特攻隊と三島由紀夫 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※特攻隊員は笑っています。「お母さん!」と言った特攻隊員は一人もいません。

 出撃の喜びで笑っている特攻隊員! これには外国もビビります。ご先祖様に感謝!!

 

 三島由紀夫という作家は、「生き方の美」を探求した作家です。「生き方の美」を探求したという意味は、生き方の意義を考えたということです。何故、人間は生きるのか? 人間にとって生き甲斐とは何でしょうか? 生き甲斐があれば死に甲斐があります。

 今の人間は「生」にしか興味がありません。「美味しいものを食べる」「美味しい酒を飲む」「ダンスを踊る」「酒池肉林をして勝負事をやる。それが楽しみだ」、という風潮です。今よりも三島由紀夫が存命中のほうがもっとひどかったと思います。「生きることとは、欲望の追及だ」と考えていたのです。

 「本当にそうなのか?」と三島由紀夫は考えたのです。普通の人と感性が全く違います。優れた文明ならば、必ず生の文明の影に、死の文明があります。「死の文明」というと、難しい言い方ですが、簡潔に言うと「死に甲斐」ということです。

 昔、ローマのコロッセオで剣闘士が殺し合いをしました。剣闘士には2つの儀式があります。お互いに鎧を着て兜をかぶり、剣を取り殺し合うのです。民衆は興奮するのです。剣闘士の戦いを始める前には、「こんな晴れがましい死を与えてくれる皇帝陛下に感謝します」と挨拶をするのです。剣闘士は本当にそう思っていたのです。戦えばどちらかが死ぬのです。それから戦いに入るのです。剣を持ち、槍を持ち、本当に殺し合うのです。ローマ市民は熱狂したのです。

 剣闘士の殺し合いを見て、婦人は興奮して倒れてしまうのです。剣闘士はコロッセオで本当に殺し合ったのです。すると後ろの席にいる奴は、前にいる女を犯したのです。それがローマ市民の娯楽だったのです。どこの貴婦人でもよいのです。スカートをまくって犯してしまうのです。

 剣闘士の一人が倒れて、一人の勝者がいます。勝者はローマ市民の喝采を浴びて、ローマ皇帝を見ます。皇帝が親指を下に向けたならば、「殺せ」ということです。その場で勝った剣闘士は負けた剣闘士を殺してしまうのです。皇帝が親指を立てたら「生かせ」ということです。その場合は止めを刺しません。負けた剣闘士は怪我を治療して、また剣闘士になるのです。

 ローマ時代は、今から見ると野蛮に見えます。でも、文化の中には「死」ということが入っていたのです。「名誉な死とは何か?」、それは「皇帝陛下に認められて名誉ある戦死を遂げることである。これは名誉ある死である」と思っていたのです。

反対に「名誉がない死」とは何かというと、老いぼれて歩くこともままならなくなり、歯は抜け、頭は禿げて、全てのことが朦朧として、生きる屍のようになって生きること、これは名誉ある人生ではありません。ローマ時代は文化の中に死が入っていたのです。

日本の文化の中にはそのような死の文化があり、それは「切腹」ということです。切腹というものは、美しく死ぬのです。実際は腹を斬って死ぬのですから美しくありません。

 切腹というのは美学です。それは「命を惜しまない」という美学です。もし、何かで失敗したり、自分が過ちを犯した場合は、潔く腹を斬るのです。誰でも長く生きたのだろうけれども、「俺の人生はそこまで」と決めて辞世の句を読んで腹を斬って死ぬのです。

 これは美しい死に方です。名誉ある死ですから、切腹は武士しか与えられなかったのです。罪人は打ち首ですから、切腹はさせません。「切腹を命ずる」と言われたら、「名誉ある死だ」と思えたのです。反対に打ち首は恥ずかしい行動です。「死も恐れない」というのが切腹です。

 この美を三島由紀夫は探求していたのです。切腹というものは美しいものであります。若い時に自分が死ぬこと、これもまた美しいものである。老いぼれてしまい、切腹を命じられて老い腹を斬るのは美しくありません。元気なうちに腹を斬るのです。

