中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
非常に軽く書いています。


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G7が伊勢において行われました。利害の調整で、国際間は大変な緊張を強いられています。よく考えてみると一番大事な問題は理念の問題です。

このようなことを話し合えるようになったときは、影響を与えるのだと思います。大義名分というものは、非常に大事です。

「人類」という問題を考えてみた場合、大義名分があるはずです。なぜ国々に別れて170個所も国連に加盟している国家があるのでしょうか。聖書を見ると「人間がバベルの塔を造ったことにより、神が怒りをもって人類の言葉をバラバラにしてしまった」と書いてありますが、人間として生まれた共通の理念ができるはずです。

これはアフリカの黒人も中国人も朝鮮人もアメリカ人も、姿も違えば言語も違います。しかし、共通項があるはずです。「人間として」と言った場合は、すべての人種が含まれてしまいます。「アメリカ人として」と言った場合は違います。「人間として」という共通項でくくると人種の違い・言語の違いは関係ありません。「人類」という一つのもに、くくられてしまうのです。

「人類として」という共通の理念がないのです。人間としての共通の理念「何故、人間は生きているのか?」「人間が生きているとは、どのような意味があるのか?」これは「人類」という共通の見方をすると同じはずです。

国を超えて、国境を越えて、言語を超えて、この理念は共通するのです。それを「人類としての正理(しょうり)」と名付けましょうか。この人類としての共通の正理というものを明らかにしていかない限り、人生はダメなのです。

経済理念、国境の問題など、そんなことをいくら話あってもお互いの利益が違うのですから、いがみ合うだけです。だからこそ、国境をとっぱらって人類共通のカギは、人間(Human being)ということです。

「人間の存在とは何だろう?」と考えていくと、話し合いをして、共通項を見出していけばよいのです。ヒューマン、ヒューマニズム、「人間」という共通項の下には問題点が消えるのです。人類はそれを目指して進んでいるのです。

ところが、このような世の中は何も理念がないのです。アメリカの建国の理念「自由・平等・博愛」は立派です。このようなものを求めて、「全ての人々に自由を与えるのです。すべての人々に平等を与えるのです。アメリカ合衆国はこれらを保障するものである。そのためにこの国は建国された」という理念は人類共通の理念です。

似たような考え方が、東大の中村元教授の「比較思想論」があります。「宗教には違いがあります。しかし、もっと共通の点に注目したらよいのではないか」とう考え方があります。

仏教では慈悲を説き、キリスト教では愛を説きます。「慈悲と愛がどのように違うのか」というと、慈悲も愛も似たようなところがあります。厳密に言うと違いますが、「人々を愛する」「人類を愛する」、或は「慈悲をもって接する」という考え方は共通です。

「言語は違い、思想は違っても、共通点に着目していくならば、人類共通の思想ができるはずだ」というのです。仏教の宗派に属していてもよいのですが、人類共通の不変の思想を創り上げていく必要があるのではないかと思います。これが比較思想論の考え方です。

それと同じで世界は人種は違い、言語も違うけれども、共通の価値観とは何でしょう。それにはまず神というものを明らかにしていく必要があります。民族により神はすべて違います。ユダヤ教の神、キリスト教の神、イスラム教の神、ヒンズー教の神、これらはすべて神が違うのです。恐ろしい違いがあります。

しかし、共通している点があります。それは人類の上にあるということです。神と言う名前は違い、教えも違いますが、一つ共通していることは、人類以上の存在だということです。これに皆が目を向ければよいのですが、一神教であるが故になかなかまとまらないのです。人類は仲良くするために一神教という概念を打ち破らなければ、一神教から脱却できません。

日本の神道では八百万の神がいて、人間の存在の上に神がいます。どのくらいの神様がいるのかというと八百万の神々が存在しているのです。日本神道では何でも神になってしまうのです。山の神、海の神、田んぼの神、植物の神といって様々な神様がいるのです。へっついの神といい、日本は便所の神までいるのです。

そのような思想になってくると、どのような神も神道の中に入ってしまうのです。ユダヤ教の神、キリスト教の神、イスラム教の神も皆入ってしまうのです。共通している点は、「人類以上の存在」ということです。この中に組み込んでしまえばよいのです。

世界の思想を統合していく場合には、やはり日本の神道、八百万の神々という考え方が大事です。

そして、神々の違いを述べるのではなく、神々が共通してもっている力というものをもっと研究して「キリスト教ではこのように言っているけれども、イスラム教のこのような点で似ているのだ。いがみ合っているようなものではないのだ」という共通項を見出していくのです。

でも、それが簡単にできないのです。皆、自分の形而上学の一神教の神を信じているのです。これがISISを産んでいきているのです。「アラーよりほかに神なし」ではなく、「アラーの神もよし、他の神もよし、人類は一つである」と言えばよいのです。

あらゆる地上の教えよりも神の教えが正しいと思っているのです。ISISの連中は天国へ早く行きたいのです。人生というものは、「オギャー」と生まれて、天国へ行くまでの過程(プロセス)だと考えているのです。生きていることに意味があるのではなく、天国へ行けるかどうかに意味があるので、「天国に行く過程が人生だ」という考え方をするのです。

頭の中は現世ではなく天国にあるのです。現世は自爆テロで殺せば殺すほど天国に近づいていくと考えているのです。「この考え方はどこが間違っているのか?」ということを人類は明らかにしていかなければいけません。

例えば、日本の仏教である阿弥陀経も同じです。「この世は苦しい。穢土である。汚れていない極楽浄土に行くことが人生の目的だ」と言います。だったら生まれる意味がありません。極楽浄土へ行くことが目的で、人生はそこに行くための修行です。では、何のために生まれた人生なのでしょう。このような説明がありません。

「極楽浄土に行くことに意味がある」というならば、今生きている人生は虚しくなり、すべて意味がなくなってしまいます。極楽上に意味があるのです。そのような考え方は間違っているのです。

きちんと「何故、人間は生まれて、何の目的で生きているのか?」と考えることです。この問題を解くのは簡単です。日本神道であれば、すぐに解けます。人間の目的とは「修理固成(すりこせい)を成せ」ということです。神々はこの世界を不完全に創っておいたのです。従ってこの世界に人間を送ったのです。人間は、いい加減につくられた社会を完璧に固め成して美しい世界に変えていくのです。それが人生の目的です。神が人間に与えた使命です。素晴らしい使命です。何も迷いはありません。この世界は不完全です。悪い者もいればよい者もいます。それを神から与えられた力によって正していくのです。

そのためにはどうしても日本が大事なのです。世界の歴史は殺し合いの歴史です。本当にそうなのです。その中で一筋の光を見るように、人生に意味を与えているのです。そのために神がこの日本に国を造ったのです。日ノ本の国を創ったのです。この神が中心になって、やがて世界が一つにまとまっていくのです。そのときに世界の中心点を成す者は、天照大神の御子孫である天皇です。天津日嗣の天皇です。

このような素晴らしい思想に人生の目標を設定して、そのようなことを話し合い、まず思想を直さない限りは人類から戦争はなくなりません。物質を巡っての戦いであると同時に、思想の戦いでもあるのです。まず、ここで終止符を打って、人類共通の思想を造り上げていかなければいけません。

ここで生まれてきたものを「正理(しょうり)」というのです。これが、「正理が世界を救う」という本当の意味なのです。皆が正理を求めて前進しなければ、よい世界は生まれてきません。正理会はその先駆けです。


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舛添要一のような朝鮮人の馬鹿男がなぜ東京都知事になったのでしょうか。これを考えてみたらわかるのです。これは多くの票をとったからです。何百万票とったから都知事になったのです。

では、舛添さんは良い人でしょうか? 良い人はありません。舛添は奥さんが3人もいて、子供が10人いて、お姉さんは生活保護です。そんな都知事がいるのでしょうか。都民のお金は使いたい放題、「大恩ある韓国に韓国学校を造ってさしあげる」など、馬鹿です。

舛添が「精査の上」と言っている意味を考えてみましょう。「精査の上、知り合いの弁護士が十分に調べた上で発表します」と言っていますが、これは何を物語っているのかというと、マスコミは言っていないけれども、舛添は一つ一つ弁護士に聞くのです。

「これは犯罪になりますか?」と聞くと弁護士が「ならないんじゃないですかね」と、2~3人の弁護士に聞いていくのです。「公用車を使い湯河原まで行きました。これは犯罪になりますかね?」ということを聞きます。

すると弁護士は「犯罪にはならないんじゃないですかね」と言います。それから、公金で飲み食いしました。「これは犯罪ですかね?」「いや、これは難しいところですね」と言われたりするのです。実際に知り合いが来たり、支持者が来たり、記者が来たりすると「寿司でもとれや」と食べさせることもあるでしょう。

