今日の朝日新聞朝刊に、3月14日夜ごろの状況についての吉田調書の抜粋が掲載されている。「我々のイメージは東日本壊滅ですよ」。吉田所長自身が「東日本壊滅」の可能性について言及していたことはこの記事で始めて知った。当時の私の見方と全く同じだ。

私は原発事故発生直後からチェルノブイリ事故との対比で考えていた。チェルノブイリ事故は厳しい事故であったが、事故を起こしたのは1機だけ。福島は第一と第二を合わせるとわせると10機の原発に11の使用済み燃料プールがある。これら全てが制御不能になると東京も含む東日本全体が危ない、と私は考えていた。

またチェルノブイリ事故では軍隊を出動させ、石棺を作る作業に当たらせ、相当数の兵士が亡くなったという報告も読んでいた。ギリギリの時にどういう判断をすべきか、必死で考えていた。

3月15日早朝、東電本店に乗り込んで、ギリギリまで頑張ってくれるように東電幹部に強く言ったのは、いったん撤退すると状況はもっと悪化し、戻ることが出来なくなると考えたから。

12日に吉田所長に会って、信頼できる印象を受けていた事もあり、「踏ん張れる」と言った吉田所長の言葉は頼みの綱であった。