15君がため


   か た め

君可多免

 は      に

者るのゝ尓いてゝ若菜つむ

 わか      に ゆき

王可衣手尓遊支ハ


ふりつゝ



15 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ 
                                     光孝天皇


訳:あなたのために、春の野に出かけて若菜を摘む私の袖に、雪は絶え間なく降りかかっていることだよ。(人に若菜を贈るのに添えた歌。春の若菜を食べて、邪気を払う習慣から。)


メモ:作者は仁明天皇の第3皇子、名は時康親王(830-887、在位884-887)。母は藤原総継のむすめ沢子。沢子の姉妹・乙春は藤原長良の室で、基経・高子(陽成天皇母)らを生む。つまり、時の権力者・基経(父の弟・良房の養子となる)とは母方を通じたいとこ同士の間柄。

元慶8年(884)太政大臣基経の廃立により、陽成天皇のあとをうけ55歳で践祚。前半生にはまったく予期しない展開であった。光孝天皇の時代が関白の実質的なはじまりという。

天皇は58歳で崩御するが、その直前に第7皇子の源定省を親王に復し皇太子とした(宇多天皇)。基経の異母妹・淑子が定省を猶子としていたことが、定省さかのぼれば光孝自身の即位に影響したともいわれる。

また光孝は風流人で、たいへんな子だくさんであったため、光孝源氏の数も多かった。