悲しいニュース。
聞きたくもないし、
みたくもないニュース。
そんなニュースがある。


二人の子供の遺体が見つかったニュースがそうだ。30日未明の大阪市西区のマンションのベランダのゴミの中から幼い兄妹の死体が見つかったニュースが聞きたくもないし見たくもないニュースのだ。


幼い兄妹の腐乱死体が見つかったという。母親は当然逮捕されたが、二人の死を気付かなかったのは、どうしてだろう。腐臭がしても気付かなかったのは、どうしてだろうと誰でも考える。


何時か、何時だったか、橋下知事はたとえ勘違いであっても、虐めではないかと思ったら、怪しいと思ったら通報するようにと頼んでいた。たとえ勘違いであってもいいから通報する様にだ。


もし、仮に、勘違いで非難され、罰を受けるとき状況になれば、自分が罰を受けると、橋下知事は言っていたような気がする。自ら罪を引き受けるからと橋下知事は言っていた。


その効果もなかった。そして、隣近所の住民からの通報に対しての行政の対応の不備は指摘されても、二人の子供は帰ってはこない。幼い兄妹は帰ってこない。


そんな嘆きや非難は簡単だが、現代社会での母子家庭の悲劇は深刻な状況にあるようだ。2人の子供を抱えて夜中まで一生懸命働く女性の限界を見た思いにもなる。


出産時の喜びはブログに綴られているという。そのブログを見た人は多いだろう。出産の喜びと幸せの綴られたブログは、見る人を幸せな気分にしただろう。


何時頃心変わりをしてかは安易には判断できないが、肉体的な限界が精神的な頑張りを挫けささたと思う。誰かが、共に暮らす、それ以外には解決方法もなさそうな悲劇である。


隣近所の目も限界があり、夜中まで子供を気にすることなど出来ないから、祖父母や行政意外に、子供を気にかけ、面倒を見れる人はいない。


単純に言えばそうなる、安易な判断や断定など出来ないし、結論も無い社会問題であり、現在日本の病巣の一つと言うしかないようだ。


喜びと幸せを綴ったブログ。読んだ人を幸せな気分にしたブログの主、若い母親の幸せが、不幸に変わるのは、男の責任だと思う。男の責任だ。


私も離婚して、子供を育てる事無く、現在に至っているから、幼い兄妹の死に自分の責任の一端があるような気さえする妙な気持ちになっている。


警察の捜査として、殺人や保護責任者遺棄、育児放棄や虐待と、様々な犯罪用語が並ぶが、どれもこれも空しいばかりである。橋下知事のコメントがあったかどうかは知らないが、やっぱり行政の力しかないような気もする。


ブログに喜びと幸せを綴った若い母親は、「育児が嫌になった」と供述していると言う。「自分の時間が欲しかった」と供述しているという。