ベントと住民避難


 ベントについて8月30日付の読売新聞は吉田調書の主な発言として、「(ベントは困難な作業だということを)本店に連絡しても伝わらない。一番遠いのは官邸。実施命令出してできるんだったらやってみろと」(10面)、原子炉からの排気(ベント)「大臣命令があればすぐに(排気弁が)開くと思っているが、そんなもんじゃない」(1面)と報道している。現場の状況と吉田所長の気持ちがよく伝わってくる。


  当時、1号機のベントがいつ行われ、どの程度の放射性物質が放出されるのかは官邸にとっても重大な関心事であった。それは原発周辺住民の避難を判断するのは官邸に置かれた原子力災害対策本部の責任であったからだ。本来は現地対策本部が地元自治体関係者とともに判断し、本部に案を上げてくることになっていたが、地震の影響で現地対策本部は全く機能せず、官邸の本部で直接判断するしかなかった。


  東電からベントの了解を求められたのも、住民避難は東電が指示できない事柄だからだ。圧力上昇による格納容器の爆発を防ぐためにはベントはやむを得ないという原子力安全委員長など専門家の助言を得て、原災本部として3月12日午前1時半に了解。海江田経産大臣が小森東電常務とベントの実施について会見したのが午前3時ごろ。


 しかしその後何時間たってもベントが実施されたという報告がなく、その上遅れている理由についても東電本店からきている武黒フェローは「分かりません」というばかり。

 

 このように、ベントを実施する現場は頑張っていたと思う。しかし、東電本店からは遅れている理由の説明がなく、またウエットベントだから大量の放射性物質が放出することはないと説明を受けていたが、実際にはウエットベントが十分効果がなかったことがその後の検証で分かっている。


 官邸と現場が一番遠いという吉田所長の感想は当時の私も同感だった。東電本店が現場の正確な状況を伝えることが全くできていなかったことが最大の原因。


  8月31日付の読売新聞の社説で「現場の状況を踏まえぬ菅氏らの過剰介入が、作業を遅らせ、士気を損なった」と私を名指しで非難。しかし、現場の状況が正確に伝わらなかったからこそ、12日早朝に現場に行った。原子炉の対応に全力を挙げている吉田所長にある程度負担をかけたかもしれないが、住民避難の判断をしなければならない原災本部長としては「現場の状況を踏まえるために」こそ、現場の責任者から話を聞く必要があったのだ。


 現場の責任者と話すことができ、原発の状況がどの程度危険な状況にあるのか知ることができたことは、原災本部長としてその後の対応を判断する上で大変役立った。