夜行列車が消えていく。
夜行列車に乗った人も少なくなっている。
夜行列車が二つ一緒に消えていく。
夜行列車を利用する人は少なくなった。
夜行列車がまた消えていく。


夜行列車と聞けば哀愁があると人は言う。
夜行列車に乗ったことがなくても、
夜行列車には哀愁があると人は言う。
夜行列車は古き良き時代の懐古列車で、
夜行列車と聞けば哀愁があると人は言う。


 夜、故郷を立ち、朝、東京や大阪に着く。離別の寂しさに、走馬灯のように過ぎる思い出の風景に、寝付けぬ時間をもてあましていても、何時しか睡魔に取り込まれ、目覚めた時は列車は目的の東京や大阪の一歩手前を走っている。寝る時間、夜のうちに列車が運ぶのは、夢と希望だけではない。離別の切なさと儚さ、夢の抱けぬ閉塞感からの開放と、そして、野望を乗せて、新しい出発点へと人生を運ぶ。そんな哀愁ある夜行列車がまた一つ、いや二つ消えた。春のダイヤ改正で、廃止となったのは、寝台特急「北陸」と急行「能登」。赤い機関車が引くブルーとレインの「北陸」と、ボンネットが懐かしい「能登」は共に、東京と金沢を結んだ。


 テレビニュースの画面は、大勢の鉄道ファンが詰め掛けるホーム。金沢駅には二つの列車が並んでいた。撮り鉄と呼ばれるらしい鉄道写真マニアが整然と並んでの撮影風景は、消え行く夜行列車への哀愁と同時に、規律あるマニアへの賞賛の言葉さえ頭に浮かぶ。前の一列が座り、撮影が終わると交代する。誰かの号令があるかどうかは分からないが、整然とした撮影風景は、大人のマニアを感じさせた。しかし、別の局のニュースでは、駅員に罵声を浴びせる声が聞こえたりもした。そんな事はどうでもいいが、長い間、多くの人、様々な人生を乗せて走り続けた列車への思い出は、マニアの撮影の為の必死さとは違う、罵声など関係ない、心の底に揺らぐ控えめな哀愁だ。


 幾つも夜行列車が消えていった。幾つも時代は過ぎた。車社会、飛行機の時代でもあり、高速道路は整備され、空港も整備された。幾つも時代が過ぎて、車に飛行機の時代でも、鉄道が消えることはない。新幹線も整備され、鉄道も形も変わった。そして、夜行列車の役目は終わった。寝台特急に座席だけの急行と、一夜で新しい人生の出発点に若者を運び、また、若者でなくても、多くの人の人生の分岐点を越えて走った列車が消えていく。そんな夜行列車の最後を見るのは、やはり哀愁と言う言葉が適切なようだ。哀愁の列車が二つ同時に消えていった。


 山陰地方を日本のチベットと言い、何処に人が住んでいるか分からないと言った国会議員がいたが、哀愁とはかけ離れた、殺伐さのある空疎で的外れな言葉だ。その言葉の真意は分かっても、その言葉の殺伐さは、語る人間の人間性も否定するかのようだ。山陰でも山陽でも、九州でも北海道でも、人は住み、人は夢を見、人は必死に生きている。そして、人は希望を抱いて、故郷に別れを告げる。人は哀愁に包まれて、新しい出発を誓い夜行列車に乗る。多くの人の人生を運んだ、夜行列車がきてていく。時は流れ時代は変わり、夜行列車が役目を終えて消えていく。