上位に立たれて出仕拒否するほどの衝撃を、公任にあたえた斉信。

 右矢印公任伝説 4 ~プライド?ワガママ?――宿敵に追い越され


この男はどんな人物だったのか?

+++++++++++++++++++++++++++
藤原斉信 
ふじわらのただのぶ/康保4年(967)~長元8年(1035)。
太政大臣為光(道長の叔父)の次男、母は藤原敦敏の娘(敦敏は公任の父・頼忠の兄にあたる)。

一条朝の“四納言”に数えられる能吏。内裏や道長邸で開催された漢詩会で、もっとも出席回数の多い常連の一人。朗詠の名手としても名高い。
+++++++++++++++++++++++++++


斉信は、優秀でかっこいい男だったみたい。


『大鏡』では先に出世した弟の優秀さに嫉妬した兄が憤死しちゃったり、『枕草子』ではそのかっこよさを清少納言も絶賛。雨の日の斉信の残り香「まことにをかしう(「五月の長雨のころ」)とか色っぽい感想も(^^)


長保3年(1001)8月25日、参議藤原誠信は席次が下の参議であった公任(任中納言)・実弟でもある斉信(任権中納言)に越えられ、7日後の9月3日に急死。『大鏡』では弟や道長を憎み、くやしさのあまりにぎりしめた指が自分の手のひらを貫いてしまっていたという(為光伝)。

藤原行成の日記『権記』では、公任が誠信の急死について行成に話しており、除目からまもない事態が「甚だ非常」のこととの認識があった様子がうかがえる。(数年後の自分の運命も知らずに……公任……)



漢詩をよくしたというのも当時の貴族第一の教養であったことからソツのなさを感じますし、さらにその漢詩を朗詠する名手であったというのもなおのこと。声もきっとよく響いて素敵だったのでしょうねえ。


とにかく、魅力的な“デキる男”のイメージです。

クセのある公任とはある種対照的(;^_^A 好一対とでも申せませうか。



“四納言”の残るふたりは源俊賢と藤原行成ですが、公任にとって、俊賢は年齢がわりと上ですし出自は源氏、年下の行成はつねに自分より下位ですでに没落した家系でしたから、あまり気にならなかったのでは。

年齢もたったひとつちがい(下)で同じ藤原氏のうちでも血筋の近い斉信こそが、一番意識されるライバルだったのでしょうね。


だからこそ、位を抜かされて「よりにもよってコイツにか!パンチ!との屈辱公任には耐えがたかったのかも。


一度抜かされてしまえば追いついただけではダメで、抜き返さないと席次は変わりません。結局、致仕まで公任の上位には斉信が座っていたということになります。



ふたりのカップリングライバルストーリーは、説話などにもほの見えます。
『江談抄』ではふたりは「詩敵」 (詩の好敵手)とされています。「もし相撲に譬へば、公任は善く擲つといへども、斉信を仆(たお)すべからず」 と道長の甥・伊周がつねに言っていたそうです(5-59)。公任と斉信が詩を「相論」 するシーンもみられます(4-55)
『古事談』『十訓抄』では、朝廷の神楽の行事でいつも公任が取っていた拍子を、上位に立った斉信が公任の予想に反してソツなく取りおおせたことも。「公事なれば習て候ふなり」 (古・1-46)と涼しい顔の斉信
(十・1-31)。


まあまあそんなよきライバルのふたり。


最後は、美しい話で終わります。出典は『栄花物語』。


時は流れ、万寿3年(1026)のこと。長谷に籠居し出家した公任の許を、斉信が訪れます。公任も晩年娘ふたりを相次いで亡くしていたのですが、斉信も出自のよいたったひとりの娘(道長の末子・長家を婿としていた)を亡くしたばかり。

********************************

ご対面になり、いろいろとお話しするが、斉信殿はひどくお泣きになる。公任殿も目に涙を浮かべていらっしゃる。

「どうしてこのように発心なさったのか。わたしのほうは決心しかねて、(娘を亡くした)八月末よりこのかたずっと塞いでいるだけというのに……」

  (略……以下、娘を亡くした悲しみをひたすら愚痴る斉信(^_^;)


「いかにもごもっとも」公任殿もたいそう泣かれ、「子や孫への執着はたいへん強く、胸がいっぱいになるばかりです。ですからすべて思い離れ捨て去る決心をしたのですが、並大抵のことではございませんでした」

斉信殿は立ち去る気になれず、「かくてやがてとまるべき心地こそしはべれ (こうしてこのままここに留まっていたいような気持ちがいたします)」とお泣きになれば、出家の身でありながら公任殿も、さらに激しく泣きじゃくられる……

   巻27「ころものたま」

********************************


翌年、道長そして行成が相次いで歿します(なんと、同日のこと!)。ふたりは過ぎし日に思いを馳せ、歌を詠み交わします。


  見し人のなくなりゆくを聞くままにいとど深山ぞ寂しかりける (公任)

  消え残るかしらの雪を払ひつつ寂しき山を思ひやるかな (斉信)

     『栄花物語』巻30「つるのはやし」 


斉信、「寂しき山(=つまり公任のこと)」を思いやっちゃってます(^^)


なんだかんだいって(やっぱり)なかよしじゃん。

まったく……DASH!


 [参考文献]

 『日本古典文学大辞典 簡約版』岩波書店、1986

 『新編 日本古典文学全集34 大鏡』小学館、1996

 池田亀鑑校訂『枕草子』岩波書店、1962

 倉本一宏訳『藤原行成「権記」全現代語訳』講談社、2012

 『新注 古事談』笠間書院、2010

 『新日本古典文学大系32 江談抄・中外抄・富家語』岩波書店、1997

 『新編 日本古典文学全集51 十訓抄』小学館、1997

 『新編 日本古典文学全集33 栄花物語 3』小学館、1998