夜打ち合わせで「湯河原に来てくれ」と言われて、「回転ずしを食べさせた」と言ってもいいのです。ピザは舛添が食べているのでしょう。それもどうってことないでしょう。子供の服をヤフオクで買ったことも「領収書を間違えて入れてしまいました。これは書き換えてください」というような指示が弁護士からあれば指示通り修正するのです。

すると、正月に千葉の木更津の旅館に行ったことも、たいした問題ではありません。弁護士が「大丈夫です」と言えば、彼は「辞めない」というはずです。弁護士が「舛添さん、この問題はダメです。これは法に抵触しています。だから逃げられません」ということを2~3人の弁護士に精査してもらっているのです。

舛添は「この問題は逃げらないな。どうすればいいですか?」と聞いて弁護士が「辞職するしかないです。辞職してこの問題が刑事事件にならないようにすることが最善でしょう。もし刑事事件になってしまうと参議院にも出れません。公職選挙法違反になると、5年間公民権停止だから、今度の参議院選挙に出れないのです。このようになる前に都知事をお辞めなさい」という精査を今、やっているのです。

しかも、この知事は民主政治により都知事になったのです。民主政治は馬鹿が当選するのです。民衆の頭の中にあることは、毎日の自分の仕事、収入、趣味、ゴルフ・マージャン・パチンコ・競馬、頭の中にあることはそんなことです。

何の政治的信念もないし、「このような政治をしていこう」などと思ってもいないし、ただ自分たちの生活が中心で「政治家など誰でもいいや」という気持ちがあるのです。選ぶ者は有名人を選ぶのです。有名人がまた問題です。大衆は「有名人だから正しい考え方をもっているだろう」と思いますが、とんでもありません。皆、インチキばかりです。

人気があれば有名人になって、テレビに出ることができるのです。テレビに出れば知名度が急速に跳ね上がるのです。今でも東国原は、有名人だからまだ芽があります。たけしがもし、都知事に出れば政治的な実績がなくても絶対に当選します。

人気がある者が当選してしまうのです。だからくだらない知事や政治家が出てくるのです。これは民主政治というやり方が暴力なのです。民衆の最大の暴力が民主政治だと思えばよいのです。

政治を行うためには、一定の見識と、知性と、道義心と、信念がなければ政治などできません。このようなことを思っている人はいないのかというと、いるのです。いるのだけれども、このような人々は知名度がないから当選できないのです。

知名度がある出たがり屋のインチキ野郎ばかりが議員になっているとわかります。本当にひどいと思います。

一人の独裁者が大衆に対する暴力はすさまじいものです。権力を握れば何でもできるのです。人殺しだろうが何でもできます。これは独裁の暴力です。

今度は「独裁はまずいから、民主主義でやりましょう」と選挙をやれば、衆愚政治になって、馬鹿ばかりが当選するのです。大衆は愚かなるが故に暴力です。創価学会などによって当選した奴は暴力です。何もわかっていません。ただ、党に入って推薦されて「衆議院に出ます」と言うから、学会員はその人のことは何も知らなくても1票入れるのです。これは暴力です。「選挙とは暴力である」ということを、自覚する必要があるのです。

戦前はよかったのです。貴族院議員がいたのです。衆議院もありましたが、衆議院は馬鹿な民衆の暴力により決まってくるものです。だから、変わらない参議院があり、良識の府です。参議院の前身の貴族院は選挙もないし、変革もなく、ずっと変わらなかったのです。

参議院は一定の良識をもって、衆議院がやることを見守っているのです。衆議院で議決しても、「参議院が反対だ」と言えば通らないのです。このバランスをなくしてはダメなのです。今、参議院はありますが与党になり、第二衆議院になってしまいました。これも多数決で決めるからそうなってしまったのです。

参議院は多数決で決めるのではありません。有識者で構成するのです。そして、愚かな大衆が暴力で選んだ悪辣な政治家を参議院がきちんと掌握して「ノー!」と言えるものをつくっていかないと、国というものは機能しません。選挙は暴力です。大衆は暴力です。これを忘れないようにしっかりと覚えておきましょう。



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池田大作の個人資産は一説によると1兆円を超えていると言われています。ピントこないかもしれませんが、1兆円の金額はどのようなものかというと、豆腐が1丁、2丁ではないのです。

前にも言いましたが、神武天皇以来、2800年前から1日100万円使って、まだ使いきれない金額が1兆円です。2800年間、毎日100万円使っても使い切れない金額が1兆円です。そんなお金をどうして個人で稼げるのでしょう。

少し有名な作家で司馬遼太郎クラスでも、そんな金額は稼げません。資産はせいぜい何百億円です。

宗教団体創価学会がお金を1兆円もっているならわかるのです。宗教法人は無税ですから、1兆円もっていても不思議はありません。池田大作の収入とは何でしょう。創価学会の収入は池田大作の収入ではありません。

それがいつの頃からか、創価学会の収入が個人の収入に変わってしまうのです。ところがこれは違法です。創価学会に1千億円入りました。それを池田大作が個人の口座に入れてしまうと、個人の収入があったことになるのです。

1千億円の収入があれば少なくとも500億円は税金がきます。1兆円の収入などあるはずがありません。池田大作の書籍の印税が入ったところで、たかが知れていることで、1兆円という金額が入るわけではないのです。

創価学会に入ったお金を個人の収入にしたら大変です。最低でも5千億円くらい税金がきます。それと同時に1億円以上の脱税をやった奴は逮捕です。5千万円くらいまでなら逮捕までいきません。税金を払えばそれで終わるのですが、1億円を超えた場合は逮捕です。

それがまして、1兆円などという金額を脱税していたら大変です。何故、これがわかったのかというと、池田大作はスイス銀行にお金を預けていたのです。スイス銀行は「個人からの預金を預からない」という方針になり、池田大作にお金を返したのです。

1兆円が宙に浮いてしまったのです。その段階で国税がキャッチしたのです。税務署「池田大作さん、この1兆円は何ですか? これは貴方個人の収入ですか?」池田大作「これは会のお金です」税務署「会のお金ならば、なぜ個人名義にするのですか?」

創価学会は池田大作から見ると人の物です。創価学会は会長もいて、自分の会ではありません。自分の収入でないと安心できないのです。

創価学会に入ったお金をネコババして、自分の名義にしないと落ち着かないのです。池田大作は誰も信用できないのです。税務署は「出てきた1兆円についてお話を伺いたいのですが」と当然言ってきますが、池田大作は何も言えません。だから、池田大作は倒れたのです。

倒れたフリだか、なんだか知りませんが、もう口をきかなくていいように、「重病で口もきけません」「オムツをしています」という話をして、池田大作に誰も会えないのです。面会謝絶です。

税務署が来ても池田大作が「ベロベロベロ、チコマコ!」などと言っていれば、もうダメです。追及の手が伸ばせられません。だから、仮病を使っているという説もあったのです。

税務署が何を聞いても「アローハ、バローハ、バカヤロウ!」「チコマコ!」と叫んでいれば、気が狂ったと思います。創価学会は金を持っているので、お付きの医師もいます。そいつらが、「池田先生は言語障害で、脳軟化症で、しゃべれません」と言えば、しゃべらなくて済むのです。

池田大作が出なくなった時期は、多分その時期なのです。もし、池田大作が死んでいたとすると、今度は相続税が発生します。大問題です。1兆円の脱税の相続税と言ったら、8千億円くらい取られてしまいます。これも不可能です。池田大作は、しゃべれないのです。

これが今、創価学会のかかえている問題です。パナマ文書でSGIが何番目かに上がっています。

SGIとはアメリカの宗教法人です。宗教法人は税金がかからないので、なぜそんなことをやるのでしょう。おかしいのです。多分、そこに池田大作の個人資産も出てくるのです。多分、当局はすべて掌握しています。これが明らかになって発表になったときに、創価学会は終わりです。

池田大作はそのようにして、学会員をだましてきたのです。しかし、あまりにも組織が大きくなりすぎて、公明党もあります。自民党と組んでいるから、自民党も手を回してきます。しかも、最近では新聞社にも手を回していて、産経新聞も、読売新聞も、毎日新聞も、創価学会の悪口は言いません。

NHKにも手を回しているから、NHKも何も言えないのです。池田大作は隠し資産を隠しとおせるかもしれませんが、これは事件になったときには大事件です。これが学会の終わりの日です。

そのときには創価学会の皆さん、目を覚ましましょう。「私達学会員は朝鮮人池田大作にだまされてきた」ということです。それでもまだ創価学会を信じる人は池田大作と同じ大悪人です。


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こんな広がりをもったテーマはありません。何故ならば、政治といっても様々な政治があります。

民主政治もあれば、共産主義という独裁政権もあります。金正恩、ヒトラーのような独裁政権もあります。中国共産党のように、資本主義に乗っかる独裁政権もあります。すべて違うので「政治とは何か?」というテーマをつくっても、簡単に答えることはできません。

もう一つ、宗教というテーマを見てみても、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教もあり、日本だけでも18万件の宗教法人があります。「何の宗教について論じるのか?」と言わないと、政治と宗教という命題には答えられないとわかります。

