なごやんのBCL史(25)東西の架け橋 | なごやん

なごやんのBCL史(25)東西の架け橋

 今回はアジアの順番です。そして初めて西アジアへ行きます。


【背景】

 地理的にはアジアに属しますが、自らはヨーロッパの一員たろうとし、サッカーでもアジア連盟ではなく、ヨーロッパ連盟に加入している国があります。

 小アジアの大半を占め、バルカン半島の一部にまで国土を広げているトルコです。

 特にバルカン半島、ブルガリアに隣接するイスタンブールは経済の中心でもあります。貿易相手国もヨーロッパ諸国が多く、経済活動だけを見れば、実質的にヨーロッパの一員と言えるかもしれません。

アジアとヨーロッパにまたがるトルコ


 トルコは現在共和制をとっていて、イスラム教国ですが、世俗主義的な文化に浴し、周辺のイスラム教国とはやや異なるようです。


 世界の文明の発祥地のひとつでもあり、多くの遺跡や文化財を有していますが、中世から近世にかけてはオスマン朝に支配され、トルコとしては独立していませんでした。


 独立機運が高まるのは19世紀になってからで、20世紀初頭、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れると、帝国はバラバラになってしまいます。


 そこに台頭してきたのが、ムスタファ・ケマル率いる武装集団で、小アジア一帯とバルカン半島の一部(イスタンブール)を領土として1923年10月23日、共和国として独立を宣言し、首都をアンカラに置きました。

ムスタファ・ケマル(アタテュルク)


 トルコは西欧化政策を進め、特に第二次世界大戦後は「西側社会」に擦り寄ってきました。米国が当時のソ連邦に隣接する同胞として歓迎したことは想像に難くありません。


【ラジオ・アンカラ】

 トルコには1923年に開局した「トルコ ラジオ」がありましたが、1964年、国営の「トルコ国営放送(Türkiye Radyo Televizyon Kurumu~TRT)」が設立され、外国向けにはアンカラ・ラジオ(Ankara Radio)、ラジオ・アンカラ(Radio Ankara)などの名称で多言語による放送を行っていました。


 私が最初に聴いた時は知らない言語での放送だったのですが、幸いにも私は主な国の国歌のメロディーを知っていたため、インターバル・シグナルの後に奏でられる国歌を聴き、トルコの放送であることが判別できました。内容はもちろん(笑)理解できませんでしたし、トルコ語放送であることを知ったのは放送の後でのことです。

国歌でわかったアンカラ・ラジオ


 そのうちに英語放送も受信できるようになり、受信報告を書きました。

ラジオ・アンカラ英語放送の記録


 受信証の写真はクズライ広場とアタテュルク通を写し出しています。

ラジオ・アンカラ受信証


 放送スケジュールには「Voice of Turkey」とも書いてありますが、この名称が正式になるのはもっと後のことです。放送はトルコ語、英語に加え、アラビア、イタリア、ウルドゥー、ギリシャ、セルビア=クロアチア、ドイツ、ハンガリー、フランス、ブルガリア、ペシュトゥ、ペルシャ、ポーランド、ルーマニア語と、全部で15言語で行われ、とりわけ周辺のヨーロッパ言語に力を入れていることがわかります。

ラジオ・アンカラの放送スケジュール


【トルコの声】

 外国向け放送が正式に「トルコの声(Voice of Turkey)」となったのは1982年のことです。何と26言語で放送していました。受信証もちょっと豪華なフォルダーになりました。

1980年代の「トルコの声」受信証(手書き!)


【そして今】

 現在はご他聞にもれず、インターネットが主流で、TRTも例外ではありません。

 充実のTRTウェブサイトには日本語ページもあります。


 最初にも書いたように、トルコはあくまでもアジアの国なので次回はヨーロッパへ行きます。久しぶりに旧東欧にしましょう。


BCL、DXing、SWLの過去記事はこちらをどうぞ。


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トルコの国花 もチューリップだって⇒