藤原定家の執心が葛となって式子内親王の墓にからみつく、という筋だけは知っていますが、初めてきちんと読んでみました。(本当は「観る」のが一番いいのかもしれませんが……)


作者の金春禅竹は15世紀(室町時代)の能役者・能作者ですから、すでにこのころには定家×式子のカップリングが成立していた、ということになります。


私自身は、二人の恋(肉体関係)はなかったけれど、定家の式子に対するほのかな憧れの気持ちや、式子がそんな彼を憎からず思う気持ちはあったのだろうなぁ、くらいに考えています(望んでいます)。


では、まいります。 ※途中、一部省略あり。台詞などわかりやすく表現。

[参考文献:『日本古典文学全集 謡曲集』 小学館版]

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旅の僧が二人、都に到着したが、千本のあたりで時雨にあう。頃は十月十日過ぎ、冬枯れのなかに残った紅葉が色鮮やかな夕暮時。

「困ったことに時雨じゃ。由緒ありげなあの亭で、雨宿りといたしましょう」


「もし、お坊さま」
里の若い女があらわれ、僧たちに声をかけた。
「その宿りへは、いかなるご用でしょうか」


「時雨のやむのを待っているのでございます。ここは何というところですか」「時雨の亭といい、たいそう由緒あるところですわ。ご存知でいらしたのかと思いましたもので」


「たしかに、額にもございますな。この時雨の折にふさわしい。いったいどのようなお方が建てなすったものなのですか」「藤原定家卿ですわ。都のうちにももの寂しく、時雨の折は風情あるところとして、毎年時雨のころ、歌をお詠みになったとか。どうぞこんな時雨の折に通りかかるもご縁、定家卿の菩提のために読経をあげてくださいまし。それを申し上げたくて、ここへ姿をあらわしたのです」


「では、この亭に名をとどめた、定家卿の時雨の歌とはどのようなものでございましょう」「いずれか定めがたきことではありますが、『偽りの なき世なりけり 神無月 誰(た)がまことより しぐれ初(そ)めけん』(偽りの多い世と考えていたがそうではなかった、十月になると必ず時雨が降り始める、これはいったい誰の誠の心によるものだろうか)でしょうか」


「まことに趣深い歌。時雨は偽りなく、卿亡きいまも降っておりますな」

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「今日は供養の日でございますゆえ、お墓へまいります。ぜひ、お詣りを……」「それこそ出家の望むところ」


「あの石塔をご覧ください」「たいそう年月を経たうえに、覆われて見えぬほど蔦葛がからまって……どのようなお方の墓標なのでしょう」


「これは式子内親王のお墓……からまっている蔓は、定家葛と申します」「どのようないわれで?」


「式子内親王は、賀茂の斎院でいらっしゃいましたが、お下がりになってのち、定家卿が忍んで通われて、深い契りをお結びになった。その後内親王はまもなくお亡くなりになったので、定家卿のご執心は蔦葛となって内親王の墓にまつわりつき、互いに離れられず苦しみぬいています。


ああ、昔のことは忘れがたいこと……!
忍ぶ二人のことが、世間にもれるのも仕方のないこと……

『玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする』
(わが命よ、絶えるものならば絶えてしまえ。生きながらえていると、たえ忍ぶことができず、この思いが外にあらわれてしまうから)


この内親王の歌のように、包み隠された契りがあらわとなって、そのためまた縁遠い仲となり……



どうぞ内親王のあわれさをわかってください。 恋などせぬと誓った斎院の身で、定家卿との恋があらわされなんとなくおそろしく、そして通い路もなくなってしまった。



『歎くとも 恋ふとも逢はん 道やなき 君葛城の 峰の白雲』(嘆こうとも恋焦がれようとも、いまや逢う道がありません、あなたは葛城の峰の雲のような遠い存在です)と詠んだ定家卿の執心がいつしか定家葛となってまつわりつき、乱れた髪がからまりあっているような、結んでは消えまた立ち戻るこの妄執……


どうそ、どうぞお助けくださいませ」


「いったいあなたは……?」


「いまは隠しだていたしますまい……わたくしこそ式子内親王……蔦にからまれ、いまや姿もはっきりとはいたしません。どうかこの苦しみからお救いくださいませ……」

と言うや言わずやのあいだに、消えてしまったのであった。

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通りかかった近くに住む者に、時雨の亭や定家葛についてきいてみると、「思いも寄らぬことをお尋ねになりますことよ。私もしかとはわかりませぬが……」 と語りはじめた。


「式子内親王がお亡くなりになって、ここへ墓標が建てられましたが、ほどなく定家卿もこの世を去りました。すると不思議なことに、蔦葛がからまりはじめて内親王の墓標の姿が見えなくなるほどになりました。


周りの者がきれいに取り除いても、一夜のうちにまた這いまとい、朝また取り除いても、夕べにはまた這いまとい……ある尊き方が夢に見たには、定家卿のご執心が内親王をからめとったもので、こののち取り除く者があれば祟りをなすであろうということでありました。


それからは取り除く者もなく、定家葛と申しております」


先ほど会った女性について尋ねると、「それは間違いなく、式子内親王その方でありましょう。どうぞしばらくここへご逗留なされ、亡き方の菩提を懇ろにお弔いくだされ」とのことだった。

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僧たちは、月影のもとで内親王をとむらう。と、あらわれ出る式子内親王の姿。「ああ、苦しゅうございます。あの方との夢も遠い昔……なにもかも無常のことです。それなのに、いまだこんなにも定家葛が這いまつわって身をしめつけられ、立ち居さえも自由にならず、死後までも苦しみぬいております。ごらんなさいませ、お坊さま」


「ああ、おいたわしや」ととなえる僧の経に、「まあ、ありがたいこと、『薬草喩品』ですね」


「おっしゃるとおり、この経で救われぬ草木はございません。さあ、定家卿の執心をはらいのけ、ご自身の執心も捨て、どうぞ成仏なさいませ」


「ああ、葛がほどけていきます……なんともありがたいこと……この御礼に、恥ずかしながら、舞を進ぜましょう。


恥ずかしい舞の様子ですこと……美しかった姿も、やがて落ちぶれた涙がちの身。露と消えた後も定家葛に巻きとられ、醜い容貌だという葛城の神のように夜の間の夢の中でお目にかかるだけ……」


ひとしきり内親王はつぶやいたと思うと、またさきほどの墓標に帰っていく。あっというまもなく、まつわりつく定家葛……はかないことに、墓標の形は埋もれて、内親王の姿も消えて、見えなくなってしまった。


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最後、成仏しないのがポイント。ロマンティックではありますが、仏教社会である当時においては、なかなか反社会的な物語のように思えます。ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、ちょっと考えさせられますね。