しかし、「政治とは何であるのか?」という共通項が一つだけあります。それは民衆支配です。宗教はいろいろありますが、その目的は民衆支配です。この宗教と政治の問題は、「民衆支配の方法である」ということがわかれば、共通項が出てくるのです。これが政治と宗教の回答です。形は違っても民衆支配であることには変わりありません。

最初に行ったのは、暴力による支配です。力の強い者が民衆を治めてきたのです。動物の世界もそうです。猿の世界でも、力の強い者がボスになるのです。ボスになると、今までのボスは隅っこにいくのです。ボスになると前のボスの子供を殺すのです。猿は猛獣です。

人間も力の強い者が出てきて民衆を治めていったのです。始めは力による支配です。力の強い者、それも腕力にすぐれた者が、その集団を率いていったのに違いありません。力の支配に民衆は参ってしまいます。

支配者は美味しい物を食べ、やりたい放題です。人の女房を取り、王様に400人も女がいて、民衆から女性がいなくなってしまいます。酒を飲み放題、わがままし放題、贅沢三昧です。民衆は何もできません。すべて奪われてしまい、何もない生活が続くのです。

それを表しているのが、李氏朝鮮です。朝鮮の身分制度は両班(ヤンパン)という貴族がいて、その下に常民・平民・白丁(ペクチョ)・奴隷がいます。人間らしい生活をしていたのは、両班までです。両班は文班と武班をもっていて、領地を持っています。その中に住んでいる民はすべて奴隷です。

民は両班の持ち物です。両班の土地で生活するのです。すると両班が「おい、米をもらっていくぞ」「女を連れて行くぞ」と言われるとすべて差し出すのです。両班の領地の中のものはすべて両班の物だから逆らえません。

両班は拷問もやりたい放題です。むち打ちの刑では、おしりを何百回とブッ叩くのです。それが原始的な統治です。それを最近まで続けてきたのが韓国です。そのような国だったのです。

日本はそんなことはありません。日本は公民制度があり、土地は天皇陛下のものなのです。その土地を大名は預かっているのです。その土地の守護を務めるのが大名の役割です。大名は「伊勢守」「大和守」といい「守(かみ)」という名前がついています。天皇から命じられて、その土地を治めるのが大名です。土地は大名の物ではないのです。

税金は4公6民です。百姓は税金を4割治めるのです。あとは、自由にしてよいのです。新田の開発は登録をしていないので、税金の対象にはなりません。畑でつくったものは、税金を納めなくてよいのです。そのように百姓は意外と自由だったのです。管理料として大名に納めたのです。

大名の家来は武士です。年貢を取り立てたり、見回りするのが武士の役割です。「土地は天皇のもの」であり、大名は天皇の土地を預かっているだけですから、江戸時代は盛んに藩替えを行ったのです。これも政治の一形態です。

支配の構造の基本は暴力です。逆らうと殺されるのです。民衆支配の法則として一番に働くのが武力です。武力による支配、選挙による大統領の支配があります。

民衆に選ばれて大統領や首相になり、権力を握ると変身するのです。安倍は首相になる前は「TPPは絶対反対」と言っていたのです。それが首相になるとガラリと変わり「TPP推進」の側に周ったのです。アベノミクスはすべてデタラメです。国を亡ぼす政策にしかすぎません。

今も川内原発が動いています。「ものすごく危険だ」と言われています。熊本大地震が発生して「燃料棒が曲がり、辞めることができなのだ」という説もあります。危険極まりないのです。小泉純一郎は、「原発大反対」です。

原発などやめればよいのに政府は絶対に止めません。これは選挙により首相になった人間がやっていることです。何も正しいことをやっていません。民主政治は民主的手続きにより代表を選んでしまった以上はどうすることもできません。

東京都知事になった舛添もそうです。こんな男だとは思わなかったのです。2億円使って外国へ外遊してファーストクラスの部屋に泊まり、湯河原の別荘に公用車で48回も行っています。これが権力です。

選挙により選ばれた東京都知事という役職に就くと、それまでは守っていたことも忘れてとたんに欲望・わがまま・やりたい放題です。誰かが文句を言っても「俺は知事だぞ。選挙で選ばれた都知事に向かって1都民が何を言うのだ」と言われれば黙ってしまいます。これも支配です。

「民衆を支配した」と思った瞬間にわがままが出てくるのです。支配の仕組みが共産主義で、スターリンも金正恩も独裁者です。基本は暴力です。民主政治は数の暴力です。

民衆支配で考えてみると、もう一つの方法が宗教です。「宗教は神様の教えだ」と思っている人が大半ですが、まったく間違った考えです。宗教は民衆支配の方法です。創価学会もそうです。民衆は支配をするものです。支配をする道具が宗教です。

「宗教」という道具を使うと、すべからく民衆を自由自在にできるのです。神を信じさせてしまえば、後は奴隷と同じです。何でも言うことを聞き、幹部に対しても批判をしません。やりたい放題です。それで民衆は治まります。政治権力が強い時代に生まれた民衆は、「助けてくれ」と思うのです。

かつてのローマ皇帝がそうです。よいシステムなのですが、政治はだんだん腐敗するのです。権力は民衆を抑圧する側になってしまうのです。その時に、民衆はたまりません。「助けてくれ」と思うのです。

ローマ帝国はディプロマという「ローマ市民証」を発行しています。この市民証を持っている者がローマ市民です。その10倍以上の奴隷がいたのです。このローマ市民にとって皇帝は、有り難い存在です。

娯楽、パン、酒、ローマ風呂をタダで与えてくれるのです。誰が与えてくれるのかというと、皇帝が与えてくれるのです。それが十分でないと、ローマ市民は怒って「皇帝を倒せ!」となるので、皇帝は様々な物を市民に与えていたのです。

金正恩もそうです。下には国民がいて、国民は奴隷です。その上に共産党の幹部がいるのです。共産党の幹部は何でも自由になるのです。金王様が「はい、ご苦労さん。ローレックススの時計だよ」「お前は頑張ったからベンツをあげるよ」と、何でもくれるのです。

金正恩が何でもあげるから上の人間は「将軍様」とついてくるのです。庶民には何もあげません。上の連中から言うと「何でもくれる、有り難い将軍様」ということです。ローマ皇帝のシステムと似ているのです。

ローマ市民がいて、その10倍の奴隷がいるのです。その連中はたまりません。何も与えられません。皇帝からすべて奪われるだけなのです。すると、ローマ市民は皇帝が神様でよいのですが、奴隷に神様はいません。それが宗教になったのです。これがキリスト教です。

奴隷たちの「ローマ皇帝は神ではない。我々も神が欲しい」という要求に対して、「私が神である」と出てきた男がキリストです。奴隷たちは「キリストを神として拝もう」ということになったのです。

ローマ皇帝からいうと、「神は俺一人でよいのだ。キリストが神だということは許さん!」と抑圧したのです。ところが、抑圧すればするほど、助けを求めるから、キリスト教は巨大化していったのです。するとローマ皇帝の声が小さくなってしまうのです。

宗教とは民衆支配の形態です。だから、キリスト教では、「ローマ法王」といいます。「王」という名前がついています。キリスト教でも世界を支配できるのです。

仏教もそうです。日本の中心者は天皇ですが、天皇の近くに坊主がいて、天皇の変わりに政治を行うのです。坊主の赤い着物、紫の着物は、聖徳太子が決めた十二位の位階の風俗です。

大僧正という位は天皇が決めた位です。今は勝手に名乗っていますが、昔は名乗るわけにはいかなかったのです。昔は天皇が命じて大僧正になったのですから、政治の形態だったのです。民衆に仏教を信じさせることにより、民衆を治めたのです。

天皇陛下だけでは足らない面がでてくるのです。だから仏教をつくり、神様・仏様に向けたのです。仏教は誰が握っているのかというと、天皇が握っていたのです。お寺は仏教を使い、民衆支配をやってきたのです。

日本でも仏教の支配の構造は全く変わりません。始末におえないのは、民衆は「宗教は救いであり、政治とは違う」と考えていますが、そではないのです。民衆支配という構造においては、政治も宗教も全く同じで、利害関係は一致しています。


 

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UFOディレクター矢追純一さんが『ヤオイズム』という本を出しています。2015年発行なので、ごく最近の本です。僕も読んでみたのですが大変面白い本です。

矢追さんは急満州の新疆に生まれて、敗戦を体験して乞食同様、家もなくなったのです。アメリカ軍、ロシア軍、中国軍が入り乱れている中で、日本人は生きていくのが大変な時代でした。

女はすべて強姦されたのです。それは矢追さんのお母さんも危ないとみています。それは言わないでしょう。矢追さんはお母さんに「お前、着物を売って来い。売れるまで帰ってくるんじゃない!」と言われたのです。そのおかげで矢追さんは物を売ることができる人間になったのです。どんな物でも売ってしまう智恵が身に着いたのです。

