大港正俊という男 | 豆腐マイスター協会代表のブログ!

大港正俊という男

久々にオトコに惚れたというべきか。

大港正俊。




神奈川横浜で豆腐を作り続けた男が今日、櫂※カイ(豆腐をつくる道具)おいた。
野球でいうバットをおいたと同じこと。
そう、今日豆腐屋さんを引退したのだ。

彼との出会いは、4年くらい前にさかのぼる。
僕が業界に入って、まだ最初の頃に参加した横浜青年部の勉強会だ。

彼から見た僕は業界に怪しいやつがきた、と見えたそうだ。
※彼に限らず当時はみんなにそう見られていた(笑)

ちゃんと話したのは、震災で2011豆腐フェアが中止になり、取り組んだ恵比寿の復興マルシェ。



お子さんを連れてイベントを見に来てくれた大港さんは、僕を見るなり、覚えてる?と声をかけてくれて、こういうイベント、いいよね、と話してくれた。

僕から見た彼の最初の印象は正直なんだかななめから見ているような、さぐっているような、何だかつかめない人、そんな感じだった。

あまり口調は優しくない(素直じゃない?)感じなんだけど、すごく協力的で、なんだろう、このヒトって印象。今だから言える(笑)

そして約2年前、豆腐マイスターをはじめようと思い、取り寄せる豆腐を誰にお願いしようかと迷っていた時、アニキ分の阿部さんから、大港さんに頼んでみたら?とアドバイスを頂いた。

ダメもとでお願い。
そしたら快く引き受けてくれた。

約2年に渡って毎回在来種のお豆腐を送り続けてくれた。

彼のところは家族経営のお豆腐屋さん。
こんな面倒な仕事は本当はしたくないはずだ。
だけど毎回丁寧に送ってくれた。心を込めて。ある時期からはラベルなども工夫をしてくれて愛情たっぷりの豆腐を送ってくれた。



僕はある時期を境に、送っていただく豆腐の味が安定し、とても美味しくなったのを覚えている。そう、毎回他のお豆腐屋さんのお豆腐と比べて、受講生のみなさんの反応を見ている僕にはわかる。そのクオリティは明らかに全国でトップレベルの豆腐になっていた。

300円ちょっとの町のお豆腐屋さんの豆腐だけど、彼の豆腐を食べて何人が豆腐の価値を見直しただろう。
彼の豆乳を飲めばどれだけ豆乳が苦手な人でもこれなら飲めるとごくごく飲んだ。
実は私豆腐があまり好きじゃなくて、という人も彼の豆腐を一口食べるとこれなら食べれる!ありがとう!とバクバク食べる。

豆腐マイスター講座で、彼の豆腐を食べた人はこの豆腐の美味しさを伝えたい!とみんな豆腐の応援団になっていった。

これはすごいことだ。

豆腐マイスターの豆腐を大港さんにお願いして心から良かったと思う。

豆腐マイスターは4月末で510人。この人数が大港さんのお豆腐を食べて豆腐のファン、いや伝道師になっていった。

豆腐マイスターだけではない。

愛知でやった東海とうふ祭りに神奈川のみんなの豆腐を送ってくれたり、2012豆腐フェアの豆腐屋ナイトで池袋の樋口さんと司会をやってくれたり、業界の活動を影で支えてくれた。


※2012豆腐フェア東京ビッグサイト懇親会にて

僕が最初に感じた印象は、彼なりに業界の事を真剣に考えているからこそ、こいつは本当にどうなんだ?というのを見極めていたことなんだと実感した。

そんな大港さんが豆腐屋さんをやめるかもしれない、そんな話を聞いたのは実は一年ほど前。
横浜ではじめて二人で酒を酌み交わした時だった。
その時は、まだ実感もわかなかった。。。

そして、3月。大港さんからの電話。

「磯貝さん、4月で辞めるよ。。。」

僕は何とも言えない感情を抱いた。
寂しいとかそういうのじゃない。
そう、男が「辞める」という決断をするときは、相当の覚悟が必要だという事を知っているから。

「そうですか、卒業おめでとうございます。そしてありがとうございます。でもちょっと寂しいな」

そんな気持ちだった。

そして今日を迎えた。

先日月島で豆腐マイスターのみんなとサプライズで感謝の宴を開催した。
だから僕の中では送り出す準備はできていた。




しかし3日前。
仙台の上村さんと電話で話していて、実は30日、気仙沼の千葉さんと仙台の安達さんと大港さんのところにいこうと思うんだけど、と聞いて、そう言えば大港さんのお店にいったことない、自分もいきたい、という衝動に駆られ、急遽いくことにした。

最後の豆腐づくりを見届けたい。
今まで送り続けてくれた豆腐をつくっている姿を目に焼き付けたい。

そんな想いで、午前3時、まだくらい横浜で、上村さん達と合流し、明るくなり始めた5時すぎ。
横浜磯子区の大港食品に到着した。



そこには大港さん、そしてご両親の姿が。


※冷たい水槽に手を入れ豆腐をパックに詰めるお母様


※丁寧に豆腐をきるお父様


そうとうの思いがあってやってきたこの店。
どんなにつらかろう、さみしかろう、そんな想いが伝わって来た。

大港さんが豆腐をつくる姿。
しっかりと目に焼き付けました。


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大港さんは言ってくれました。
この業界に戻ってくるよ。いつかまた豆腐をつくるよ、と。
そしてそう思ったのはここ一年豆腐マイスターと関わって業界の未来が見えたからだ、と。

震えた。心が震えた。

ありがとう。本当にうれしい。

戻ってくるその時まで、明るい未来が見える業界をつくってみせる。
みんなで、ね!

だから大港さん、安心して櫂(カイ)を置いてください。

そして少し休んでください。

また大港さんの豆腐を食べれる日を楽しみにしていますから。

本当にありがとう!