「撤退」についての報道



  吉田調書の読売新聞の報道では吉田所長は「全員撤退して身を引くとは言っていない」(8月30日付)とある。私は調書の実物は見ていないが、吉田所長の考えはその通りだったと思う。





 私に、3月15日の午前3時ごろ東電撤退について、相談したいと言って来たのは海江田経産大臣。東電の清水社長から電話で「撤退」の許可を求める電話があったという。そこで海江田大臣、枝野官房長官、福山官房副長官、細野補佐官等を交え、関係者で協議した。当時のことはそれぞれが本や取材で答えているが、海江田大臣は「わたしは、そのときは福島第一原発の全員の退避の申し出だと理解した」と記述(海江田ノートp58~p59)。他のメンバーも「現場から撤退したいという趣旨」と理解している。




  吉田所長の考えと東電清水社長が海江田大臣に話した事との間で食い違いがあったのかどうかは、今後の検証を待ちたい。





  私自身、東電が撤退又は退避を検討したことがおかしいとは思っていない。通常の火力発電所や化学プラントの火災であれば燃料が燃え尽きれば自然に鎮火する。それまで現場を離れて待つのも十分考えられる。





  しかし原発では核燃料は永久的に燃え尽きない。コントロールできなくなると福島原発第一と第二の10基の原発と11の使用済み燃料プールから大量の放射性物質の放出が続き、東日本が壊滅する可能性が高かった。私はこうしたことを考えて、15日早朝清水社長を呼んで「撤退はあり得ない」と言った。その後、5時半ごろ東電本店に行って、「何としても、命がけで、この状況を抑え込まない限りは、撤退して見過ごすことはできない」と訴えた。





  最終的には、15日午前6時すぎ、格納容器の損傷と4号機の水素爆発の後、第一原発の職員の多くは一時第二原発に避難したが、午後には戻って事故対応にあたったことが吉田調書からも明らかになっている。