満州にいたころは、戦後家を追い出されたのでかっぱらいもやったのです。後ろから拳銃で撃たれて、前を走っていた奴が死んでしまったのです。自分は助かったのです。前の人と自分は10センチの身長差だったのです。矢追さんは10センチ背が高かったら、弾が自分に当たっていたと言うのです。

そのときに、リヤカーでかっぱらった荷物は手放さないで逃げたのです。相当苦労したのです。そのような生死をさまよう経験が何度もあったのです。「人生10センチで生死が決まってしまうのだな」とこれも大きな学びであったのです。

自分としては無理したこともないのです。東京へ帰ってきて高等学校に入学したのです。そこで、3つのバイトをしながら、2人の妹を養ったのです。お父さんもお母さんも死んでしまい、高校生の自分が2人の妹を養ったのです。

昼間は建築会社で働き、バンドボーイ、エレベータボーイもやったのです。矢追さんは自分も高校を卒業して、妹たちを育てたのです。矢追さんは立派な人だと思いました。

そして、矢追さんは大学は「東大に行こう」と思ったのですが、高校時代勉強したことがないのです。東大は無理だと思ったけれども受けてみたのです。一次試験は合格したのですが、二次試験で落ちたのです。私立では中央大学の法学部の試験を受けたら合格したのです。勉強したのは「傾向と対策」の問題集だけです。それを1冊読んだだけで、合格してしまったのです。中央大学法学部からは裁判官が大勢でます。東大以上です。

それも学校へ行かないで、4年間首席で卒業したのです。矢追さんは頭がよいのです。全然勉強していないのです。そこで、矢追さんは「努力をしたことは一度もない」と言っているのです。これが大事な点です。

努力はしないのです。ただ、目標だけは決めるのです。目標を決めて、その道を行くのですが楽しみながら行くのです。ねじり鉢巻きで「嫌だ!」とうなりながら、勉強したことなど一度もないのです。受験勉強もラクにやって、合格したのです。そのような生き方をしていると、どんどんよい方向へ向かっていくのです。

中央大学の四年生のときにエレベータボーイをやっていたのです。そこに変なオジサンが来て「君ももう卒業だろう。内の会社を受けてみないか?」と言われたのです。「どこですか?」と聞くと「日本テレビだよ。あそこは紹介がないと入れないよ。俺が紹介してやるよ」と言われて、入社試験に行ったら、400名もいたのです。「これはダメだ」とさすがに思ったのです。

でも結果的には入社してしまったのです。矢追さんは運がよいのです。「いつも僕は運がいいのだよ」と言っています。弾にも当たらなかったし、ドロボウしても捕まらなかったし、バイトもすぐに見つかったし、それは努力をして目標を設定してやってきたことなど一度もないのです。楽に自然の流れにあうようにやってきたのです。

一番傑作なのは、満州から東京に帰ってきて中学に入ると先生が、「これから川に泳ぎに行こう」と言ったのです。当時、天候が悪かったのですが、皆を連れて多摩川に行ったのです。先生が先に「俺が先に入る」と川に入ったのです。すると、突然大きな流れがきて、先生が流されてしまったのです。自分も流されて死ぬと思ったのです。

矢追さんは「自分も死ぬのだから楽しいな。俺はまだ人生で死んだことはないから、これは楽しいことがおきるのかな」と思い泳ぐのを止めたのです。楽になって流れに身を任せたのです。するとプワプワと浮いて砂地にたどり着いて助かったのです。先生は死んでしまったのです。

そのような経験から「生きよう」と必死でもがいてもダメなのです。腹を決めてやれば、助かってきたのです。受験勉強もしないのに合格したのです。お母さんが教えてくれたことは「お前、勉強するな」ということです。

矢追さんが本を読んでいると「本なんか読むな!」と怒られたのです。「本などから勉強することはない。お前は実際に物を売って、現場から物を学ぶのだ」ということをお母さんは言いたかったのでしょう。現場にぶつかれば、人間はどんなことでもできるのだから、本など読んで頭でっかちになったら間違ってしまうのです。

そこで矢追さんは「私は死ぬのは怖くないのだ」と言うのです。何故、怖くないのかというと、人生は観念です。本当の人生を生きている人はまずいないのです。皆、経験則です。何かで経験したことを頭の中で思い出したり、本を読んだことを思い出して「死ぬとはこのようなことだな」と思い出すのです。

頭に思い出したものは観念です。死というものに直面して、それを見ているわけではないのです。頭の中で「死は大変だ。死は怖いぞ!」という観念が出てくるのです。本を読んでいる人間は何でもそうです。先に観念が出てきてしまうのです。現実ではないのです。

もうちょっと高尚な言い方をすると、バーチャルリアリティーといいます。過去に経験したことを頭でまとめて、バーチャルリアリティーに組み上げて、人生に向かっているのです。

人生はバーチャルリアリティーに向かっているのです。だから、バーチャルリアリティー以外のことが出てくると、人間は「怖い」と思うのです。

僕はそれを知っているのです。人生はバーチャルリアリティーであり、どんな物でも自分が造っているのです。宇宙もそうです。宇宙から自分を見ても何もわかりません。自分が宇宙をつくっているのです。

量子力学でも言っていますが、その通りです。宇宙は自分がみないときにはないのです。光の原子は波なのです。波は物質ではないのです。人間が波を見ると点になるのです。だから月とか、物が出来て来るのです。波の時には月はあるのですが、誰にも見えないのです。誰かが見ると「月はある」のです。見れば月はあるけれども、見なければ「ない」というのは、本当の話です。

そのように自分が感じ取っていることは、自分が造っている宇宙であり、世界であり、それを自分なりに見ているのですから、「人生はバーチャルリアリティーだ」というのです。

そう考えると力んでみてもダメなのです。「もっと楽に、こだわらないで生きていったほうが人生成功するのではないか」ということを矢追さんは言っているのです。

これを読んでみて僕は「本当に面白いな」と思ったのです。量子力学と、仏教の考え方が入っているのです。しかし、「この人は仏教を知らないな」と思ったのです。

仏法はどのようなものかというと、確かにバーチャルリアリティーですが、仏法ではそれを「虚妄真実(こもうしんじつ)」と言います。虚妄分別(こもうふんべつ)です。「我々は虚妄に分別しているのです。真実に分別しているのではない」と仏教はいいます。

虚妄とは、現代語で言えばバーチャルリアリティーです。現実とは違うのです。そこで、問題点は「虚妄分別の奥に何があるのだろうか?」ということを仏教は問題にしたのです。矢追さんは仏教家ではないから、「分別の奥に何があるのか?」という考え方はしないで、分別でとどめてしまったのです。すべては虚妄なのです。何もこだわることはないのです。

その奥にあるものを説いたのが、仏教です。バーチャルリアリティーは虚妄である。虚妄の奥に真実があるのです。その真実を本当の仏教は見抜いていったのです。仏教学ぼうとする姿勢がないと、そのことは学べません。そのようなことを感じました。

このヤオイズムとは、タオイズムということです。タオという中国の学問があり、タオイズムとは老荘思想です。儒教の思想、タオとは自然という意味です。

「自然に生きたほうがよい」という思想です。老子はそれが進んでものすごい自然主義です。「頑張って試験に受かろう」などそんなことを思ってはいけないのです。楽に自然の波に乗っていくならば、宇宙のリズムに乗ることができるのです。

「その方が人間は幸せになります」という考え方がタオイズムです。矢追さんが言っているのは、タオイズムと同じです。それをもう一歩奥に入ったものが仏教であり、タオイズムには本当の幸せはないのです。

例えば、タオイズムだと「自然に従え」と言います。矢追さんも「自然に従え」と言います。しかし、自然と言っても無秩序の自然に従ったのでは、人生は始まらないのです。秩序ある自然に従わないとダメなのです。

この秩序ある自然を説かれたのが、日本の神道しかないのです。神道はすべて秩序があり、日本の神にはすべて秩序があるのです。これが秩序ある自然です。そこに到達すれば、たいしたものですが、ここに到達するには時間がかかるでしょう。

まあ、一読してみると面白いですよ。


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僕は前から言っていますが、宇宙人が存在するということは事実であり、認めざるおえません。ソ連のメドべージェフ首相、カナダの元国防大臣ポール・ヘリヤーも発表しています。

民間のUFOの調査団体「MUFON(ムーフォン)」では、7万5千件の目撃情報があり、全米で体に何か埋められたという報告は2500万人です。体に跡が残っているので、それが証拠です。キャトルミューティレーションも宇宙人の仕業だと言われています。眼玉がくりぬかれたり、舌が切り取られたり、生殖器が切り取られたり、血が一滴もない状態で発見されています。これらが物的証拠です。

全世界でUFOは目撃されています。UFOの種類は75種類です。UFOの実態はつかみきれません。三角、四角、丸、葉巻型UFO、様々な形があるのです。これはどうしようもありません。

