朝日デジタルの吉田調書のエピローグ、「水面が見えた」を読んで、当時のことを改めて思い出し、戦慄を覚えた。


  私が東電本店に乗り込み、政府東電統合対策本部を作った3月15日の翌日から、原発事故に対する反転攻勢がはじまった。まず自衛隊のヘリコプターが使用済み燃料プールへの上空からの注水を試みることになった。16日は上空の放射線量が強くて水を投入できなかったが、4号機のプールの横を通過するヘリコプターからビデオを撮った。その画像にプールの水面が写っていた。


  当時アメリカのヤツコNRC委員長は4号プールに水は無い可能性を示唆。水が無ければ250キロ圏から5000万人の避難が必要になっていた。まさに東日本壊滅の瀬戸際であった。結局プールには水が残っていたが、それはいくつかの幸運な偶然が重なった結果。そのことも朝日デジタルは詳しく説明している。


  安倍総理は日本人全員が経験したこの事故のリスクの大きさを無視して、再稼働を進めようとしている。