恐怖で操る人に対峙するには? | チャネリング・コスモスの咲く頃に☆ 

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たくさんのペタやメッセージありがとうございました。
あっというまに時間が過ぎますね。
のんびり再開です。


今回は通りすがりさんとです。


「とある方の話を聞いていて、
どうしても、上手く人を誘導する(恐怖で動かす)人には、どうしようもない
と言うような言葉が出てきました。

そうかもなぁとおもいます。

集団がいて、その中の誰かが、周りを自分の好きなように操ろうとする人がいると
その中の集団の意識、結束が弱い場合は、その個人に委ねられてしまう・・・
優しい人が多い場合も、そうなりやすいですよね。

外国はすべてはわかりませんが、日本人よりは主張はしっかりする事が多いし、
時にはつかみ合いのケンカになることが日本より多い気がします。
中国なんて威圧しないと普通の生活が出来ないところもあるしねぇ。
眉間のシワも、思わずよっちゃいます(笑)
いかんいかん、とシワ伸ばしますが。

だけど、結局こういう小さいところで、人間同士が解決できないと、
世界平和(というの?)は夢のまた夢のような気がします(笑)
突然、何かあって変わるかもしれないけど・・・

結局、人との関係を根本から変えないと、難しいように思います。
ケンカしろというのでなく、どうすれば上手く誘導する人に対して、
その恐怖を押し付けられないようにできるのか?」


恐怖を恐怖と捉えなくすること。
恐怖は、すくんでしまい、何事も成せなくなってしまいます。
ですが、恐怖と捉えなければ、何事も解決します。
あながたがたが思っているよりも解決方法は簡単です。
なぜそれを恐怖と思うのか?


「はい、通りすがりさん、上手く誘導する人というのは
自分のやりたいように動かすことが得意で、声が大きい人なんて言われます。
もっともらしい理屈付けが上手です。
ですから、周りは反対する理由がなくなり、動かざるを得なくなってしまいます。
もしくはどちらでもよいと思う人が多いのかもしれません。」


押し付けあいが、押し付けあいでなくするのはとても難しいことですね。
意見というのは、正々堂々と言うことばかりではありません。
ただ朴訥に語ることもよし、横柄にわざと言うもよし、でしょう
問題は、その意図が見えにくいことでしょうね
あなた方の問題は、それが見抜けないことにあると思います。


「見抜けても、なんだか面倒な人来たな~、別に巻かれときゃいいか、
と考える人ばかりだと思いますよ。働かないアリですよ。
数割の働くアリさんにお任せしておけばいいのさ~♪みたいな。
あと、考えなくていいのは楽です。ある一定の様式に当てはめて、行動する、
例えばこの社会で生きるからにはこの社会で通用する理念で行動するから、
オトナになると、この脊髄反射だけで、暮らしていけそうな気もします。
これからは、もっと賢く考えることをしていかなくてはダメということ?」


恐怖は恐怖でしかないのですよ。
ただの感情です。それを、行動と結び付けていることがいけないだけです。
あなたがたは、行動―感情のラインが、かなり密接に結びついています。
それらが、どんな作用をあなたがたに及ぼしているか、わかりますか?
立ち往生です。
感情の、立ち往生ですよ。

ここまでは進める、だけど、ここから先がいつも前に進めない・・・
そんな気持ちになることはありませんか?

それらは、行動が邪魔しているのではなく、往々にして感情が邪魔しています。

あなたがたはブロックと呼んでいるのでしょうか。
感情のブロック、トラウマ、個人により癖はあるでしょうが、それらが邪魔して、
自分の好きな振る舞いが出来なくなっていることが多いように見受けられます。

あなたがたのその周りにいる恐怖で、人を支配するような方と言うのは、
それらが癖になり、今までと同じように人を支配しようと思っているだけです。
その方たちも、ただの癖で、その癖が今まで成功してきた人間関係をなぞっているだけです。
ですが、本人がそれで幸せを感じているかは別問題ですね。

人間も感情も、自然と同じものです。
日向に開いた葉を広げる樹木もあれば、それを日陰にして伸びる樹木もある・・・
草木も、そうでしょう。
日向も、日陰も、ないと昆虫も生活できない。
それらを糧にしてまた鳥が啄ばむ・・・

ですから、感情の面において、あなたがたに圧迫感をもたらす人については、
そういう人なんだ、と理解し、その人を受け入れてあげてください。
別にその方の横暴を許せというわけではありません。
ただ、周りの人間は、その人の全てを拒否し、また信じられないと憤慨し、その人を変えようとします。
ですが、その人にもその人の歴史があり、経験があります。
ただ、それになぞってやっているだけの行動なのです。

ですから、その人を根本から変えようとするのなら、変えなさい、こうしたほうがいいよ、
と言う言葉では駄目で、
ただ周りの表現を変えなさい。自分の表現は、周りにこう受け止められている、
そう感じることが出来れば、周りへの表現も改めるでしょう


「あなたはこういう人だよね、と受け止めながら、だけど我侭は拒否してもいいということ?」


そうです。


「お言葉ですが、人にどう評価されようと、気にしない人種が、
『おしつける人々』なんではないですか。私もそうかもしれないけど笑」


気持ちは、分かるけど、それを許すのは為にならない、そういう反応ですね。
少なくとも、気持ちの面では、その人を全否定しなければすむ話ですよ。


「そう簡単にいくかなぁ??会社で、我侭いっぱいで通してる人に、
こういうのは難しいように思えます。
ただこれから、情報でも、自分の選択でも、ただ何かに乗っかって、
楽に生きる、という姿勢だと駄目なのかもね。
楽に、と言う意味も、別に苦しく頑張らなきゃいけないわけじゃなくて、
何も考えていないで、と言う意味です。
自分で自分の好きなこと、自分で決めてやっていることは、楽ではないけど、
苦ではないものね。
また考えます。ありがとうございました」




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