秋空と菊


この本を手にする前に、実は西研氏の『哲学的思考』副題としてフッサール現象学の核心・・・を読書中でした。この本は結構面白いのですが、何せ四年の歳月を掛けて苦労して西研氏が書かれたとのことで、それをあつかましくも、数日で読んでしまうのは、著者に対して失礼かな?と思い、息抜きにたまたま図書館で、この著者を調べていたら、こんな絵本が出てきました。


しかし、図書館の書庫にしまってあって、誰も借りていない・・・1996年出版の本でした。丁度1995年に『ソフィーの世界』という本が、NHKで出版された翌年なので、こうした"よくわかる哲学ブーム”に乗って出版されたのかな?とも思える。(もし、違っていたらゴメンナサイネ!)


池田晶子さんは、この全世界で約2300万部以上を売り上げたベストセラーに対して、NHKに手厳しい批評を下したことは、池田ファンの方はよくご存知の通りです。西研氏もまた、NHKより、この本を出版していますから、インチキ哲学?と疑われるかもしれませんが、この本は一般人に対する手引書的なものです。


この絵のついた哲学手引き書は、大変わかりやすいのですが、考えるツールとして・・・つまり哲学を考えるモノサシとして紹介しています。池田さんは、このような本は出版していませんが(近いものはあります)、その代わり、世の中の変なベストセラーを真剣で斬り、世相まで斬りつけてしまう・・・哲学という『真剣』の使い方を実戦しています。


道具についてだけ、講釈を述べる人と、「道具はこうして使うものだ!」と、実際にして見せる人。本当に人それぞれですね。どちらかというと、西研氏は穏健な方ですね。


池田さんは、西研氏について述べたことは無かったと思うけど・・・もし、両者が対峙したらどうなるか?共通話題は、『よくわかる哲学』だけど、『よく考えない読者がわかりやすさだけを求める』ことについて、どう対話されたでしょう。池田さんは、「道具の講釈ばかり書かないで、しっかり、世相を斬って、もっと偽善者と対峙しなさい!」なんて、叱咤激励されたかもしれません。


目次の小テーマは、21項目あって、どれも、面白そうなタイトルですね。でも、答えが出せない、問いかけが多くて・・・「哲学とは、問うても、答えがないのが哲学だ!」なんて・・・思われそうですね。そうした問いかけは、結構人を引きつけるから・・・わかりやすく書けば・・・・あとは日本人の場合、著者の経歴か、出版社のブランドが良ければ、書店で衝動買いで本が売れる・・・そんなところかな?


目次の11番目ぐらいに、『宇宙には「はじまり」があるか』というタイトルがありますが、これについては興味があるから、どんな風に書かれているかな?と思って読んだのですけど、「こんなことを考えるのは、無駄である」・・・なんて、『ブッダ』を引用して・・・解説しています。これは、宇宙物理学者の本を読んだ方がもっといろいろ考える楽しみがあると思います。この宇宙の「はじまり」とは、何をもって「はじまり」と言えるのか?と言う問いかけを思考すると面白いかも。


我々が生きている宇宙は、現在まだ滅びていない・・・死んだ宇宙ではない・・・膨張している宇宙とも言われている。であれば、果たして終わりがあるのか無いのか?定かでない。とすれば、終わりがないとした場合、「終わりのない、はじまりとはどういう意味をもつのか?」という不思議さもでてくる。「終わりがないと言うことは、はじまりもないということなのか?」という考えも浮かんでくる。言葉だけの結論として、「終わりがないからはじまりもない」ということになる。「はじまりもおわりもない世界とは・・・時間の定義が出来ないではないか?」という変な疑問も湧いてくる。「われわれにとって、時間とは仮想の世界なのかもしれない」丁度、過去、現在、未来を議論する時のように・・・科学として、物理学でおこなう演算のように定量的には摑めても・・・人間にとって定量的には、体感できない世界のようですが、物理学的な時間(原子時計)でもって、人々が普通に行動するときですら・・・(例えばデートの待ち合わせ時間とか)・・・一致できるという確かさは、何故か主観の世界と客観の世界が時間的つなぎとして一致して働いているから不思議ですね。これは何を意味するのだろう?そして、宇宙には始まりも終わりもないと仮定したら、主観的立場の私が、時間に流されている事実を感じる時、いったい私と言う主観はどこに流されているのだろう。そして、速度(m/sec)がある以上、時間と言う次元も存在するから・・・静止しているのではなく、その宇宙時間とは終わりが無限大ということになるのか?であれば、スタートも無限大に広がっているのか?そう想うとロマンチックでもある。(飛躍した唐突な想い・・・より)


話は、今、読書中の本の話に変わりますが、西研氏が書かれた『哲学的思考』には、あとがきに、「最初から一気に読み通すのはちょっと、という人のために・・・推薦する読み方として・・・序章と終章を読めばだいたいわかります」と書かれていました。


それなら、それだけを本にして出せばと言いたくなりますが、それだと381ページが、84ページで終わってしまいます。でも、学者と素人向け会話を行き来しながらの面白い文章についつい、釣られて、半分まで読んじゃいました。


現象学は「主観的世界と客観的世界の扱いを哲学でどう説明するか?」ということのようですが、これも答えが明確に出せられるのかな・・・と思います。この本の読後感は、また後日、ということで、同じ九州人である西研氏に対しての仕事については、私のような哲学を学問として学ぶには力不足なところを、丁寧に解説して頂けていることに関してはとても感謝しています。


小林秀雄は、「人は、私が書く本は難しすぎる・・・と愚痴を言われるが、わざと難しく書いていたのは、若いときだけ若気の至りで何でもないことをわざと難しく書いたが、今はなるべくわかりやすく書こうとは心がけている・・・しかし、書こうとしているテーマが、やはり難しいことであれば、やはり難しい表現になることは避けられない・・・」と、ぼやいていましたね。


西研氏の『哲学的思考』という本は、まさしく、学問として捉えた哲学を一般有識者向けに書かれた試みの内容だと思います。難解になってきたところの大事なポイントでパスしょうとしている読者に対して、常に氏の考えをひらたい言葉で伝えてくれるのは有難い。逆に、この『哲学のモノサシ』は、ひらたい言葉で書かれているので有難みがない。少し難しい言葉を入れてでも、核心に迫って欲しかった。


ところで、この絵本の『絵』、よくもまあ~こんな発想が生まれるなあ~とあきれます。確かに哲学的絵画ですね。人によっては、気持ちが悪いと思うでしょう。でも、岡本太郎さんは、「人が心地よいと思うような絵を描くな・・・」と言っていましたから。まあ、わかったようなわからない不思議な絵で・・・この本にぴったしですね。なんだか、星の王子様の絵本もこんな・・・線描写による不思議なイラストを描いていましたね。これって・・・イメージの剽窃かな。芸術は、模倣からレッスンが始まる・・・。


批評するのは簡単だけど・・・こうしたものを創れといわれたら・・・そりぁ~大変なのは百も承知。こうした書物を書くのに・・・或いは描くのに・・・どれだけ心労がともなっているのか・・・それは、創造主のみ知る。でも、せっかく創ったものが、図書館の書庫に眠っている・・・それって寂しいですね。


図書館の書庫に眠っている努力の善書を探しに行こう!


by 大藪光政