白い花


中国思想史研究者である東京大学名誉教授、溝口雄三氏の『李卓吾』を手にして読んだわけですが、最初に吉田松陰について触れられています。


何故、溝口氏は、吉田松陰を『李卓吾』の説明として半分もの紙面を割いたのか?


松陰のふるさとで手に入れた平成七年に第五版として出版された「吉田松陰」を持っていますが、これは山口県立博物館が編集したものです。


それには、1959年に李氏焚書抄、李氏読蔵書抄というのが吉田松陰の著述として上がっています。また資料として『李卓吾』に触れた手紙は、「与二十一回先生書(久坂玄瑞・安政六年四月二十八日) 」があります。これには、「明の李卓吾は、不満多し、然れども吾れ甚だ知己なり。焚書に、何心隠の論あり、義卿しばらく是に当つべし。卓吾の心事は三楊除階李東陽等にあり、深く味わうべし。」と記してあります。


また、吉田松陰が出した、高杉晋作宛の書状末文には、「僕この頃李氏焚書を抄録仕り候。卓吾は蠢物にて僕、景仰欽慕大方ならず。」と記されています。


確かに、このように吉田松陰資料の一部にそうした記述が記されていますが、資料全体のウェイトとしては見落とすくらいの位置にあります。そして松陰に与えた重要度すら見えません。ですから、溝口氏の指摘に驚くのです。また、吉田松陰がおかれた立場と卓吾の境遇に共通点があるようでないのに、あえて卓吾を紹介するのに松陰を取り上げる意図も面白いですが、やはり唐突です。


童心説ひとつをとっても、中国の人が思う"童心"と日本人が思う"童心"とは、ニュアンスが違うと言うより、溝口氏はかなり違うと書かれている。それは、「日本人ならばだれしもが、純粋、無邪気、無垢・・・といったイメージを抱くはずです。」と、溝口氏は書き、続けて中国での解釈として「嬉遊の心を童心という。樗蒲(さいころ)、博打、臂鷹(たかがり)、蹴鞠、あるいは享飲を喜び、冶遊(いろごと)を愛し、鄭声(はやりうた)を悦び、喜怒がつねでないなどが、それである。これらの人は、長じてもその正しい本性にたちかえることがない。」といった引用で中国と日本の言葉の解釈が食い違っていることを説明しておられます。


であるならば、当然、松陰が思う『李卓吾』の思想とは、どうしてもずれが生じてくるはずであるから、それでもなお、あえて紙面の半分を費やしたのか疑問です。


まあ、読者にとっては、松陰の違ったある一面を見せられて、楽しませてくれていますから、文句はありません。でも、溝口氏の解説を読むと、吉田松陰はなんだか、おっちょこちょいみたいですね。冷静さに欠けるというのか、政治的判断が甘いと言うのか、政治オンチというのか、それとも処世術が劣っているというのか?本当に困った人物に見えますね。


恐らく、当時のリベラルな人達は、松陰のフライングには、辟易していたかもしれません。「せっかちな、迷惑千万なやつだ!」と。でも、溝口氏の解説をよく読むと、微妙にそうした松陰がいてこそ、今日の日本が在るみたいなところが感じられて、松陰の日本人的"童心"がもたらした衝動で、人が動き、藩が動き、他国の属国とはならず、明治が生まれたという事実もあって結果論として、やはり松陰を抜きにして改革は考えられない。


恐らく、溝口氏は、吉田松陰に対して深い想いが在るのだと思う。


さて、『李卓吾』が我々現代人にどんなメッセージを持っているのか?それを知りたいところですが・・・。


溝口氏は、「絶仮純真、最初一念の本心」とみなして『童心説』を書いた当時の卓吾が、六十歳半ばを過ぎており、それに対して青年松陰が『真仮』の二文字を思考したのが三十歳であったと説明していますが、ここのところの『真仮』の二文字に対しての受け止め方が、卓吾の思想的入り口なのでしょうか?


この『真仮』を語ろうとすれば、紙面が足りませんが、要は、世の中はすべて、きれいごとで構築されていない。ということでしょうか?世の中には表と裏が在るということですか?そんな風にいってしまえば、ちっとも高尚な説明にはなりませんね。


もっと突っ込んでいえば、我々日本人は知らないうちに儒教に洗脳されている。目上の人には礼節を、そしてセレモニーにおいては、なおのこと、タテマエを大切にする。いい加減な親父が死んでも、「親父はいい父親だった!」、と莫迦息子は語る。 (うちの息子も日頃、親父を馬鹿にしていても、ご多分にもれずそう言うだろう)


そして、他人ですら、「立派な方だった!」、と葬儀で語る。これって、『真』ではなく、『仮』ですね。でも、卓吾の場合は、誰もが、『真』であるところを、実は、『仮』であると気付いた時代の中の覚醒者なのでしょう。権力者や、それに付随した御用学者を相手に、「これはおかしいぞ!」と、のろしを上げたのが、卓吾なのでしょうね。

当然、その開眼でもって物事を洞察すれば、孔子や孟子などに対する痛烈な批判に結びつきます。


それは、当時の権威者にとって、とても困る話です。何故って、やはり、いつの世も『現世利益』ですから、それで飯を食っている人もいるし、そんな思想がはびこると、権力者の地位も危うくなるからです。だから当時としては大変危険な思想として、白い目で見られて当然かもしれません。


