被災地へ、2週間後初めて行きました。


まだガソリンも十分に買えず、もしかしたらしばらく帰ってこれなくなるかも。


しかし、それでも2月議会が終わってすぐに被災地に向かいました。


後部座席とその後ろには、いっぱいの物資を積んで。


そこで見た光景は、何もない。


音もない。


動くものもない。


360度同じ光景。


唯々、涙を流していました。


それから、何度も被災地に足を運び、子どもたちの支援を少しずつしてきました。


議会で原発のことや放射能のことが出たとき、「何度も被災地へ行っている中沢は、放射能を浴びているといって差別しますか?」と、ほかの議員に話したことを思い出します。



今、コミックの原発事故のことで、議論となっています。


警戒区域にも行きました。


「フクシマ」は何度も通りました。


避難所にも、仮設住宅にも行きました。


みんな思いは同じです。


「復興」。


被災地で、鼻血の話は聞きませんでした。


中沢も、鼻血も出ていませんし倦怠感もありません。


あったのは、「喪失感」です。


何もかもがなくなってしまった。


でも、「できること」を続けなくては、という思いは強くなっています。


「まんがだよ」という方もいるかと思いますが、やはりおかしい。


被災地に支援に行っている方。


津波で流された元の場所に戻ろうと必死に頑張っている方。


多くの方のお話を伺っています。


政府でも、内容に懸念を表明しています。


同じ思いです。


今月末にも、被災地に行きます。


また、「放射能を浴びてきた」と差別するのでしょうか。


「人」として、もっとすべきことがあると思っています。