 三島由紀夫は、45歳のときに決行されたのです。自分の年齢をみて「これは限界だ。西郷隆盛は50歳、それよりも若くしてやる」と考えていたのです。三島由紀夫は「西郷は、男らしい生き方をした。それよりも5年早く、若い時に死ぬということが大事なのだ」と思っていたのです。自分の惜しい命を何ものかにぶつけて死ぬのだから、素晴らしいことです。

 普通の人はそれがないから、老いてゴムチューブで管を通されて、注射を打ち、点滴を打ちながらベッドに縛り付けられて生きのびているのです。何の目的もないのに「1日でも長生きしたい」という、ただそれだけです。それは美しくありません。

 男は命を懸ける対象があるということは、最高の人生です。三島由紀夫は最初に殿さまを欲しがったのです。武士にはみんな殿さまがいました。殿さまの命により「切腹を命ずる」と言われれば死ねるのです。三島由紀夫の場合は、殿さまはいません。結局「天皇だな」と思ったのです。

 「天皇陛下万歳」と言って死ぬ、そして日本の国のためになることをして死んで魂ふりをする、これが最高の善なる道であるということを悟ったのです。そして、もっと面白いことを言っています。

 腹を決めて「何月何日に切腹すると決めたならば、今からその日まで、本当に充実した人生になる」と言うのです。一日一日が充実して、悲しいこと、うれしいこと、生きているという意味を深く感じることができるのです。

 普通の人は、自分が生きている意味もわかりません。だから自殺するのです。最近でも列車の飛び込み自殺が3件ありましたが、そのように自分の命を無駄にしているのです。

 益荒男(ますらお)が たばさむ 太刀の 鞘鳴りに  幾とせ耐えて 今日の初霜」

 「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて  散るこそ花と 吹く 小夜嵐(さよあらし)」

三島由紀夫は辞世の句を2つつくり、死に備えたのですから最高の人生です。盾の会のメンバーと酒も大いに飲みました。大いに笑いました。タバコもプカプカ吸うのです。「酒の飲みすぎで肝臓癌になって死ぬ」など、何の心配もいりません。その前に「死ぬ」と決めたのですから、何の心配もいりません。その間は本当に楽しい人生を送れるのです。

 三島由紀夫は憲法に命を懸けて武士道を全うしたのです。三島由紀夫の武士道は、天皇に対する武士道です。

 しかし、日本には特攻隊がありました。約3千人の特攻隊が死んでいます。みんな20歳前後です。「お母ちゃん」「死にたくないよ」と叫んで死んだなど、全てウソです。写真を見て御覧なさい。みんなニコニコしています。死んだら靖国神社で会うのです。

 「今度はみんなで靖国神社で会おうぜ!」と思っているのですから、特攻隊員の諸君はニコニコしています。その腹が出来ていない奴は「死んだらどうなるのか」と心配するのでしょうが、特攻隊員にはそんな奴は誰もいません。特攻隊は自ら志願しているのです。

 もっとも若くエネルギーがみなぎった青年が命を国のために捨てるということは、「こんなうれしいことはない」と喜んで特攻に行ったのです。同期の桜を歌って「靖国神社で会おうぜ!」と約束したのです。こんな素晴らしい死に方はありません。

 ISの自爆テロはイスラム教の教えにより、「異教徒を殺せば殺すほど天国に生まれる。この世では酒を飲んではいけない。酒はあの世で飲むものだ。女とも寝てはいけない。人殺しの功績により、酒も飲み放題、女も抱き放題、麻薬もやりたい放題という素晴らしい生活が待っているのだから、お前は5人殺して来い」と言うのです。

日本人はそんな根性ではありません。武士道の根本の精神は特攻隊にあります。これは永遠の生命として我らに教えてくれているのです。国のために死ぬのです。自分の尊い命を捧げるのです。しかも、若くて元気な写真を撮って、「今散っていくことが如何に素晴らしいことか」ということ示したのです。これが死に甲斐です。

 この死に甲斐の哲学を説いたのが三島由紀夫です。三島由紀夫のペンネームは、「魅死魔幽鬼男(死魔魅せられた幽鬼の男)」という意味です。

 人間は生まれて必ず死にます。生き甲斐もあるが、死に甲斐もあります。良い死に甲斐をつかんだ人は、最も幸せです。特攻隊の先輩の諸君は良い死に方をして、後世後々まで称えられるのです。

 

 

 

 

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