大相撲は興行である。
相撲道ではない。


大相撲は興行である。
そこが原点だ。




 そんな事は関係なく、理屈抜きで、また、国技としてではなく、日本独特のスポーツとして好きな人は多いだろう。大相撲の重々しい伝統が、あの巨大な力士達の人間性も作り上げていくと錯覚している現在の日本人といえないこともない。柔道や剣道と同じように、道を究める日本的スポーツだと思っている。大関なり、横綱になると、人格が出来上がると錯覚もする。一般社会なら、大学生であったり、新人社員であったり、見習いの年齢で、最高位の横綱まで駆け上る。そんな特別の世界が、何の歪もなく社会と調和することは不可能だ。歪の中には、反社会的な勢力と呼ばれる人々との繋がりがある。親に反抗することなく、学校では優等生で、誰からも褒め称えられるような子供から力士は生まれない。同級生などを圧倒する身体的優位性を持つのが大相撲の絶対条件だ。圧倒的な身体的優位性は暴力とつながる。暴力的優位性は何時でも魅力的で吸引力がある。そこにワルが集まり不良集団となっていく。不良集団は成長するに従って様々な道に進が、昔のワル仲間として何時までも繋がっている。強調するまでもなく、同級生やワル仲間は何時までも繋がっている。

 最も早く社会的な評価を受けるのが大相撲だ。

 どんなに出世しても昔の仲間は昔のままだ。その中には、反社会勢力といわれる暴力団もいることもある。それで繋がりは消えない。また、苦しかった時代に支援してくれた人の中に暴力団員や暴力団と繋がりのある人がいても可笑しくない。暴力団でも普通に付き合っていれば、別に問題はない。付き合って暴力団と知らなかったなどはあり得ないが、暴力団になる前からの古い友達との付き合いは仕方がない。暴力団ではなく古い友としての付き合いだ。距離を置くのは当然でも、付き合いが絶たれることはないだろう。勿論、問題はそんなことではない。


 元々は興行で、現在も行われている地方巡業が本来の大相撲だという。地方での興行を支えるのは、やくざ的な人々であった。興行師が支配するのが地方巡業、地方興行であった。大相撲と裏社会との繋がりの原点は相撲興行だと、言ってみても、それは昔のことである。NHKの完全実況中継のある国技と呼ばれる現在の大相撲では、そんな理屈は通らない。


 若貴時代、日本は政治ショー的小泉内閣の時代だった。大相撲も貴花田の復活優勝で最高に盛り上がった。政治ショーの主役小泉総理大臣が大相撲の主役貴花田の優勝を称える為に土俵に上がった。「感動した」の小泉総理大臣の言葉。大相撲人気は最高潮に達した。


 
 特殊性の世界を強調しながらあまりにも世俗的な争いに終始した大相撲協会、部屋は数を増やし続け、協会執行部は、企業戦略的な発想となり、親方株の売買などが話題になる。そして、朝青龍の一人横綱時代が分岐点になった。朝青龍の茶目っ気のある行動が新しい相撲の形になり、客さえ集まればと、文化も伝統も飾りとなった。形だけの伝統文化である。そして、八百長疑惑がおきた。そして、何時の間にか有耶無耶になった。大相撲協会は自らを守る事しか考えなかった。力士出身者で運営する相撲協会を守ることが最優先した。部屋の存続が最優先の親方は達は、形振り構わず部屋運営に励んだ。


 と、ぐだぐだと書くのは、以前テレビ番組で、元歌手の高田みずえさんの奮闘振り、必死さ、また弟子たちへの母性的な情愛に満ちた教えを観たからである。元歌手の女将さんの奮闘振りと、元大関若島津の松ヶ根親方のビル所有者を暴力団関係者の認識がなかったと言う発言との乖離を考える。借りたビルの所有者がたまたま暴力関係者だったら問題ないだろう。正当な商取引でビルを借りたなら、松ヶ根親方は善意の第三者であり、単純に犠牲者で、責任云々は愚の骨頂だ。しかし、どうもそうでもないようである。知りながら、知っていながら、知っていたから、と、色々な方向から考えるが、真実は松ヶ根親方の心にあるようだ。しかし、一般的な判断では、、、、。


 国技大相撲を守る大相撲協会は、誰の指図も受けないと思っていた。そして、力士の暴行殺人致死事件でも、部屋の尊属を最優先させた。あのリンチ暴行さえ、「稽古のうち」と死んだ力士が悪かったかのような力士出身者のコメントが思い出される。


 松ヶ根部屋が大阪場所で利用するビルは暴力団と関係のある元会社経営者から借りた。それだけでは、問題にならないと思うが、その元会社経営者は高名な地上げ屋だったから問題になった。高名な血揚屋の元会社経営者は、東京の地上げで逮捕され、マスコミにも登場した有名人だという。私は知らなかったが、高名な方だと言う。マスコミが取り上げないわけもなく、松ヶ根親方の知らなかったは、やはり変だ。必死に弟子の世話をする元歌手の女将さんの映像を思い出す。

「知らないですむなら警察は要らない」

 そんな言葉もある。

「記憶にない」が政治用語なら、
「知らなかった」は相撲用語か。

 そんな皮肉も言いたくなるが、果たして知っていたのか知らなかったのか、本人の言葉信じるしかない。必死な元歌手の高田みずえさんに免じて信じたい。

 大相撲地方場所の問題。相撲部屋がそっくり移動する地方場所は部屋にとっては大仕事である。親方は三回の地方場所の為に苦労する。特に新しい部屋は大変だと同情する。松ヶ根部屋だけの問題でもなさそうだが、かといって、暴力団と繋がっていいことにはならないし、「知らなかった」で、すむとも思わない。