その中で「ある」「ない」をどこで判断するのかというと、アメリカの空軍大学です。アメリカの空軍大学でUFOの講座が儲けられているのです。UFOは5万年前から、地球に訪れています。種類は75種類あります。そのようなことがアメリカの空軍大学の教科書に書かれているのです。これは事実でしょう。

或は一般市民がCIAを相手にして、「UFOに関する情報を公開しろ」と裁判にかけたのです。その結果として、CIAが負けたのです。CIAは千ページ以上のUFOの資料を公開しています。トップシークレットと書いてあり、そのようなものが公開されています。

ロシアのメドベージェフが大統領になったときには、2つのものを渡されています。一つ目は原爆のキーボックスです。大統領が押せば、いつでも原爆は発射可能です。二つ目はUFOに関するファイルです。大統領は2つのカバンをもらいます。そのようにメドベージェフがはっきりと言っているのです。これはどうしようもない事実です。

日本では元空将の佐藤守さんが言っています。UFOに撃墜されて航空自衛隊員が2名も死んでいます。隊員からの様々な目撃情報があるのです。そのようなことから情報分析をしていくとUFOの存在は疑うことができません。

しかし、それがどのようなものであるのかということは、また違う問題です。一つ言えることは、なぜUFOは現れるのでしょうか? 「地球を観察している」これは、有力な意見です。

60年前に宇宙人とアメリカ政府は約束していて、「我々の存在を公表してください」とアメリカ政府に言っています。アメリカもそれを了承したのです。その60年目にあたる年が2015年です。アメリカ政府は2015年にはUFOの情報を出さなければいけなかったのです。

今、盛んにUFOの一部が地球を攻撃しています。中国では攻撃された映像がユーチューブなどで出ています。「UFOは存在するぞ」と言っているのです。

アメリカは今年中に公開せざるおえないでしょう。しかし、UFOの問題を公表するのは大変なことです。アメリカの権威と世界の指導者の権威をすべて失うことになるのです。UFOに関して誰も説明できません。「UFOの飛行原理」「UFOはどこから来るのか?」「UFOは何年前からきているのですか」「UFOの目的は?」「UFOと人間のとのつながりは?」すべて一言も発言できません。

だから、権威を失ってしまうのです。今の権威はアメリカ大統領です。その権威が壊れてしまいます。アメリカが権威に一番こだわっているのです。

なんとかUFOの技術をマスターして、取り入れて、アメリカ製UFOを造りたいのです。これは一部、できているのです。アメリカ製UFOは、間違いなくあります。それが三角形のUFOです。

最近、各国で三角形のUFOが目撃されています。アメリカはUFOの技術が欲しくて仕方ないのです。欲しくて仕方ないから宇宙人と取引して、技術をもらったのです。それが電子レンジ、スマホ、スーパーコンピューター、光線銃などです。これらがUFOの技術です。

アメリカは、時空間を超える技術はまだもらっていないのです。時を乗り越えて過去へ行ったり、未来へ行けるのです。そんな技術をアメリカはもらっていません。

それから空間を縮める技術です。空間を曲げてA地点にB地点を重ねるのです。空間を折り曲げてA地点とB地点を重ね合わせれば、100万光年離れていても瞬間にA地点に来てしまうのです。そんな技術はまだありません。

ある程度のUFOの技術はもっているのです。アメリカ軍は重力推進装置を持っていると言われています。

重力を消す方法は何通りもあり、アメリカがもっている技術は反重力装置です。反重力ができるところまでは技術が進んでいるのです。今までの実験では、ハチソン効果などがあり、いきなり物質が部屋の中に浮き上がってしまったのです。

それはビデオに撮られています。まだその正体も明らかになっていません。電気をいじっていたのです。そうしたら、急に物質が浮き上がってしまったのです。それから超能力やテレパシーはあることがわかっています。

UFOは地球に何をしに来ているのでしょう。それは観察しにきているのです。「地球人はどのように発展して、どのようになっていくのか」と見てきましたが、もうまもなく原爆戦で終局を迎えるのです。

アメリカは「原爆戦をやる」と言っているのです。原爆戦が始まってしまったら世界は終わりです。世界は壊滅するのです。地球を何百回もぶち壊すだけの水爆を持っているのです。

水爆をどこかの国が撃つと、「やりやがったな!」と撃ち返して、理性もなくなり、人類は亡びるのです。そのことを宇宙人は非常に気にしているのです。

地球上にある、あらゆる種族を巨大UFOの中に標本にしてもっているのです。ノアの箱舟です。UFOに乗った人間が言っています。人間も仮死状態で保存されているのです。何をやっているのかというと、地球上の種族をすべて集めて保存しようとしているのです。現代版、ノアの箱舟です。

直径が2キロある葉巻型UFOや、もっと大きなUFOがあるのです。そんな中に動物も人間もみな入ってしまいます。それをやっているのです。

それから種の交配をやっているのです。これは本当です。ハイブリッドとは、人間と猿、人間と豚を交配して創っているのです。

宇宙人と人間の遺伝子もくっつけて、新しい人種を創ろうとしているのです。人類の前に出てくる時には、人間と似た顔のほうがよいのです。顔がトカゲとか、グレイだと「怖い」と思われてしまいます。人間と交配して地球人に近い顔になって出てくるのであろうと言われています。

宇宙人は地球にきていて、人類を見ているのです。我々も見られているということを意識しなければいけません。人類は戦争ばかりやっています。考えてみると地球は皆殺しの歴史です。何故、そんなに他人が憎いのでしょう。そんなことを宇宙人が見たら、マンガです。地球まで来られる技術があるということは、そんな段階をとっくの昔に卒業しているのです。人間という種族が珍しくて仕方ないのです。

なんて人間はこんなに馬鹿なのでしょう。宇宙人のメガネに適うのは多分、日本人です。日本人だけは、そうではないので助かるのだと僕は思っています。


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国会でいよいよ通るらしいのですが、このヘイトスピーチ禁止法とは恐ろしい法案です。そう思ってプライムニュースを見ていました。実際は恐ろしい法ではありません。アメリカのヘイトスピーチ法は、「ユダヤ人」と言っただけで逮捕されてしまうのです。

「あいつはユダヤ人だ」という人種差別法で逮捕されるのです。アメリカは法案が3つあるらしいのです。2つの法案は大丈夫なのですが、最後の法案にひっかかって逮捕されてしまうのです。それから、ドイツでもそうです。「あいつはユダヤ人だ」と言うと「人種差別だ」「ヘイトスピーチだ」と言われて逮捕されてしまいます。恐ろしい法案です。

これは、「朝鮮人」ということを言えなくなってしまうのかなと思い、ずっと見ていたのです。最初の段階ではそうではないらしいのです。ヘイトスピーチ禁止法には罰則規定がないのです。

「ヘイトスピーチはしないようにしましょう」というようなものです。すると、「懲役になります」という罰則規定が何もないのです。「ヘイトスピーチはよくない」ということを言っているのです。むしろ、教え示すというような意味をもっているのです。

在特会の話がたびたび出てきましたが、ヘイトスピーチが始まると、警察官が「ヘイトスピーチをやっているから逮捕する。止めろ!」という命令はできないのです。これは平沢勝栄さんが言っていました。もし、そんなことができると、戦前の特高警察になってしまいます。立会演説会に来て「おい、止めろ。お前は逮捕だ!」ということになってしまうのです。

今の警察官にはそんな権限はないのです。もしそんなことを言えば治安維持法時代になってしまいます。思想は自由です。これは憲法が生きてきているのです。信仰と思想の自由があり、言論の弾圧をしてはいけないのです。演説をする場合、警察に届け出を出すのです。中身を警察は見ないので、警察が中身について文句を言うことはないのです。

街で街宣する場合、どのくらいの音量でやるのか、時間帯、人数、場所について許可を出すのです。思想の自由ですから、警察は内容には絶対に立ち入らないのです。言論の自由に立ち入るようになったら大変なことです。

だから、ヘイトスピーチをやったからといって、今の段階ではすぐに逮捕されるということはないのです。何故、このような法案が成立したのでしょう。推進した側は、「ザル法で意味がない」と怒るのでしょうが、「この法律は人種差別をなくす第一歩なのだ」というのです。これは民進党、公明党、朝鮮総連、民団の連中の圧力があり、自民党が応じざる負えなくなって、つくった法案だと思います。自民党が積極的につくったのではなく、つくっても骨抜きにしたのです。上手いやり方です。

ところが骨抜きになっているのに、朝鮮人は喜んでいるのです。彼らの常套手段です。まず、第一に罰則規定のない法律をつくります。憲法の「言論の自由」にふれないからいいだろうと言っているのです。