でも、今日では別に危険な思想でもありません。ごく当たり前の思考でしょう。科学という道具に使い慣れた現代の我々にとっては、それらの物事をロジックで考える習慣がありますから、そうした化けの皮を簡単に剥ぎ取ることができます。


ですから、卓吾の思考は、ある意味で自然科学としての思考の芽生えではないでしょうか?西洋で、そうした芽生えがあったように、明の時代にようやく卓吾のような「これはおかしいぞ!」と、いった考えをもった人が現れたことになりますね。


溝口氏のこの書物は、後半になると思想的密度が増してきます。そこには、『朱子学』と『陽明学』とのぶつかり合いも出てきます。このところもひとつのポイントになります。


『朱子学』は、端的に言うと、エリート的人間像をめざしている。かたや、『陽明学』は、かっこつけをしない自然体の人間像を見出している。ということになりますか?西も東も偶発的に、そうした芽生えが起きているのには不思議な限りです。(日本における陽明学は、また違った展開をしたみたいですがここでは触れません。)


溝口氏は、次に『理障』という言葉を理解する必要性を『臨済録』を引用して、「もし、仏や達磨祖師に成ることを求めれば、そのとたん仏や祖という名の魔のとりこになる・・・と臨済はいいます。仏や祖の悟りの境地というものを、何か俗世を超えた玄妙な別世界であるかのようにみなし、平常の生活をすててそれを観念的に求めようとする、そのときこそその人は仏とか祖とかいうその観念に傷害され、じつはその平常な生活のなかにこそ悟りがあることを見失う結果となっている、そういう自己観念の障害を理障というのです。」と解説されています。


これはとても、意味深ですね。こうして、溝口氏は、さらに『王陽明』を引っ張り出して、話がさらに進みます。

こうなりますと、読んでいても振り回されて、『吉田松陰』を読んでいるのか、『王陽明』を読んでいるのか?本命の『李卓吾』の思想はどうなっているのか?と愚痴がでます。


そこを、ぐっと我慢して、卓吾を理解すると・・・そうした平常、つまり『日常性』とぃつた曖昧な言葉でなく、具体的に人間にとって生存する上で必要なものから発する人間本来の物質欲、所有欲を基点として物事を考えなければいけませんよ・・・と言っているみたいですね。それは、現世利益から逃れることの出来ない、生身の人間の生き方を否定することなく、そこから思考を出発させるということでしょう。


そして、卓吾の厳しい指摘を代弁すると、例えば苦しい生活がある・・・或いは矛盾した世間がある・・・仕事で理不尽なことを押し付けられることがある・・・そうした苦難に人が接すると、ついつい、あの世みたいな、『真の世界』があると思いがちです。すると、それらの『俗の世界』を捨てて、その『真の世界』を求めようとする。それは、誤りであるということでしょうか?『俗の世界』こそ、実は『真の世界』だというのでしょうか?


そうしますと我々現代人は、常に『真の世界』にて、痛めつけられています。生きている以上、それらから逃れることはできません。卓吾は、獄中にて自殺を遂げています。すると、彼の考えとして現実を直視し、それが『真の世界』であることを認め、どこにも逃避することなく、何を心の糧としたのか?いや、心の糧がなかったから、死に及んだのではあるまいか?己の命を絶つ動機が一体何であったのか?それは、謎でしょう。溝口氏には、そうした卓吾の死生感から読み取る彼の思想考察が抜けている。これは、学者として推論で語る危うさを避けられたものかもしれません。


松陰は、卓吾が権威や権力よる追求で囚われの身となったのを自分にダブらせて、大いに感じ入ったのだけれども、思想はどうも二の次だったと思われます。それは、卓吾の思想で行けば、松陰の取り巻く環境が現世利益で出来ているのを素直に認めて、それを『真』として、そこからどう処世術で渡っていくのか?を思考しなければ学習効果は無きに等しい。でも、卓吾自身も、『真仮』を分別しているわりには、己の身のあり方に対しては、とても下手糞だ。役人をうまく誤魔化しきらなかったからそんな身の上になったのだろう。そういうところも、卓吾と松陰は似ている。おまけに私も同じ穴のムジナだと思う。



話を戻そう、現代人にとって、現実に直面している事柄がすべて、『真の世界』であるとしたら、現世利益で突っ走る世俗に対して、どう対応すればよいのか?どん詰まりになったらみんな死ねばいいのか?それとも、何か心の糧を見付ける事で生き延びられるのか?もし、その心の糧があるとしたら、それは、現実とは乖離したものなのか?それとも密接な関係があるものなのか?その答えは何処にある?それは、『かんがえること』 つまり哲学することですか?そうしますと、繰り返しになってしまいますね。つまり、考えることで生まれた行き詰まりを、また哲学で追求しなければならなくなります。


この本の最後のところで、溝口氏は李生が言った言葉で、こう書いています。


「 『学を講ずる、すなわち人間のあるべきありかたを求めて研鑽する人々の、タテマエとホンネの乖離をあばくそのあばきかたは、いかにもシニカルですが、それにさらにたたみかけて、子の富貴利達を願うのはつまるところ父自身の自己愛のしからしめるところだ』、という李生の言葉には、思わずドキリとさせられます。」と、記してありました。


このことは、溝口氏だけが思われることではなく、我が息子が人前でベートーヴェンを熱演している姿を、我がことのように満足げに見守っている『私』は、自己愛以外のなにものでもないことは、自明の理です。こうした行為は、別名、『親馬鹿』ともいうのでしょう。でも、親馬鹿で結構、それが『真』だから・・・。


by 大藪光政