NHKラジオ講座「漢詩をよむ」第12回です。


<島田忠臣(2)古を懐う>です。


結論から言うと、なかなか面白い御仁です。島田さんについては、「道真の岳父」ということしか知らなかったので、新鮮な感動です。この方は、どうも現実の交友に飽き足らぬ思いを懐いており、結果、竹を友としちゃったり、中国の古人と向かい合ったりしちゃうようです。


なんだか、親近感……


「対竹自伴」では、冬を迎えても葉のさまを変えない竹に、堅く節を守る人=自分の生き方に通じる部分を見出して友情を覚え、「対竹懐古」では竹に向かい合っていたところ竹林の七賢の姿を見、ついには「題竹林七賢図」まで詠んでしまう。「独坐懐古」では、なにも現実の昔なじみだけが友ではない、からいきなり始まり、ゆかしい中国の古人たちを胸に思い描く。この人……キャラ好き? しかも、(現実の)人嫌い? 締めくくりは<免於迎送古人心>=古人との心を通しての交友はわずらわしい送り迎えなどする必要はないのだ、です。(4編とも『田氏家集』)


なんか、思わぬところで同志に出会った気分(笑)


それにしても、ここまで日本の漢詩をながめてきてつくづく思うのは、昔の人は教養豊かだなあ、ということです。というか、中国の故事というのは、本当に基本的な知識として血肉になっていることに驚きます。もはや共通言語の域です。

現代で言えば……誰もが知っていて、ある程度その特徴や逸話を知っている人や事物……たとえば、SMAPの5人とか? キムタクはかっこよくて俺はナンバーワン的なポジションで、クサナギくんはハンサムとは微妙に言いがたいけど「いい人」で韓国語ができて、とか。あとは、たとえば漫画『ヘタリア 』が成立しちゃうくらい、アメリカはオレオレだとか、イギリスとフランスはライバル関係とか? そういったコモンセンスとして、中国の故事というのは存在していたんだなぁ、と考えてしまいます。


この島田のオタク心(??)丸出しの「独坐懐古」では、第二・三連と古人たちが登場します。

・徐稺と陳蕃の椅子のエピソード

・鍾子期と伯牙の琴のエピソード

・顔淵の清貧を楽しむ生活

・阮籍は「嘯く(口笛のこと)」のが得意

ということが、詩を詠む側であるオタク(??)・島田だけではなく、詩を受け鑑賞する側にもコモンセンスとしてあるということです。