【読書】コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる/山崎亮 | THE ONE NIGHT STAND~NEVER END TOUR~

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「40歳からの〇〇学 ~いつまでアラフォーと言えるのか?な日々~」から改題。
書評ブログを装いながら、日々のよしなごとを、一話完結で積み重ねていくことを目指しています。

コミュニティデザインの時代- 自分たちで「まち」をつくる/ 山崎亮


「studio-L」の代表であり、
「つくらないデザイナー」である山崎亮さんの著書です。

さまざまな地域のコミュニティデザインに関わられていますが、
一番有名なのはおそらく、
島根県隠岐諸島の海士町プロジェクト
ではないかと思います。

<目次>
第1章「なぜいま「コミュニティ」なのか」
第2章「つながりのデザイン」
第3章「人が変わる、地域が変わる」
第4章「コミュニティデザインの方法」

最近、人とのつながり、絆の大切さが叫ばれるようになりました。
戦後、「つながり」が「しがらみ」に思われ(事実そうした側面はあると思います)
そうしたつながりから離脱すること、
自分なりのライフスタイルを確立することが推奨されてきたように思います
(少なくとも僕はそういう社会的風潮の中で育ちました。)

「相互扶助社会は相互監視社会」と言った人もいましたが、
それも間違いないことだと思いますし、
近代化の中でそうした息苦しさから逃れようとする人も増えてきたのも当然のことだとは思います。

しかし、その結果が年間3万人を超える自殺者、孤独死、児童虐待、
といった問題を引き起こしているのではないかと思います。
むろん、これらすべてが、「つながりがない」ことに起因するとは言い切れません。
だた、つながりがないことによって起きそうな問題が次々に起こり
「つながりがなくなったためにさまざまな問題が生まれている」
という気持ちが人々のなかに生まれてきていることは確かだと思います。

コミュニティは必ずしも「地域コミュニティ(共同体)」に限定されるものではないとは思います。
SNSの時代、さまざまな形でのコミュニティが生まれてくる可能性は高いと思いますし、
実際、生まれてきているでしょう。
ただ、生活する土地の基盤の上に立つリアルなコミュニティは、
ネット上のコミュニティとはまた違った重要さがあると思います。

このブログでも何度か、宮台真司さんの言葉を援用して
「行政にお任せして、文句は垂れる」
ということが日本社会の問題点だと指摘してきました。

また、行政の側も、住民を「お客さま」として扱う風潮が起きてきていると思います。
もちろん、官尊民卑のような考え方は論外ですが、
行政が民間企業と同じ発想に立つのはいかがなものか、と僕は考えています。
それを突き詰めれば、
税金を高く払った人がより多くの行政サービスを受かられるということになりますが、
そんなことでは行政が成り立つとは思いません。
ある市で設置された「すぐやる課」は多くの称賛を浴びていますが
僕には違和感がぬぐえません。使われる原資は税金です。
本当に「すぐやる」必要があるのか精査されることなく税金が使われるのは問題があると思うのです。
それよりもまず、地域の人々の手によってできることがないのかを考える方が先ではないのでしょうか。

「まちのことは誰かにおまかせ」ではなく、「自分のまちのことは自分たちでマネジメントする」という態度がますます重要になる。こうした意識を持つ市民が多い地域ほど、クリティティブな事業が生まれやすくなる。地元に住む人たちが工夫してまちの将来を創りだし、それを実行していく機運を高めることが大切だ。」(p48)
「行政がやるのだものだと思っていたことを住民が協力してやるようになると、住民同士の関係性が変わるようになる。」(p53)

「行政にお任せ」から「自分たちのことは自分たちで決める」に転換すると
いろいろな変化がおきます。人が変わり、そのことによって街も変わっていきます。
第3章に描かれた具体的な事例を読んでいただけたら、
そのあたりのことは理解していただけるのではないかと思います。

しかし、
「自分たちのことは自分たちで決める」
ことが重要だということを言うのは簡単です。僕でも言えます。
でも具体的な処方箋をどう描けばいいのか、となると一筋縄ではいかない部分もあります。
すでに「つながり」が崩壊してしまっている地域ではどうするのか、
逆に「つながり」が残っているがゆえにそれが「しがらみ」と化し、
お互いに空気を読みあって誰もなにも言わない地域はどうするのか。

そんな時、山崎さんのようなある意味「部外者」の存在が重要になってくるように思います。
彼らの仕事は決して彼らがコミュニティを作り出すのではなく、
地域の人々がコミュニテイィを作り出し「手助け」をすることだと思います。

山崎さん自身がこの本の中で、
「仕事の区切りはコミュニティが自走し始めた、と思うとき」
と言い、また
「自分の仕事の究極の目標は『コミュニティデザイナー』という肩書きが消えること。コミュニティデザイナーなる外部の人がやってきて地域の人のつながりを作って帰るなんて異常な状態だから」
とも言われているのをみれば、本来は理想は、
地域の人たちが自然につながり、協力してまちのための活動をすることなのだと思います。
ただ、いまはそれが出来ない状況だからこそ、山崎さんのような存在が重要になると僕は思います。

また、「自分たちのことは自分たちで決める」といっても
それは行政と対立することを意味しません。
第4章に「行政職員との付き合い方」という項をもうけていますが、
本来的に行政職員は有能な方が多いわけです。
その知恵を使わないのはもったいないことです。
「お任せ」するのではなく協力する、
もっと言えば「利用」して地域の活動を盛り立てていくことだと思います。

以前、僕は、日本では地域コミュニティも会社コミュニティも崩壊過程にあるので、
「その他(趣味や勉強会サークルなど)のコミュニティに所属する努力をしなくてはならない」
と思っていました。
もちろん、そうしたコミュニティに所属し、
あるいは自ら作り出すことは大切なことだ思う気持ちに変わりはありません。
ただ、自分の生活の基盤である、現に住んでいる地域にコミュニティに所属し、
それを活性化していくことは、それと同じくらい大切なのだと、
震災以降、強く思うようになりました。

もし、僕と同じような感覚、気分を共有する方がいれば、
この本は大いに参考になると思います。

PS
それとは別に、
第4章「コミュニティデザインの方法」には、
実際のワークショップの進め方などが書かれていて、
へたなファシリテーションの本よりファシリテーションについて理解できるような気がします。
そんな視点を持って読まれてもいいかもしれません。