読売の社説を担当する部署に、私を名指しで批判した8月31日付の社説について、スタッフから電話をし、説明を求めた。しかし、社説を担当する論説部からは何も応答がない。逃げているのか。


  吉田調書についていろいろな視点から解説するのは大いに結構。しかし、解説の中で個人名を挙げて批判した場合に当事者から求められれば、その趣旨を説明をするのは当然報道したものの責任だ。


  読売新聞が小泉元総理の原発ゼロ発言に「見識を疑う」社説に書き、その後小泉氏の反論を紙上に掲載した。つまり反論権を認めるのも一つのやり方だ。


  今回の読売の社説は、昨日の私のブログでも説明したように、私が3月12日早朝に福島原発の現地を訪れたことやベントの遅れの理由を聞いたことを指して「過剰介入」と批判している。しかし住民の避難を判断しなくてはならない原子力災害対策本部長としては、ベントがいつ行われ、どの程度の放射性物質が放出されるかを知ることが極めて重要。


  そのことを当時、東電本店から官邸に説明要員として来ていた武黒フェローに聞いても「分からない」と言う。そこで現場の責任者と直接話す必要があると考えて、現地に出かけ、吉田所長と直接話した。吉田所長は図面を広げ、電気が通じていないので弁を人手であけなければならないこと。弁の近くの放射線量が高く作業が難航していること。しかし、格納容器の爆発を防ぐため決死隊を作ってでも弁をあけるつもりであることなど、明確に説明してくれた。


  住民避難に関してはベントを了解する前の11日21時23分にまず3キロ圏の避難と3キロから10キロ圏の屋内退避を原災本部として指示した。更にベント作業の遅れで格納容器の圧力が上がり、格納容器の爆発の危険性が高まったと思われる12日、午前5時55分に10キロ圏内の避難を指示した。この時期、ベントを巡る現場の状況が原災本部に伝わってこず、原子力安全委員長などの専門家の助言に沿って、手探りで避難範囲を決めていた。


  こうした状況で、現地の責任者と会って話すことが「過剰介入」という読売の社説は納得できない。東電は原発の対応の責任者であるが、住民避難は東電ではなく原災本部の責任である。その責任を果たすためには原発のベントの状況を知ることは何よりも重要であったからだ。


  読売新聞は責任を持って、私の反論に答えてもらいたい。そして紙上で私に反論する機会を提供すべきだ。逃げを打つことは許されない。