憲法21条 表現の自由

1. 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

2. 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


それでもヘイトスピーチが進んでいくと、「これは罰則がないから終わらないのだな。今度は罰則をつくりましょう」と法律を治すことができるのです。それが今回の法律の中に書いてあるのです。今度は法案に罰則規定が設けられてくるのです。しまいには「朝鮮人だ」と言っただけで逮捕されてしまうようにするのです。

在特会の桜井さんが注意しなければいけないことがあります。竹島問題にしても、「朝鮮人が占領しているからけしからん」「従軍慰安婦はけしからん」とこれをいくら言っても逮捕はされないのです。

そこで、暴力をふるうと今の法律でも逮捕です。「日本海に朝鮮人を叩きこめ」「出て行け!」は余分です。僕もそう思います。それは言わないほうがよいでしょう。

この問題の本質をちょっと考えてみたいと思います。人種差別と言う問題です。その問題は区別と差別を知らないといけません。

「お前は朝鮮人か」というのはヘイトスピーチでしょうか。違います。「●●は朝鮮人である」と言っても、これは差別ではなく区別です。「俺は日本人だ。お前は朝鮮人だ」と言ったらヘイトスピーチなのでしょうか。ヘイトスピーチではありません。

ここは日本です。日本の中において朝鮮人は特殊なものの考え方、習慣の違いを持っているのです。「お前は朝鮮人なのか?」という意味です。その意味の裏は、日本人の習慣と違うことをやっているということです。

水の飲み方も違い、言葉も違い、考え方も違います。だから、「貴方は朝鮮人ですか?」と聞いているのです。これは差別ではありません。ここは日本の国なのですから、日本の国に入ったならば日本人を見習ってもらいたいのです。それは国籍だけではなくて、習慣、文化、そのようなものも含めて本物の日本人になってもらいたいのです。

日本にきて朝鮮文化を振り回したり、「ウリナラの歴史は5千年」と朝鮮人はウソばかり言っています。これは当然区別しないといけません。「貴方は朝鮮人ですか?」と聞くことは、違いを訪ねていることです。区別であって、差別ではないのです。

彼ら自体が民族的に劣っていることを知っているのです。だから朝鮮人と言われると、カッとなって怒るのです。桜井さんたちは「在日には特権がある」と言っていますが、朝鮮人の弁護士、平沢さんは「在日特権はありません」と言っていましたが桜井さんは「在日は特権だらけだ」と言っています。

まず、平沢さんは「朝鮮は植民地だった」と言いました。植民地から解放されて昭和27年頃まで朝鮮人は日本籍があったのです。戦争が終わったのは昭和20年ですから、7年間は日本籍があったのです。

それからサンフランシスコ講和条約によって、朝鮮籍になり、日本籍からはずれたのです。そのような時系列でみていかないと特別永住者の問題はわからないのだと言っていました。

昭和27年に朝鮮籍になっても、日本で生活しているのだから、その人たちに対して、区別をしないようにという意味で永住者という資格をつけたのです。だから合法的だと言っていました。

その時に約50万人が特別永住者になったのだと言っていました。まず、ここにもウソがあります。朝鮮は植民地ではなかったのです。平沢さんが「植民地だった」と言っていますが、植民地ではありません。このようなウソを言っています。

在日朝鮮人に特権はないのでしょうか。日本の生活保護を受ける予算を100とすると、70%の生活保護を朝鮮人が受け取っているのです。残りの30%を日本人が受けているのです。人口比率を考えてください。朝鮮人は約100万人しかいないので、100分1です。100分1の朝鮮人が生活保護費の70%を食ってしまい、残りの30%の予算を日本人がもらっているのです。これはおかしいでしょう。

朝鮮人の弁護士が「何ら区別はありません」と言っていましたが、ウソをつくのではありません。朝鮮人はなぜ、3つも4つも通名を名乗ることができたのでしょう。朝鮮名でいいではないですか。朝鮮名では都合が悪いから通名を使っているのです。

その国籍で威張れるならば、当然朝鮮名でやればよいのです。最初から朝鮮人とわかっていれば、日本人は差別もしません。通名で日本名を名乗り、犯罪をしているから嫌われるのです。

竹島の問題、どうなったのでしょう。日本の領土を韓国が武力で占領したのです。何故、日本政府は手を出さないのでしょう。これは本当ならば戦争です。ありもしない従軍慰安婦を騒ぎ立てて、「年末の合意もすみやかにすすめる」と言っていますが、像は撤去しないのです。従軍慰安婦像を撤去するのは常識です。撤去しないで大仏のような像まで造り、どんどん広げているのが韓国です。

何しろ、韓国は日本に対するヘイトスピーチがやみません。韓国では日の丸を燃やし、安倍首相の顔にバツをつけたり、燃やしたりするのです。これは、ヘイトスピーチではないのでしょうか? 

平沢さんも黙ってしまいました。韓国のヘイトスピーチを止めさせるということを同時にやらなければいけません。平沢さんは「私も国旗を燃やされたら怒りますよ。私の顔も燃やされたました」と言い怒っていました。それは怒らなければいけません。ヘイトスピーチが韓国にあるから、日本でも出てくるのです。何もないのに出てくるわけではないのです。

インターネットまで文句を言われるらしいけれども、言論の自由があり、プロバイダーが削除しないのです。「ヘイトスピーチだから削除してくれ」と言っても、プロバイダーがしっかりしているので言論の自由は守られているのです。

相対的に言うならば、区別と差別の違いをはっきり理解しなければいけません。「お前は勉強できる子で、お前は勉強できない子だ」「クラスの中で10番以内にはいりなさい。他の子は何番でもよい」というのは、差別でしょうか。これは区別です。

人間はそのようなものだから、競争原理もあり、よりよくなるためには区別もしなければいけません。その一番は国籍の区別です。日本人なのか、何人なのか、その自覚がないから民進党、公明党のように、何人だかわけのわからないことを言うのです。「日本を愛してはいけない。何故ならば世界の民は一つだから、特別な民族を愛したり大事にしたりすることは差別だ」など冗談ではありません。

同和の問題も同時にやるらしいのです。同和が差別をされているというのです。今から14~15年前に同和の特別立法は消えてしまったのです。「この地区は遅れているから特別援助をしましょう」という法律です。就職も差別されているのだから、枠を設けたのです。法務局の事務官は同和系統の人が多いのです。それから教員にも枠があります。島崎藤村も同和です。「夜明け前」という小説は同和の話です。特別立法があって、教員にしたり、公務員にしたり、日本政府は面倒をみてきたのです。

大坂へ行くとすごく立派なビルで同和会館があります。同和の人々はそこで結婚式をあげ、葬式もできるのです。「日本人会館」などありません。逆差別です。「差別された」というと政府が「お金を出しましょう」とお金を出して援助を続けてきたのです。

もう法律は切れているのに、また持ち出してお金を引っ張ろうとしているのです。逆差別です。このような問題もちゃんとやらなければいけません。

山口組の大幹部はほとんどが朝鮮人です。はばかりながらと後藤組長が言っています。「私は純粋な日本人だ。幹部がみな朝鮮人になってしまい、出ていけ、と言われてはじき出されたようなものです」と言っています。街宣右翼も朝鮮人です。

そのようなことをやるから言われるのです。「朝鮮人ですが立派な日本国民となり、一生懸命税金を払います」という人は誰も馬鹿になどしません。むしろ、尊敬されます。

モンテンルパンの洪思翊(ホンサイク)中将もそうです。彼は朝鮮人だけれども、立派に陸軍士官学校を出て、中将になったのです。モンテンルパン収容所の所長です。戦後、GHQに「処刑するぞ。朝鮮人だと言えばお前を助ける」と言われたのですが「私は大日本帝国軍人です」と言って処刑されたのです。このような人を誰が差別するのでしょう。

錫源(キムソグォン)大佐もそうです。韓国では国賊になっているのです。日本の帝国陸軍の軍人で戦争の名人で大手柄を立てるのです。韓国軍に将軍として入るのです。この人が行くと急に韓国軍が強くなり、北朝鮮が攻めてくるのを押し返したのです。それを韓国では「国賊だ」と言っているのです。

そのような人もいっぱいいたのです。これを見ても平沢さんがいうように植民地だと思ったらとんでもないことです。植民地の人間が帝国陸軍の幹部になれるのでしょうか。朝鮮人の将校は5千名くらいいたのです。こんな植民地はどこにもありません。

イギリスが植民地にしたインドで、一人でもインド人が大英帝国の軍人になったことがあるのでしょうか。絶対になれません。まして将校には絶対になれません。300年間統治しても一人もいなかったのです。

それなのに韓国がなぜ植民地だったというのでしょうか。このように言えば、この問題は終わりです。何の問題もありません。区別もしていません。朝鮮人の将校の下に日本人が大勢いたのです。朴槿惠のお父さんの朴 正煕も朝鮮人で日本の士官学校を出た人です。馬鹿にした人などいません。立派な人だったのです。

