9月11日に吉田調書と私の調書が公開されると連絡を受けた。

両調書を重ね合わせて見てもらえば、吉田所長と東電本店との間でいくつかのの点で食い違いがあったことが分かる。例えば撤退問題では東電本店の清水社長から海江田経産大臣に撤退について了解して欲しいととの要請があったが、吉田所長は撤退は考えていなかった事が調書から分かる。

また1号機のベントが遅れた点についても、吉田所長は弁を開ける電源がなく、放射線量の高いところでの作業のため時間がかかったと明快に説明。しかし東電本店から官邸に派遣されていた武黒フェローからは「分からない」というだけで、現場の状況を説明できなかった。

海水注入問題でも吉田所長と本店の意見が食い違っていたことが分かる。海水注入を止めようとしたのは本店から官邸に派遣されていた武黒フェロー。私を含め全員が準備ができれば当然海水注入を始めるべきと考えていた。

このように本店特に本店から官邸に派遣されていた武黒フェローは現場の状況を説明するために派遣されたはずなのに、現場の状況を把握できていなかった。国会事故調での武黒氏の証言の議事録を見ると、東電本店との間でスムーズな連絡が取れず、現場の状況把握が出来ていなかった事を認めている。

今後、東電関係者の調書や国会事故調の議事録を重ね合わせて検証すれば、当時のことが相当明確になるはずだ。特に東電が都合のいい部分しか公開していないテレビ会議の記録を全面公開することが重要だ。