麻生総理大臣は英語が堪能だ。堪能かどうかは知らないが英語で話す。外国訪問では外国の首脳と英語の会話だ。会話がスムーズかどうかは知らないが英語の会話だ。

 麻生総理大臣は日本の総理大臣だ。日本語の国の総理大臣が他国の言語で話す。個人的な会話ではなく日本の総理大臣が、日本語の国の国家元首が国際舞台で英語で話す。

 日本の政治家はアメリカで英語のスピーチをする。それが知的であり国際感覚のある政治家に思える。日本の政治家と言う事を忘れているようで、英語能力と国際感覚が同一だと誤解している。

 麻生総理大臣は英語が堪能だ。英語の会話を好むようだ。しかし、日本語の国の総理大臣が英語で話すのは少し変だ。総理大臣は日本の代表であり、日本は日本語で話す国だ。

 英国では子供でも英語を話す。外国人の子供が英語で話す。それに感心するCMが目に浮ぶ。外国人からみれば、日本の子供は難しい日本語を話す。日本では子供でも日本語を話す。

 総理大臣の会話は個人的ではない。公の場での英語の発言は日本語を否定しているような、日本文化を否定しているような感じさえする。英語を話して誇らしげと一時代前の感覚だ。

 日本の総理大臣は日本語で国家の意思を表明するべきだ。日本訪問の外国元首や外国要人は、英語で話す日本の国家元首に困惑するだろう。

 自国の言語を国民を忘れたような、自国言語の誇りを捨てはしない。それが国の代表である国家元首の国際舞台の姿だろう。個人的な会話ではなく、国の代表としての発言は当然自国の言語のはずだ。

 英語での会話は確かに国際感覚に長けている印象であり、スマートであるが、日本語の国の総理大臣は日本国民の代表として話をするのだから、日本国民を無視しての英語の会話は、やっぱり変だと思う。

 英会話ができないから言うのではないが、日本を代表する政治家は、国際舞台での会話は日本語であるべきだ。直接国民に分かるよう日本語での発言が当然だろう。

 小学生や中学生が英会話なら感心するが、国の代表が国民も忘れての自己誇示はどうかと疑問に思うのは、英会話の出来ない愚かな国民の僻みではない。国際舞台でも日本語で堂々と発言して欲しいのである。