毎日文化センターの菅野俊輔先生の古文書講座に通っています。

隔週で1回2時間です。



■本日のメニュー


『大石良雄 十八箇条申開』…第十七条(途中から)~第十八条(途中まで)

『おくのほそ道』…松尾芭蕉筆

『百人一首抄』(石原正明)*…殷富門院大輔(90番)、後京極摂政前太政大臣(91番)、二條院讃岐(92番)、鎌倉右大臣(93番)

『箱入娘面屋人魚』(山東京伝黄表紙)


大石は最終条まできました。あともう少し。

百人一首抄も、今日は最後の順徳院まで配布され、終わりが見えてきました。


* 本日の注目

本居宣長、のち塙保己一の弟子・石原正明の著した百人一首解説。

石原は、どうやら新古今、特に九条良経の歌風を追慕していたといいます。その良経を今回読みましたので、そちらをとりあげてみたいと思います(91番)。



くじょう みやび日録-百抄・良経

後京極摂政前太政大臣 新古今秋下 百首歌奉りし時


きりぎりすなくや やの字かろくそひたり、此やの字にて歌がらことの外にたけ高くきこゆ

霜夜のさむしろに さハさ衣さよ中なとのさにて上にそへたるもじ也、むしろハ寐(ね)る時下にしく物也、此歌霜夜が寒いといひかけたるにハあらず、いひかけと見てハ歌がらことの外ひくゝなる也

衣かたしき 丸寐する事なり

ひとりかも寐む

 一首の意、肌寒き霜夜にきりぎりすさへ啼て物哀なるわが寐屋のうちも、ふたり寐るならバ心のなぐさむ事もあらうが、ひとりねる事がそれハわびしき事と也



……たしかに、今までついぞ見なかった「歌がら」などということばが飛び出しています。“歌柄”が高いところが石原のお気に入りだったんでしょうね、良経。


それと、鎌倉右大臣の歌の解説もちょっと面白かったです(源実朝)。実朝の詠んだこの歌は、本歌より、みちのくの塩釜であろうと推測しています(もちろん、実朝が実際その地を訪れたわけではなく、歌枕として詠んでいるという意味でしょう)。その本歌とは「陸奥は いづくはあれど 塩釜の 浦こぐ舟の 綱手かなしも」<古今・東歌>とあり、実際古語辞典(『全訳古語辞典』旺文社)にも本歌として掲載されていました。同辞典によれば、こちらの歌も本歌だそうです。「河の上(へ)の ゆつ岩群に 草むさず 常にもがもな 常処女(とこおとめ)にて」<万葉・1・22>。


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 良経(きりぎりす…)

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