こんにちは(^-^)/
今回は6月25日(土)から始まりました東京お散歩教室
「汐留~麻布十番散歩 」の初日の様子を簡単にご紹介します。
出発は汐留駅から。
まずは、アド・ミュージアム東京へ。
アド・ミュージアム東京は、カレッタ汐留にある
広告とマーケティングの総合的な資料館。
広告界に大きな功績を残した電通4代目社長・吉田秀雄の
功績を称えて設立された公益財団法人吉田秀雄記念事業財団が
マーケティングと広告の理論と技術の発展を目的として
彼の生誕100年にあたる平成14年12月に開館。
館内は、広告作品の展示スペースと広告やマーケティング関連の
図書を閲覧できる広告図書館とで構成されています。
アド・ミュージアム東京の次は、イタリア街へ。
イタリア街は、港区東新橋2丁目にある、汐留シオサイト5区(西街区)の愛称。
東京都が発令した汐留土地区画整理事業を発端に、旧汐留町会を中心とした
住民組織が銀座や六本木とは差別化された、商業を基軸に業務・住居などが共存する
独自の街づくりを目指したもので、レッジョ・エミリアというイタリア北部の都市の
外観や生活様式を手本に開発が進められ、平成19年にグランドオープン。
街を代表する施設として、三井ガーデンホテル汐留イタリア街があります。
イタリア街では、消防署(芝消防署)もイタリア風。
消防署らしからぬお洒落なデザインに、皆さん驚かれていました。
イタリア街の次は、芝大神宮へ。
芝大神宮は、港区芝大門1丁目に鎮座する、天照皇大御神と豊受大御神の
二柱を主祭神として祀る東京十社の一社。
社伝によれば、寛弘2年(1005)に伊勢の内外両宮を勧請して創建されたといい
当初は飯倉山(現 芝公園)に鎮座していましたが、増上寺の移転に伴い
慶長3年(1598)に現在地に遷座。
江戸時代は、徳川幕府の篤い保護のもと、「関東のお伊勢さま」として
関東一円の庶民の信仰を集めました。
また、古くは「飯倉神明宮」、「芝神明宮」と称されていましたが
明治5年に「芝大神宮」に改称。
社殿は、昭和20年5月の空襲で旧社殿が焼失後、戦後二度にわたって造営が行われ
平成17年に社務所等の改築が完了し、現在の景観が整いました。
鳥居脇に立つ生姜塚。
昔、このあたりには生姜が繁茂していたため、これを神前に供えたといいます。
そして、その撤下を食べると風邪に罹りにくくなることから、9月に行われる
「だらだら祭り」と呼ばれる例大祭では、期間中、生姜を授与しています。
芝大神宮の次は、増上寺へ。
増上寺は、港区芝公園4丁目にある、「三縁山 広度院 増上寺」と称する
浄土宗の七大本山の一つ。
明徳4年(1393)に酉誉聖聰上人が江戸貝塚(現 千代田区紀尾井町)に
浄土宗正統根本念仏道場を開いたのが始まりで
その後、江戸城拡張に伴い、慶長3年(1598)に現在地に移転。
江戸時代は、寛永寺とともに徳川将軍家の菩提寺となり、関東十八檀林の筆頭として
常時3,000名の僧侶が修学に励む大寺院となりますが、明治維新後は神仏分離の
影響によって規模が縮小し、境内の広範囲が芝公園となりました。
そして、昭和20年の空襲で、徳川将軍家霊廟や五重塔をはじめとした多くの堂宇を焼失。
戦後、昭和46年より本格的な復旧が始まり、現在に至ります。
元和8年(1622)に建立された三解脱門(三門)は、戦災を免れ
江戸時代初期の増上寺の面影を残す、国の重要文化財。
「むさぼり、いかり、おろかさ」という3つ煩悩を解脱する門として
上層部には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。
大殿は、浄土宗大本山の根本道場として、昭和49年に再建された増上寺の本堂。
堂内には、本尊である木造阿弥陀如来坐像の他、高祖善導大師と宗祖法然上人の
像が祀られています。
平成22年に建立された新しい安国殿。
