こんばんは。




今日はちょっと真面目な日記となりますが

お付き合いと、できれば皆様のご意見をお聞かせいただけると

嬉しいなと思いつつ、日記を書いております。





2ヶ月ほど前くらいに

ベビ待ち真っ只中のお友達からこんなメッセージを頂きました。




「美羽さんは妊娠したら羊水検査を受けますか?」




と。








今までそんなことを考えたこともなく

つまり私の人生の選択肢にはなかったわけで

しかしながら、はじめてそんなことを言われた私は

ちょっと気になったので羊水検査について調べてみました。






まず羊水検査自体に

1000人中に1人~3人の割合で流産危険性があるところ。

かかる費用ももちろん保険なんてきかないけど、思ったより費用がかからないこと。

50万くらいするのかと思ってたけど、10万ほどということ。

都内だと慶応病院では年間に300人くらい受けるということ。





その数が意味するものは、まだまだ私にはわからないのですが・・・

多いのか、それとも少ないのか。





また、染色体の異常がわかったプレママさんは

その現実を受け止められない人が案外と多いということ。

つまり、ダウン症の子が産まれるという現実を受け止められない方が多いという

文献を読みました。(ちょうど病院にあった)

おそらく自分は検査にひっかからないという前提で検査を受けてるからなのかな。





そして難しい問題で、決して正しい答えなんてないんだなと思った。

だから他人の羊水検査の受ける受けないに関して是非を問うものでは決してないということ。

そう思った。

























私ね、大学の授業で心理学関係の抗議がたくさんあってね

その羊水検査のメッセージを頂いたあとね

大学のとある授業を思い出したの。







それはね、



「羊水検査を受けてあなたの子供に染色体異常が見つかりました。あなたはどうしますか?」




っていう、テーマだった。






今でもはっきりと覚えてる。

卒業して数年たった今からみても

けっこう突っ込んだテーマというか

見方によっては過激なテーマだったんだけど

クラス15人くらいで2時間ほどかけての討論会が繰り広げられた。





性別は全て女子。






年齢はストレートで入学していれば

ちょうど20歳を迎えた年であった。





その大学教授はこういった。







「障がいがあっても命の重さは変わらないから産みます」






という、安易な発言はやめてねと。







生むという選択をするなら、自分の人生が終わるとき

あなたの子がどういう形で今後生きていくかまで考えなさいと。





おろすという選択をするなら

つまり、ひとつの命をこの世からあなたの手で消すという意味を考え

その結論に至った理由を述べなさいと。







20歳の私には重く重くのしかかったテーマだった。



けど、そういう大学に通えてそうういう教授にあえて

そしてその場しのぎに答えを出せない仲間に出会えて

今は心からよかったと思う。






私もどうせ授業のテーマだからなんて

その場しのぎの回答はしたくなかったし

それはみんな同じ気持ちだったし

どのみち安易な回答を見抜けない教授でもなかった。





私たちは一所懸命考えた。












途中、友達が一人泣き出したの。

あの時はその涙の意味を全て理解することができなかったけど




けどね、あとから聞いたら

その子の弟さんが重度心身障がい者だってことを知って

授業の意味の深さを知った。




ただ、私はまだあの涙の意味を理解できなくて

きっと友達でもわかってあげられない

身内としても苦労がそこにあるんだと思う。



だから、簡単に”気持ちわかるよ”って言ってはいけないんだって思った。





そして当時の私はこう答えた。






「私には障がいの子を育てる自信がありません。」と。





先生は私に





「じゃあ、おろすということね。」




って、聞いてきて私は





「その選択もできません。」




って、言ったんだよね。たしか。

きっと先生が意図するもの、教えたかったものを

私は理解せずに終業のチャイムを聞いた気がする。



あの授業を、もう一度受けたい。















私ね、大学3年と4年の時に福祉施設の現場実習っていうのが義務付けられていたの。

看護師さんはよく病院とかに現場実習に行くと思うんだけど

私の学部も現場実習があるの。

行き先は自分では選択できない学校だったから

指定された施設へと実習させてもらいに行ったの。




とても勉強をさせてもらった。



私が学生だった頃は児童養護施設の在り方が非常に問われている時代で

当時、児童養護施設以外の実習先にみなちらばっったの。






その中で私が実習させて頂いた施設が

重度知的障がい児施設だったの。





障がいの重い子でも歩行や食事くらいはできるんだけど

おもには知的の障がいが重い子供たちだった。



かなりの数の子供たちが入所していて

障害の程度別に入所をしていたの。

私も泊まり込みで実習させてもらった。



2ヶ月間の及ぶ実習で

私はその子供たちにたくさんのこと学ばせて頂いた。



そこは入所型の施設で、障がいがあるために親が育てられず

365日入所する施設だった。




2か月泊まり込みで実習していたけれど

その中で親の顔を、どの入居さんの親の顔を

一度たりとも見ることはなかった。





健常者は親が育て障がい児は施設が育てているケースも少なくなかった。




20歳そこらの私には受けとめきれない悲しい現実がそこにはあった。







何人かの入所児童さん担当させてもらったの。

その殆どが、障がいがあるからと親が育児放棄。

中には虐待を受けている子供たちもたくさんいた。








双子の男の子、その子達はまだ1歳半の赤ちゃんで

とってもとってもかわいくてかわいくて

けど、体重が標準体重よりかなり少なくて

それを意味するものは明らかだった。






実習初日で私涙が止まらなくなっちゃって

施設の人にこれが現実にあるんだよと

ニュースだけの世界じゃないんだということを教わった。








