なごやんのBCL史(37)東南アジアの牽引車
今回はアジアです。東南アジアのインドネシアへやってきました。
【背景】
1.人類の祖先
「ジャワ原人」で知られるように、インドネシアには今の人類が住み着く以前から人類の原型ともいえる「人」が住んでいました。しかし、その後(と言っても紀元前ですが)中国やマレー半島から渡ってきた人たちが住民の主流となってきます。
2.オランダの支配
紀元後13世紀ころからイスラム教が地域一帯に広まり、中心的な宗教になりました。
17世紀に入ってすぐにオランダが「東インド会社」をジャカルタに作り、インドネシアを支配下におきます。
19世紀末にはジャワ島だけでなく、スマトラ島までオランダ領になりました。
インドシナ半島東側(現、ベトナム、ラオス、カンボジア)がフランス領インド(仏印)と呼ばれたのに対し、インドネシアの島々はオランダ領インド(蘭印)とされました。
インドネシアはずっとオランダの支配を受けていましたが、第一次世界大戦頃には独立機運が高まってきていました。
3.オランダからの解放と日本の統治
第二次世界大戦がおきると、日本は中国、朝鮮に留まらず、東南アジア諸国(フィリピン、インドシナ半島)へも領土拡張の手を伸ばし、インドネシアのスマトラ、ジャワへも侵攻しました。そして1942年、インドネシアからオランダを切り離しました。インドネシアにとってはオランダからの解放でしたが、それはまた、日本に支配されることでもありました。
4.独立
インドネシアの歴史が大きく動くのは第二次世界大戦が終了した1945年のことで、日本から解放されたインドネシアは終戦翌日の8月17日、独立宣言を読み上げ、スカルノを大統領としました。
5.オランダによる再植民地化を阻止
敗戦国日本はもはや蚊帳の外でしたが、"戦勝国"オランダがこの独立に納得せず、同じく戦勝国の英国と連合を組んでインドネシア軍との戦いに入りました。そして1949年、連合国(United Natios,日本での呼称は国際連合)が仲裁に入って、ようやくインドネシア共和国が認められるに至りました。(ただし、インドネシアでは1945年8月17日を独立の日としています。)
蘭、英との戦いには日本軍の元戦士も加わったとされていて、その意味では、日本の軍人がインドネシアのヨーロッパ植民地主義からの解放に寄与したと言えるかもしれません。
6.スカルノからスハルトへ
大統領となったスカルノは1955年にバンドン会議を成功させるなど、国際的な名声を高めていきましたが、国内で盤石の力があったわけではなく、紆余曲折を経て1967年、辞任に追い込まれ、後を継いだスハルト大統領の時代になります。
7.現在のインドネシア
その後、政権はハビビ、ワヒド、メガワティ、ユドノヨと代わり、2014年からはウィドド大統領が政権の座に着いています。東南アジア諸国連合(ASEAN)の本部は首都ジャカルタにあり、この地域では大きな力を持っています。
いわゆる「第三世界」を率いる国のひとつで、その立場で「西側」の日本とも友好な関係を維持しています。
【Inilah Suara Indonesia(こちらはインドネシアの声です)】
さて、前書きが長くなり過ぎましたが、スカルノからスハルトへの政変の頃、私はインドネシアからの放送を聴いていました。ログを見ると、放送開始前にインターバルシグナル(I S)が流れていたようです。しかし、どんな曲だったか覚えていません。インドネシア語放送は比較的よく入感しましたが、英語放送の受信状態はそれほどよくありませんでした。
聴いていたのはインドネシア共和国放送(Radio Republik Indonesia,RRI)の国際放送で、インドネシアの声(Suara Inodonesia)です。英語のアナウンスメントは「This is the Voice of Indonesia,broadcasting from Djakarta.」と言っていました。
受信報告を出すと、しばらくして受信証(ベリカード)が送られてきました。
東南アジアではベトナムの声の次によく聴いた放送ですが、ベトナムの声のようにほぼ毎日というわけではありませんでした。
時には国内向けインドネシア語放送を聴くこともできました。ただし、私はインドネシア語がわかりませんので、内容の理解には至っていません。
仕方なく、英語で受信報告を出しました。
インドネシア語放送のログ(Warta Berita=ニュース)
その報告に対しては民族衣装を題材にしたユニークな図案の受信証が送られてきました。
インドネシアの声からはこの他に番組表やパンフレット等も送られてきたのですが、現在行方不明です。
インドネシアの声は1977年に日本語放送を開始し、現在も短波で続けられています。ただし、私は聴いていません。インターネットでは日本語ページもあります。
ということで、あまり話題のないインドネシアでした。
次回はまたヨーロッパです。そして、その後はアフリカを少し増やし、ヨーロッパ→その他→ヨーロッパ→アジア→ヨーロッパ→アフリカ→ヨーロッパ→アジア→ヨーロッパ→その他→ヨーロッパ→アジア→ヨーロッパ→アフリカ→ヨーロッパ→アジア・・・と、全体の2分の1がヨーロッパ、4分の1がアジア、8分の1がアフリカ、残りの8分の1がその他(北米、中米、南米、オセアニア)となるように調整します。
SWL、BCL、DXingの過去記事はこちらをご覧ください。
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