皆から尊敬されたのです。朝鮮人だから馬鹿にされるということはないのです。「植民地にされた」と、そのようなウソをやめなさい。韓国は植民地ではありません。このような差別用語は朝鮮人が使っているのです。日本人はそんなことを思っていません。大日本帝国臣民なのですから何の区別もありません。


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この間、深層ニュースで土方歳三資料館館長の土方愛さんがテレビに出演して、このように言っていました。

「ある小説家により、ずいぶん事実が変えられてしまいました」ある小説家の名前を言っていないのですが、これは司馬遼太郎先生のことなのです。新撰組関する本は様々にありますが、極めつけは司馬遼太郎の「燃えよ、剣」です。

これはテレビ化されて、本も売れて、テレビでは何人も土方歳三の役を演じているのです。相当売れたということです。

その中で何がウソかというと、「土方家はどん百姓ではありませんよ」と言っていました。司馬遼太郎の話によると、どん百姓にされてしまったのです。どん百姓の倅が「武士になりたいと憧れて、志一本で京都に登り、新撰組副長になった」という話にされてしまったのです。

ところが土方愛さんによると「土方家は百姓ではありませんよ」と言っていました。本人は怒っているのです。「燃えよ、剣」の中で名場面があります。「士道ニ背キ間敷事」という局中法度をつくります。

するともう一人の局長である芹沢鴨が、「近藤君、君の士道は何かね。我らには水戸士道館という士道があるのだ。君の武士道は何をもって言うのかね?」と意地悪く言うのです。すると近藤の顔が真っ赤になって、グーとこぶしを握り締めて「クソ!」という顔をして、土方が止める場面がありますが、「あんたら百姓だから武士道なんかないだろう。我らは武士だから士道をもっているのだよ」という話です。これも司馬遼太郎のウソです。

何故かというと、近藤勇と土方歳三の家は豪農であって、苗字帯刀です。畑の中をかけずりまわっていた水飲み百姓ではないのです。屋敷も構えていて、家の中には剣術の道場もあるのです。お金にも困らないし、お金ももっていたわけで、名主だったのです。名主は準士分階級で苗字帯刀だから、百姓とは言えないのです。

考えてみるとあの辺は八王子があり、八王子同心は千人もいるのです。この先祖は武田信玄の家来であり、徳川家康は直接、大名には採用しなかったのです。それを八王子にまとめて、千人住ませて「八王子千人同心」と言って、北の守りを固めさせていたのです。

土方歳三は徳川幕府が来る前にいた連中であり、土地の豪族です。しかも天領です。天領は将軍家の土地だから、大名がいないのです。大名がいなければ、侍もいません。徳川幕府直轄の土地だったので、徳川家に忠節を尽くそうとして新撰組をつくったのです。

司馬遼太郎のウソは、まだまだあります。土方歳三たちが江戸から京都へ行くのですが、京都へ行く前に「よい刀が欲しい」というので、土方はお姉さんから70両もらうのです。それをもらった土方は毎日江戸じゅうを歩き回り、ある時、盲(めくら)の刀屋へ行き、「何をお探しですか?」と盲にきかれて、「和泉守兼定を探しておる」と聞くと「この店にございます」と言うのです。

「親父、とぼけたことをいうな。和泉守兼定といえば大名物だぞ。そんな刀がこの店にあるはずがないだろう」と言うのです。「だいたい盲が刀の目利きができるのか?」と聞くと、「目明きよりも、盲のほうが刀のことはわかります」というのです。

「この和泉守兼定は貴方が来るのを待っていました」と言うのです。土方が「いかほどの御代か?」と聞くと「ただで差し上げます」と言うのです。「おぬし、わしをからかっておるのか?」というので、「五両でさしあげましょう」と言うのです。

本当は何百両する刀です。これも司馬遼太郎のウソです。土方歳三資料館で刀を見ると、「十二代兼定です。十二代兼定と二代目之定(のさだ)は全然違います。これも装飾されているのです。

司馬遼太郎の他の小説もすべてウソだったのです。「竜馬がゆく」の「龍馬」も違います。「司馬遼太郎さんの小説はずいぶんおかしなところがありますね」と言われて、「そうだよ、僕は坂本龍馬を書こうと思っていないんだよ。わたしの竜馬を書いているのだよ」と言ったのです。なるほど。

孫正義も「竜馬がゆく」の小説を読んで感動したのですが、あれはフィクションです。小説はみんなそうです。「宮本武蔵」を書いた吉川英治にしても、純文学にしてもみなフィクションです。フィクションとは何かというと、「ウソ話」です。

実際はフィクションが事実になってしまうのです。それだけ人間はウソが好きなのです。だから上手にウソをつく奴は天下を取ってしまうのです。

それも大きいウソほど面白いのです。安倍さんもウソつきですが、安倍さんのウソは小さいウソです。「安倍さんはウソつきだ」と大学時代の先生が言っています。今やっていることも皆ウソです。「TPPは通しません」と言っていましたが、今では見事に通そうとしています。何でもウソなのです。

今は「徴兵もありません」と言っていますが、これもウソなのです。その場限りでウソをついていくのです。何故、安倍さんの人気が出たのかというと、ウソつきだからです。ウソをつくやつは人気があるのです。ウソもつかない人は面白くないから人気が出ないのです。大きなダボラを吹く奴ほど面白いのです。

ダボラで天下が取れてしまうのです。ダボラでウソをつきまくったのが、実は創価学会の池田大作です。彼はすべてウソです。出自は朝鮮人、日本人であることもウソです。若い頃は文学青年であった、これもウソです。

池田大作は「肺結核で30までに死ぬであろう」と思ったそうです。「四畳半のアパートで震えながら、戸田先生のためにご飯も食べずに過ごした」これもすべてウソです。

何故ならば池田大作は若い頃から高利貸をやっていて、たっぷりお金を持っていたのです。寝ている子供の布団まではがしたのです。そのくらいあこぎな金儲けをやっていたのです。その時の写真が残っています。「高利貸池田大作」が本業です。文学青年も、肺結核もみなウソです。

それが証拠に池田大作は88歳です。体は頑丈だったのです。女はみな犯しまくったのです。体が弱い人がそんなことはできません。あの太った体型を見てもそうです。精力あふれる金貸しです。最大のウソが「人間革命」という本です。戸田先生が1巻を書かれたのです。2巻からは池田大作が「続人間革命」として書いたのです。

戸田先生は「妙悟空」というペンネームでしたが、池田大作は「法悟空」という名前でつくったのです。それは何十巻もあるのです。池田大作はウソだから何十巻でもできるのです。

その中に「これは小説です。この中には一人の人間が二人にかき分けられている場合もあるし、二人の人間が一人になっている場合もあります。これは小説人間革命です」と言っているのだから、「ウソです」ということです。

ところが、学会員はウソの小説を読んで感動して、「先生はすごい」と思い、ウソを有難がって、聖教新聞に「続人間革命」が掲載されていると切り取ってノートにだいじに貼り付けて、毎日一枚づつ増やしていったのです。それに赤線をひっぱって本当に精読して読むのです。ウソだから読むのです。これを発見しないと真実はわかりません。

ヒトラーは「ウソは大衆を動かすのだ。しかも、大きなウソほどバレないのだ」と言ったのです。小さいウソはすぐにバレるけれども、大きなウソはバレないのです。大きなウソで天下を取るのです。それを論理的な根拠にしたのです。

もちろん、これは間違った考え方です。ウソで天下を取っても、それは必ず滅びるのです。正理(しょうり)をもって天下を取らなければいけないのです。特にこのような時代は世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず。」(立正安国論)

これを正していくことが、日蓮大聖人様の信者です。「ウソをつくまくれ」などという馬鹿な奴がどこにいるのでしょうか。学会員よ、池田大作のウソに目覚めなさい。安倍のウソにも目覚めましょう。

しかし、ウソは魅力的です。結婚詐欺師は魅力的です。魅力的だからだまされるのです。クヒオの話も知っているでしょう。新聞に出て、映画にもなっているのに騙される奴はいるのです。話しているうちに本当の空軍大佐だと思ってしまうのです。それで「結婚したい」と思うのです。

ウソを見抜いていけるような人間にならないとダメですよ。



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おにぎりとは、日本人が生んだ最大の文化的遺産です。おにぎりは一番簡単です。温かいご飯をにぎりしめて、それに具を入れればおにぎりはできます。

このおにぎりが大変なしろものです。おにぎり、されどおにぎりです。おにぎりが美味しくできるようになれば、人間が進歩したと言えます。君もおにぎりをつくってみるがいい。簡単にはいきません。

コンビニのおにぎり? そんなものは論外です。あんなものは米で具を包んで機械でつくっているだけでおにぎりとは言えません。

まず、よいおにぎりを紹介しましょう。中野に「岡蒸気」という店があります。5~6店舗あるらしいのですが、ここのおにぎりは絶品です。全く文句なく美味しいのです。「田舎にぎり」というおにぎりですが、大きさといい、量といい、中の具といい、最高です。