中にはね人の目が怖くてね

目を抉り取ってしまう人もいたの。

だから自分の目は片方なかったの。

そして人の目も・・・・。

だから一緒の部屋で生活できない人もいた。














生理を迎えている女の子もいた。

その子はかなりの重度の知的障がい児だった。

実父から性的虐待を受け緊急入所に至った。

けどね、自分が性的虐待を受けていることすら

認識できる知能がないの。



その子の人権って

生まれてきた意味を私は最後まで悲しくて悲しくて

見出すことができなかった。






性的虐待を受けている女の子は想像以上に多くて

生まれてからすぐに虐待を受けている場合は

それが性的虐待かってことをその子が認識してない場合もあるの。



以前も書いたかもしれないけど、ある女の子(4歳くらい)が

「お父さんと一緒にトイレに行く」

って話していて、あるカウンセラーが深く話を聞いたら

そのお父さんのおしっこは”白”だったって。



これ以上、書かなくてもわかるよね。







性的虐待がとくにメンタルの治療がしにくいと

結果に結びつかないことが多いと

この間の研修で講演してくださった先生が言ってた。

そしてまた私は、当時の実習のことを思い出した。












私と同じ歳の入所児童さんを担当したときにね

その子の担当職員さんに言われたことがあるの。

今でもはっきりと覚えていることがあってね。


一緒に外出同行させてもらった時にその子がね

嬉しさのあまり、大きな声をあげて喜んでね

それはそれは喜んでくれたの。



時に職員として注意しなければならないんだけど

(私は実習の身だったけど)

その子が喜んでくれるのなら

(その子という表現は適切ではないけど許してね)

楽しんでくれるのなら、私はそれでいいと思って

特に何の声掛けもしなかったの。




けど、あとで職員さんに言われてね




「あなたと同じ歳であの場所でのあの子の態度は適切だと思う?」




って。





適切じゃないよね。




20歳の女の子が道端で大声で喜んだり叫んだり

それが喜びの表現だとしても、違うよね。





私はどこかで

障がいを持っているから少しくらいこういう形で自身を表現してもいいじゃないかって

思ってたんだよね。




自分の傲慢さを思い知らされた出来事だった。













日本って知的障がいの制度や理解が非常に遅れていて

知的障がいという判断基準もすごく曖昧な国なのね。

加え、精神障がいも本当に遅れていて仕事をしていてもうんざりする時が多々ある。




自閉症ひとつとっても

まだ親の育て方が悪いって思ってる人も決して少なくなくて

脳からの伝達異常なのにそれすらも知らない人が

決して少なくない。





以前ね、とある番組で和田アキ子さんがね

「自閉症は親の育て方が悪いからね~」

って発言したことがあったの。



なんでそういう安易で間違った発言をテレビでするかな・・・

憤りを感じたんだけど翌週テロップで



「自閉症は親の育て方が悪いからおこるわけでなありません」



って、詫びのテロップが流れたの。




私は、


「おまえ、自分ってしっかり謝れや~」


って、ヤクザみたいにテレビに言ったの覚えてる。









よく”障がいは個性だ”って言うじゃない?




私ね、あれね、大嫌いなの。





その人の障がいが個性だなんて言っていいのは身内だけ。

家族だけなの。そして、家族のように寄り添って生活をしている人。

それだけだと思ってる。





私は実習に行かせてもらって

性的虐待を受けている子をと接し

また突如呼吸困難になって泡をふいて倒れてしまう子たちを見て

障がいが個性だなんて、口が裂けても言えないって思った。







きっと私ができることって本当に少ないけど、無いに等しいけど

寄り添えたり、理解しようとしたり、勉強したり

仕事で何かお手伝いできることがあれば、させて頂きたいなって思ってる。

あの実習が、もしかしたら私の仕事の原点だったかもしれないな。















すっごく話がそれてしまったけど羊水検査についてでしたよね。

羊水検査をしたとしても、わかる障がいなんて結局のところ

ごくわずかなんだよね。











羊水検査を受けるかどうかについての私の答えは







「受けない」







です。






たとえ、高齢出産という形になっても受けないな。







理由は怖いから。






そして、どの結果であれ産むという決心には変わりがないので

であればしても私の場合意味のないことという結論に達するので

受けないという結論に達しました。






ちゃんと、考えたよ。






ただ、もし受けるなら結果を聞いてからどうするか悩むのではなく

結果を想定してどうするか決めた上で受けるべき検査だと思う。




羊水検査じたい、命の選別なんて言われるけど

私はそうは思わない。

陽性が出た場合の選択権は紛れもなくその両親にあると思う。





私の職場の友達にね弟さんがダウン症の友達がいて

その子は羊水検査を必ずすると言ってた。

どうしても遺伝的要素が強いからね。






陽性だった場合、産むかどうかは

あえて聞かなかった。















今日は色んなことを考えて昔のことを色々思い出しちゃった。

月日の流れは本当に早いけど、日々を大切にしていきたいなと

改めて思った一日だった。ありがとう。






こうして健康に生まれてくるってことって

実は本当にすごいことなんだよね。






今日は両親に心から感謝をしようか。





たまにしか、感謝してないからな。











さいごに






できれば皆様のご意見をお聞かせいただきたいです。

もちろん時間に余裕がある方で構いません。

その際、ハンドルネームやブログのリンクなどは外していただいても結構です。

もちろん、名前も変えてくださって結構です。




理由はないけど受けないでもいいし

考えたこともなかったから受けないでもいい。




陽性なら産まないという選択肢でもいい。




どう考えるかぜひ教えて頂ければ幸いです。




いつもありがとう。





美羽