「鳩山議員の記者会見をおこないます」の挨拶を聞いたときは、司会者の言い違いと思った。総理大臣鳩山由紀夫ではなく、衆議院鳩山由紀夫としての記者会見だと、後で知った。そんな欺瞞性に満ちた記者会見など聞く価値もないと思い、聞いたことを後悔した。総理大臣はどんなに姿を変え呼び方を変えても総理大臣であり、1日24時間総理大臣だ。私人としての内閣総理大臣などの記名がまかり通るが、総理大臣は私人にはなり得ない。プライベート云々の言葉など、総理大臣には関係ない。私人になるなら、また、衆議院としての会見がしたいなら、総理大臣を辞めてからにするべきだと言うのが、一国民の、記者会見の第一の印象だ。


 総理大臣だったから問題であり、一衆議院員なら、検察も目くじら立てて捜査をすることはない。政治資金規正法は自己資金を想定しての法ではないという専門家の言葉を聞くまでもなく、違法献金を取り締まる為の法律で、献金ではない母親からの資金提供を裁けるわけはないと思っていた。母親の「腹を痛めたわが子を心配して助けるのは当然だ」と言う言葉が全てを語っていると思った。「腹を痛めて産んだわが子」は、母親の絶対的愛を示す言葉だ。その言葉に勝てる法などない。その母親に対して、日本国内閣総理大臣は、衆議院員としての記者会見をしたのだ。しかも、終始一貫言い逃れの為の自己弁護であった。聞く価値もないと言うのが国民の本音だ。


 鳩山首相の政治資金問題は、それほど、問題とは思っていなかった。それは、私だけでなく、多くの日本国民のいつわざる思いだったと思う。しかし、一衆議院としての、偽りの記者会見で嫌になった。国民の関心は総理大事である。衆議院員としての会見で、自己弁護のために母親の愛さえ汚す言い訳に終始した。感情的になり、言いたいことを言えば、限がないと思うが、感情的にしか感想も語れない、空しい記者会見だった。不況の年末、クリスマス・イブ、寒風荒ぶ日、巨額の贈与税を支払うと言う、総理大臣ではなく一衆議院議員の話など聞く耳など持ちたくない。と思いながらも聞いていたが、最後まで聞く忍耐はなかった。


 秘書の名前を連呼していたが、それも、何となく、違和感があった。秘書と母親が悪と言う結果になるのかと、腹立たしい思いになった。忠実な秘書も、偉大な母も悪者にする。そんな総理大臣に夢をかける日本は空しいと、感傷的になった。法的な裁き云々や、政治的な意味は兎も角、日本国民は厳しい冬の寒さの中で、「腹を痛めたわが子に」と言う、母親の言葉だけに救いを見る思いだ。一衆議院員として会見に臨んで「政治家としての使命を果たしていくことが私の責任」と言った。総理大臣が総理大臣ではなく、一衆議院員として記者会見をおこなう欺瞞性は、総理大臣の資格を自ら捨てたということになりそうだ。自己資金での政治活動は、誰も非難できないし、政治資金規正法での裁きの対象でもない。鳩山政権発足100日目、一衆議院員の奇妙な記者会見は、今年の漢字「新」を「偽」に変えそうだ。