもいずれにしても
あんな気持ちで預けてはよくなくて。

「待機児童」なんていうと
ニュースのネタみたいで、なんだか 政治がどうの 子育て環境がどうの 女性の社会復帰がどうの と
しょうもない話になってきますが
実際は、そういう気持ちの揺れとかが、どうにもなくせつないことだったりするので
もっとどうにかならないかな と思ったりしています。


はて。
なんでいまそんなことを、ブログに記しているのかといえば
いまわたし、『ninps 8ヶ月号』に掲載予定の

「子どもを預けるということ」という特集を作っているところなのです。


いろんな気持ちを思い出して
いろんな先輩や専門家にお話をきいて
よい特集になるように、じっくりいろいろ考えているところです。