おにぎりを一番おいしくつくるのには、3回握ればよいと言われています。できたおにぎりはふんわりしているのです。ふんわりしている感じですが、ここのおにぎりは「田舎にぎり」というだけあって、ガッチリパンパンにご飯を詰まっています。何十回も握って丸い形にして、海苔がまいてあるのですが、美味いのです。

普通は、こんな固いおにぎりをつくったらおいしくないのですが、ここのおにぎりは美味しいのです。女性にも一番人気メニューです。おにぎりは、赤ちゃんの頭くらいありますが、絶賛です。何度もつくろうと思いましたが、なかなか岡蒸気のおにぎりはつくれません。

それから、浅草に「おにぎり専門店」があります。このおにぎりもまた美味いのです。やわらかめですが、何しろ大事なことは、米が大事です。おにぎりは米だけを食べさせるものですから、お米が悪いとおにぎりはできないのです。ベトナム米や中国米では美味しいおにぎりはできません。パラパラの米もダメ、バラバラの米もダメ、適度に湿り気があり、水分が豊富でないとダメなのです。やはり日本米でしかできないのです。

日本米でも、こしひかりもあれば、あきたこまちもあります。お米によっておにぎりの美味しさは変わってきます。

米の種類が確定したならば、米の炊き方にも問題があります。難しいのです。ご飯を固く炊くと固すぎてしまい、固いおにぎりはまずいのです。やわらかすぎるとベチャベチャのおにぎりができてしまいます。

寿司屋は「米炊き3年」といいますが、米は難しいのです。ちょっとした水加減で寿司ネタも決まってくるし、おにぎりも変わってくるのです。おにぎりはあまりご飯が固くないほうがよいのです。多少水分があり、ゆるめの感じがいいのです。

おにぎりを握ると今度は塩です。塩に何を使うのでしょう。赤穂の塩もあれば、瀬戸内の塩もあれば、岩塩もあります。やはり、ご飯が甘く感じる塩でなければダメなのです。おにぎりにモンゴルの岩塩を使うと甘味が引き出せません。肉料理には岩塩はよいかもしれませんが、おにぎりにはダメです。

ご飯が甘くなるような塩がよいのです。手に適当な量の塩をつけて、白米でにぎるのです。これが本当のおにぎりです。これでおいしければ、具は何を入れてもよいのです。白米を握った段階でまずかったら何を入れてもダメなのです。

ご飯がベチャベチャでくっついてしまい、そんな中に具を押し込んでもダメなのです。白米で握って食べてみればよいのです。その中には何を入れてもよいのです。入れるものはうめぼし、昆布、おかか、いくら、しゃけ、何を入れてもよいのです。

基本はごはんだけで美味しく食べられなければダメなのです。塩加減だけをみてもわかります。ご飯だけで食べるのですから、塩加減が薄いと食べられません。そうかと言って、ショッパイご飯では食べられません。

この微妙なところを抑えないとおにぎりは美味しくないのです。最後に海苔をまきます。海苔はよい海苔を選ばないとダメです。甘い味付け海苔はダメです。味付け海苔などをおにぎりに使っている人は馬鹿なのです。ちゃんと磯の香のするよい海苔をおにぎりにまくのです。

今、僕が言ったことをよく考えながら、おにぎりをつくってごらんなさい。おにぎりをいくらつくってもつくれない人がいます。何故か、それは食べないからです。僕は必ず自分でつくったものは、自分で食べるのです。

一口食べてみて「塩気が足りない」「にぎりが浅い」「のりがあっていない」とわかるのです。料理が下手な人は自分で食べないのです。つくりっぱなしです。頭の中で想像して「これでいいんじゃないの」とやるから、全然人の意見が入ってこないのです。これでは何年やってもうまくなりません。たかがおにぎり、されどおにぎりです。

この単純な食べ物が美味しくできるようになったならば、諸君も一人前になったと思うがよいのです。寿司屋は難しいのです。「米炊3年」です。米が一人前に炊けるようになるのは、3年かかるのです。「ご飯など炊飯器ですぐに炊けるよ」と思うのですが、そうではないのです。微妙な水加減によって美味しくもなれば、まずくもなるのです。食材が生きてこなければいけません。そう思っておにぎりをつくってみなさい。君は美味しいおにぎりができるかな?


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結論的に言うと、舛添は逃げられるだろうと思います。何回もウソばかりついているので、嫌になります。

会見でこのように言っています。「湯河原に行くけれども、金曜日の夜に行って、風呂に2回入り、翌土曜日の朝に2回風呂に入り、東京に向かっているので、3時には東京に着いている」と言っています。こんなことはウソでしょう。

奥さんは湯河原には行っていないのです。結局、あの女ったらしは愛人を連れ込んでいるのでしょう。間違いないのです。何を食べていたのかというと、回転ずしとピザです。愛人とこもってピザと回転ずしを食べていたのです。

何故、奥さんは湯河原に行っていないのでしょう。まあ、子供もいるから主婦だと来れない面もあるのでしょう。舛添は1人で湯河原へ行っていたのです。SPも一緒だと言いますが、SPは舛添の別荘には泊まらないでしょう。だから愛人を呼んでおくことはできるのです。

お父さん、やりまくりです。ひどい知事です。やりまくり知事です。このようなところからもウソがすぐにわかるのです。せっかく湯河原に行くのですから、金・土・日と泊まるのに決まっているではないですか。朝、公用車で迎えにこさせるのです。

舛添は「土曜には湯河原から自宅に帰った」と言っていますが、その時の車は何でしょう。公用車の使用は都庁から自宅はよいのです。自宅から都庁へもよいのです。しかし、自宅から自宅へはダメなのです。すると金曜日に泊まって、土曜日も温泉に入って、その時の車は何でしょうか。公用車は使えません。帰るところは自宅です。だからウソだとわかるのです。

そのようなウソばかりペロペロついているのです。嫌になります。皆、これを絶対に忘れてはいけません。舛添を首にするのもいいですが、実際は難しいのです。ウソをついて逃げ切るでしょう。

舛添が一番いけないことは何かというと、東京にいることが怖いことです。これを見抜いたのは僕だけです。舛添は東京から逃げているのです。1週間の内に3日間も東京から離れていれば、その分だけ安心です。

1週間は7日間しかありません。その内3日間は東京にいないのだから、いつ東京に大地震が来ても、やられる可能性はずっと低くなります。舛添が恐れているのは、東京直下型地震がきて、都庁がペッチャンコになり、瓦礫の下で「助けてくれ~」というのが、嫌なのです。大地震が来たときには、「俺は東京にはいないぞ」と決めているのです。

舛添の卑怯性、ここを見抜かなければいけません。別に温泉に入ってもかまいません。温泉に入ろうと、公用車を使おうとかまわないけれども、そんな根性で都庁に入っているのでしょうか。

海外旅行も同じ理由です。海外旅行に行っている間は、東京にはいません。そのうち、49週は湯河原にいて、そのほかは外遊です。ほとんど東京にいないのです。ここに問題点があるのです。

東京直下型地震があった場合、湯河原にヘリコプターなど止まれません。どうやって東京へ帰って来るのでしょう。道路が滅茶苦茶になったら、都庁にはこれません。すべて無責任です。

「舛添は無責任な男だな」と思わなければいけません。だいたい、子供が10人もいるなど、無責任も甚だしいのです。まだ子供をつくるつもりでしょうか。気持ち悪いと思いませんか? 60歳のジッチャンに子供が生まれて、認知するのしないの、生まれた子供には精薄児もいるのです。「生活を援助してください」と前の奥さんに言われて、20万円援助していたのですが、お金がなくなって、援助できません。「10万円にしてくれ」と裁判をかけて10万円にしてもらい、舛添の姉ちゃんは生活保護を受けているのです。舛添は何をやっているのでしょう。出鱈目もいいところです。

複数の家庭をもっている男を都知事になどしてはいけないのです。部類の女好きで、見境いないのです。都民が都知事を首にできればよいけれども、ウソをつきまくって今回は逃げ切るでしょう。

元大阪都知事の橋本徹は、「今回は徹底的に謝ってお許しを請うか、辞めるしかない」と言っています。どちらにしてもロクな結果にはなりません。舛添は目が血走り、本当に気の毒です。

こんなセコイ男はダメです。お金はどんどん使うのです。僕などの例でいうと領収書など1枚もとりません。タクシーに乗ればおつりはもらいません。それでいいのです。困っている人には施せばよいのです。ホームレスが歩いていると、ポンポンと肩をたたいて「たまには美味い物を食えよ」とお金をあげるのです。

舛添は床屋へ行くのにも領収書、子供の下着を買うのにも領収書をもらっているのです。僕から見ると信じられないドケチ親父です。

舛添を首にできたらいいですが、多分徹底的に謝って逃げ切るでしょう。しかし、こんな奴はまた馬脚を現すから見ていきましょう。


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