【遊戯】160117_クラシックD&D_京成会 | しかしなんやね

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人生いろいろって訳ですね



【原点回帰】
てな訳で時折お世話になっております「京成会」ってオープン定例会に参加させて頂き、
世界初のRPG「Dungeons & Dragons」を遊ばせて頂きました。

自分がRPGを始めた頃は丁度「ソードワールドRPG」が流行っていた頃だったので当時のGMは「わざわざ古いシステムは」と判断しやがりなんやかんやであんまり遊ぶ機会も無く疎遠になって久しかった訳ですが、最近この京成会で原点回帰と思い時折遊ばせてもらってもらっておりました。

そして今回も参加して「今回はクレリックでも」と思いオープンダイスでクラスのヒットダイスを振るも見事に「1」が出て、色々とダイスさんは解ってらっしゃると初手から感心しながらのスタートです。

【ロールプレイ】
今回は真面目な僧侶の少女をプレイ。
まだ呪文で補助できない身分を恥じ、献身的な立ち振る舞いで全員を導かんと必死になってる、的な振る舞いをなんとか演じておりましたがGMが用意した
「女キャラに浣腸するのが好きなハーフリング」
ってののお陰で
「第二関節まで入った」
とお笑い地獄へ誘われてしまい、結果何時ものように瞬発力で急場を乗り切る行き当たりばったりロールプレイとなってしまう。

うーん、思惑通り行かないのもまたロールプレイかな。

【遊技と役割の際を付く】
そんなD&Dの初手の頃ってのは、今の洗練されたシステムから観ると非常に粗野でいい加減な部分が多いシステムな訳ですが、当時シミュレーションゲームを利用してダンジョン探索をやろうぜと言った時に曖昧な部分を判断してもらう役割としてGMが生まれた経緯を考えると、基本的なシステムでは出来ない事を急場で判断し判定しながら前に進む、とうい遊び方こそRPGでしか楽しめない部分なのかなと思いました。

丁度相対的に「神話創世アマデウス」なんてギミックとルール満載のシステムでまるでパズルを解くようにプレイするのも明確で確実で公平だから安心して楽しめますが、粗野で基本的な事しか決まっていない状況で、GMと駆け引きややりとりをしながらダンジョンを攻略するのは公平さが不明瞭な所もあるのかも知れません。

しかし、その不明瞭な状況こそダンジョンというのを的確に表現しているのかなと思いました。やっぱりダンジョンってのは不平等で無秩序、そして無慈悲で無機質なんだなと思います。

それを知恵と勇気と、そして空気を読みながらまるで薄氷の上を歩むかのようにダンジョンを探索するのってのは、なんかやっぱりRPGの原点だなと思いました。

そしてここから数多のシステムが派生し、薄氷の上を歩まなくてもそのいわば「役割と遊戯の際」のようなものを安心して楽しめる時代になりましたが、それでも時々はこうやって我が身を晒しGMと質疑応答で遊ぶのもまた必要なのかなぁとか、そんな事を考えながら浣腸されたローティーンの少女はどうやってこの悶々とした気持ちを昇華するんだろうとガチに悩み結果混沌に捕らわれた少年を助けるんだと勝手に考えとりあえず加害者少年を説教するロールプレイをしながら思い馳せていた次第です。

そんな訳で、この遊びはもうしばらくは続けようと心に決めるセッションでございました。