東日本大震災と福島原発事故発生から満3年を迎えた。あの日3月11日から数日間の事は鮮明に覚えている。

大地震と津波、それだけでも未曾有の大災害だが、それに加えて過去最悪の原発事故が発生。地震発生からわずか4時間後の11日18時50分には1号機でメルトダウンが始まり、深夜には溶けた核燃料が圧力容器を貫通して格納容器の底に落ちるメルトスルーに進む。そして翌日12日昼過ぎにはその1号機が水素爆発。13日には3号機が水素爆発。15日早朝2号機の格納容器が損傷し、4号機が水素爆発。 誰も経験したことのない複数の原発が連鎖する大事故で、原子力事故に対応する原子力安全保安院や原子力安全委員会のトップからもこれからどうなるのかの見通しについて何も説明はなかった。

私はどこまで原発事故が拡大するのかを必死に考えた。東京を含む避難の必要性を考えた時、恐怖を感じた。そこまでは原発事故が拡大しなかったことに、当時の関係者の命懸け努力に感謝したい。