通貨は財ではなく信用から生まれた―信用貨幣と計算貨幣― (寄稿コラム) | 批判的頭脳

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noteにて、「経済学・経済論」執筆中!

「なぜ日本は財政破綻しないのか?」

「自由貿易の栄光と黄昏」

「なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか」 などなど……


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信用貨幣と計算貨幣について改めて整理しておこう。
主流派的見解では、まずニュメレール財(実物的価値があり、それに基づいて各財と対応し、決済に用いられる財)が何かしら設定される。
そして、欲望の二重一致の必要性を回避するために当該財が交換用通貨として用いられ、後付けで信用経済が出来たとされる。

ニュメレール財が設定されて通貨経済が勃興したなら、それ以前の形態として、十分な規模の物々交換経済が観測されていなければならない。
しかし実際には、原始的な経済であっても、通貨はしばしば先行して存在したのであり、物々交換経済から通貨経済への連綿とした移行の例はない。
これに対して説明を与えるのが、信用貨幣先行論(あるいは、単に信用貨幣論)である。
まずは、贈与を起点とする何らかの貸借関係が発生する。
もちろん、古代では貸借関係を正確に記述しておく手段自体がなかったり、あるいはあったとしても、偽造がたやすかったりする問題がある。

そこで、貸借関係を記述する手段として、何らかの実物が利用される。
貴金属かもしれない。石かもしれない。印字・製紙技術の如何では、古代であっても紙幣があり得た。
いずれにしても、まず貸借関係が存在し、その記述として、ある利便性のある実物が利用されたのである。

貸借関係の記述として利用される実物が広範に一致するようになると、「記述された貸借関係」に基づいて売買が可能になる。
こうして、物々交換経済の先行無しで、計算貨幣を用いた通貨経済が生ずる。
この場合、重要なのは、そこで用いられる計算貨幣の価値は、利用された実物に依存しないことである。
ある計算貨幣の価値は、基礎となった貸借関係に依存するのであって、例えば改鋳によって実物価値が下がっても、それに応じて交換価値が変化する、ということはない。
当該計算貨幣の価値は、それ自体の実物価値”以外”のところで決定することになる。

「まず貸借関係があり、それが貴金属などの計算貨幣によって記述されるようになり、そうして発生した計算貨幣が売買に利用されるようになった」
この経緯から想定されるのは、技術の発展の如何では、実物による記述を介さなくても、貸借関係それ自体によって売買を行うことが可能になるということだ。

そして、現行の管理通貨制度、およびそれを基礎とする銀行決済システムは、実物を介さない売買や決済の規模を年々増加させていっている。
基礎国定通貨は財政赤字により生成され、市中通貨は銀行貸出が形成し、そのほとんどは電子データとしてのみ存在し、決済もしばしば電子的に完結する。

通貨とは本質的に信用あるいは信用の記述に過ぎないのだとすれば、経済学を含む世間一般の通貨観は根本的に修正されなければならない。
通貨や、その他の決済手段は、予め存在している財でも、生み出した財でもなく、貸借関係の記述であり、資産・負債の両建てで発生するものである。

推奨文献
歴史の中の貨幣―貨幣とは何か / 楊枝 嗣朗
負債論 貨幣と暴力の5000年 / デヴィッド・グレーバー

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追加の推奨文献として

21世紀の貨幣論 /フェリックス・マーティン
を挙げておきたい。

また、以下のシェイブテイル氏の紹介記事は、大変参考になる。

http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/touch/20141112




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