お笑いタレントが作った映画そっくりの事件だと、テレビコメンターが言った。
そっくりではないが似てはいる。似てはいても偶然だと、他のコメンターが言った。
暴力賞賛が映画の宿命だからとアナウンサーがフォローする。




お笑いタレントが作った映画そっくりの事件は、東京都国分寺市で殺害された男性の遺体が見つかった事件だという。映画そっくりの事件かどうかは分からないが、警視庁は事件に関与したと思われる男6人を逮捕したという。6人は、15日午前0時ごろ、喧嘩相手をバットで襲い、車に押し込んで、連れ回し、死んだ相手の遺体を国分寺市の路上に投げ捨てた、そして、遺体で見つかった。警視庁は6人の容疑者を逮捕した。車白いワンボックスカーで主犯格の駐車場で見つかったという。
 

6人が一人をバットで襲う。喧嘩ではない。襲撃だ。凶暴で卑劣な襲撃だ。殺すことを目的としての襲撃だと、少々感情的なる事件である。お笑いタレントの映画など知らないし、お笑いタレントでも北野武の映画でないことは確かだが、テレビでは、不良の業績を高らかに吹聴するタレントが多いし、その不良の業績が本になり漫画になり映画になり、そして、テレビドラマになっているという。テレビのワイドショーで、大学教授のコメンターは、もっと考えて欲しいと苦言を対する。
 

お笑いタレントが監督の映画の影響などあるとは思わないが、弱い相手を、武器を持って大勢で襲撃する卑劣さが不良の世界で認められるとは思えない。不良には不良のルールがありそうな気がするが、不良の世界は無秩序な世界なのだろうか。6人がバットを持って、無抵抗に近い相手を襲うのは、暴力が宿命の映画の中だけであって欲しい。映画と暴力の関係は兎も角、映画の暴力シーンが投射されたかのごとき事件が起きてはかなわない。映画の暴力シーンは、見る人の心の中の暴力性の代理である。暴力シーンは一時的に高揚感を抱かせ、心の中の暴力性を発散させ、すっきりとした気分にある。


それが、映画の暴力だと思う。お笑いタレントの映画も、非難するコメンターも、フォローするアナウンサーも正しだろう。彼らは、社会的な評価を受けている人々である。その人たちの言うことは、正しいに違いないが、6人の男にバットで殴り殺された犠牲者のことは、どんな視点から、どんなふうに考えたら良いのかには言及しない。犠牲者は、なぜが幾つもつくような殺され方だ。殺されていい人間はいないし、事件は殺しが目的の襲撃だ。小さな虫を弄び殺すような、何とも後味の悪い事件である。相手が死ななければ、6人の男達は、不良時代の武勇伝として語るのだろうか。