こちらには、恵心僧都作と伝えられる、勝運や厄除けの仏様として崇敬を集める
秘仏黒本尊が祀られています。
増上寺の次は、ル・パン・コティディアン 芝公園店へ。
ル・パン・コティディアンは、ベルギー発祥のベーカリーレストラン。
こちらで、良質な素材にこだわった美味しいパンを買って、芝公園へ。
都立芝公園は、明治6年の太政官布達によって
上野公園、浅草公園、深川公園、飛鳥山公園とともに誕生した、日本初の公園。
当初は増上寺の境内を含んでいましたが、戦後の政教分離政策によって
境内部分が除かれて環状の公園となり、その後、一部が区立公園となりました。
芝公園では、フリータイムを設けて、ル・パン・コティディアンで買ったパンを試食。
そして、記念写真。
皆さん、撮影ご協力有難うございました。
記念写真の後は、芝東照宮へ。
芝東照宮は、港区芝公園4丁目に鎮座する、徳川家康をご祭神として祀る
日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つ。
もとは、増上寺の山内に元和3年(1617)に建てられた、徳川家康の寿像を祭祀する
安国殿が起源で、明治の神仏分離令により、増上寺から切り離され
芝東照宮となりました。
芝東照宮の次は、芝丸山古墳へ。
芝丸山古墳は、港区芝公園4丁目にある、全長106m前後、5世紀代の築造とみられる
都内最大級の前方後円墳(東京都指定史跡)。
南武蔵有数の族長の墓と考えられますが、墳頂部や後円部西側が
削られてしまっているため、原形はとどめていません。
調査は、明治31年に、坪井正五郎によって行われましたが
後円部中央に位置したと考えられる埋葬施設が既に失われていたため
遺体や副葬品などは不明となっています。
頂上が広場になっている古墳後円部。
中央には環状列石が配され、その後ろには、日本で最初の実測図
「大日本沿海輿地全図」を完成させた、江戸時代後期の測量家・地理学者
伊能忠敬の功績を称えた「伊能忠敬測地遺功表」があります。
芝丸山古墳の次は、元神明宮へ。
元神明宮は、港区三田1丁目に鎮座する
天照大御神を主祭神、稲倉魂命と水天宮を相殿として祀る神社。
一条天皇の勅命によって、寛弘2年(1005)に創建された
渡辺綱の産土神として、多くの武人の崇敬を集めた古社ですが
現在は、厄除けの神様として、信仰されています。
平成6年6月に完成した、元神明宮の近代的な社殿。
その他、境内には、宇迦之御魂神をご祭神とする
複数の稲荷神社が奉斎されています。
元神明宮をお参りした後は、麻布十番に向かって、ぶらぶら散歩。
途中、外観をチェックした綱町三井倶楽部の本館。
こちらの建物は、三井家の迎賓館として建てられたもので
ジョサイア・コンドルの設計により、大正2年12月に竣工。
現在は会員会社の接待、宴会、ウエディングなどに使われており
一般公開はされていません。
最後は、旧三田小山町(港区三田1丁目)エリアに残る、レトロな路地を案内。
私好みの細い階段坂を下りて、向かった先にあるものは…
平成19年に、惜しまれながら長い歴史に幕を下ろした旧小山湯。
「ブラタモリ」で紹介されてからは、多くの街歩き愛好家が注目する
話題のスポットになっています。
旧小山湯や、三田1丁目の懐かしい街並みを紹介して、麻布十番駅でお散歩は終了。
その後、ご希望されたメンバーさんと打ち上げをして、解散となりました。
皆様、長時間お付き合いいただき誠に有難うございました。
それでは、次回のお散歩も、どうぞよろしくお願いいたします。
東京お散歩教室
【お散歩教室に、ご興味のある皆様へ】
東京お散歩教室は、ほとんどの方がお一人でご参加。
土曜は30代から50代くらいまでの方、日曜は20代から40代くらいまでの方
平日は40代から60代くらいまでの方が中心となっています。
新人さんも毎回多数いらっしゃいますので、初めての方でも安心してご参加いただけます。